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わたしたちと政治

 選挙の前には公約と実現可能性をチェック。毎回投票所へ行って、一票を投じる。大人の方にとっては“当たり前”なのかもしれないけれど、わたしたちにとってはまだドキドキする時間。

 今回は「わたしたちと政治」という話をしてみようと思う。

 わたしは政治学専攻でもないし、芸術系の大学に通っている立場だけども、やっぱり触れないわけにはいかないことだとここ数年は強く感じている。

 『最近の若者は……』『若者のせいで……』と言われてしまうこともあるけれど、いま生活している中で感じた“わたし視点からの現代政治の価値観”について綴らせていただきたい。

 (思いを書きなぐったので、めっちゃ長いです。勉強不足な点もあります。それでも良ければ、ご一読いただけると幸いです。)

別に無関心なわけじゃない……でも、あなたに投票する未来が見えない。

数十年後の未来ってどうなるの?(実現可能性)
あなたの政策でわたしたちは苦しくならないよね?(現状維持性)
生きていくために邪魔をしない?(生存保護性)

 この三つは、わたしが現段階で投票の基準にしたいなあ……と思っていること。「変えるための投票」も大事だけど、「変わらないための投票」も同じくらい大事。

 わたしは数十年後に同世代の人で政治家をつくりたいと思っていて、コミュニティに出入りすることもあったのだけど、そこから一旦外に出ると思った以上に「今を変えること」に対しての恐怖感や嘲笑を感じることが多くて。

 でも、これが問題かというと、ちょっと性質は違うなと。今うまく行っている人にとって、何かを変えることはうまくいかなくなってしまうかもしれないということだもんね。だから、変えるのが怖いのも理解できるし、地盤が揺るいでほしくない気持ちもわかる。

 そう考えたとき、いちばんやってはいけないのが、「とりあえず変えるために次に人気のある人に投票してみる」ということかもしれない。少なからず、彼らは現在の与党に相反する政策を持っているから、たぶん現状維持を望んでいる人にとっては合わないと思うんだ。

 安心を守るためには、とりあえず変えさせるための投票ではなく、自分たちが変えていくための投票をする必要がある。機を逃さず、確実に変えてもらわなければならない。

 国民にとって、もっとも現実的なのはやはり経済。経済がしぼむと本当に必要な政策にお金を回せなくなるし、救いたい人も救えなくなってしまう。各種政策にも手を出せなくなる。

 そう考えてみると、『これをすれば生活が良くなるという政策』とともに、『〜という目標のために複数のシナリオを持っている』という条件も必要なのかなという気がしてきた。

 本当に政治に興味がない人へ投票に行ってもらうためには、そこを突かなければならない。メディアや他人の後押しじゃなく、あらゆる目線から信用できる人たちを選びたい。

 残念ながら、今の国会や議会にぴったり合う人がいない。もしくは、届いていない。これが現状なんだと。

SNSと実情を考える - ベトナム火力発電所建設を例に

 主に環境政策マイノリティ政策(この呼び方が正しいのかどうかはわからない)について抱いていること。

 ちょっと街づくりゲーム「シムシティ」の話をさせてほしい。

 このゲームでは、街を発展させるためにまずインフラを整備する。診療所、病院、地域病院といった具合に、徐々に施設を大きくさせていくことができる。発電所や水道、下水道なども同じで、最初は安くてハイパワーなものを使いつつも、街の成熟と共に徐々に切り替えていくことにより、クリーンな環境を作り上げていくのだ。

 これはGDPやGNPで世界の半分以下に位置する国々が『これから発展するぞ!』という段階に身を置く時にも同じプロセスが適用できて、いわゆる“先進国”と呼ばれる国々が辿ってきた道とさほど変わらない道のりを歩んでもらうように力を尽くすのがまず第一目標なのではないかな……という気がしている。

 電力に困っている国、水に困っている地域。場所によって様々な問題を抱えている。ただ、先進国が歩んできた道を歩むのではなく、わたしたちの“常識”“価値観”で物事を判断してしまっていいのか。それは常に悩ましいところである。

 たとえば、ベトナムの石炭火力発電所建設「ブンアン2」を巡る問題について。日本を発信地に、世界の人々が問題を訴えているという現状。ベトナムの電力事情と共に少し考えてみた。

 世界と環境。もう否が応でも進めなければいけない問題。ガソリン車、発電システム、プラスティックゴミ。いちばんわかりやすいのはこの三つだけど、生活の在り方が一変するといってもいいほど、これから先の数十年で変わっていくことだろう。

 ここで取り上げられているベトナムにおいても、水力発電が全体の4割を占める(2018年)というクリーンエネルギーに重きを置いた国家であるという認識は間違いないと思う。しかしながら、クリーンエネルギーに共通の課題で、干ばつや無風などの異常気象が起こった時、一気にエネルギー不足となってしまう可能性があるし、実際に悩まされている。

 現在の生活システムにおいて、電力や水なしで生活は成り立たない。もし国家がそのような状況に立った時、確実な発電手段を持ってくることは必然に近いだろうし、わたしが担当者であっても真剣に検討することだろう。(国民に保証すべきなのは今後数十年間の安心した生活という観点において)

 もし、今回の提案で人々の暮らしが脅かされた時、それを啓蒙した人々は新しい暮らし方を提案できるのだろうか。果たして、遠回りになろうとも、近道になろうとも、より良い暮らしになるのだろうか。

 すでに安定的な発電手段が確保できていて、その手段を変えましょうという話なら理解できる。

 一見、ベトナムはクリーンエネルギーを積極的に導入していて、電力開通率も高く、とっても環境に優しい政策を取っているように思えるが。電気自動車にも通じることだが、ベトナムに限らず、もしその手段がダメになった時、どう備えるんだろうなあ……というのが正直なところである。

 (この話は疑問提起をした彼らの公式noteにもひとつの回答が書かれているので、良かったら読んでみてください……!!)

SNSと実情を考える - バズの危機

 長々と書いてきたが、ここでわたしが伝えたいのは、『世界的な流れと実情があまりにも剥離していないか?』ということ。

 江戸時代後期(1800年代くらい)における列強国の植民地政策などにも言えることだけど、まるで正義の鉄槌かのように、自分たちの“進んだ常識”をすべての国家に適応しようとする、反対の声を挙げようとする人たちにぶつけようとするのは、非常に危険なのではないか……という不安である。

 アメリカのBLMや各種デモクラシーについても同じように思っていて、社会的な風潮や“バズ”で世の中が大きく変動する、議論さえも許さないような風潮が生まれてしまうことはすごく怖い。学問や教育の世界でも同じで、ひとつの価値観を正義とする捉え方、伝え方は将来的に負の遺産を残してしまうことに繋がらないかという危機感を持っている。

 映画「ホームアローン2」で『未来にアメリカの大統領となる人物』の登場シーンを削除すべきか or 残すべきかという議論が起こっていたけれど、これもちょっと怖いなあ……と。

 わたしはリベラル的な価値観と保守的な価値観が混在していて、どっちがというわけではないと捉えているのだけど、芸術作品に関しては、新作をつくる場合を除けば、過去の作品に手を入れることは絶対にやってはいけないと思っているし、もし必要な場合でも「そのままのバージョン」と「カットしたバージョン」の両方を収録すべきだと思う。(「スター・ウォーズ」のように新作として発表する場合は問題ないと捉えてるよ!)

 もちろん、生活で必要なもの、多くの人が求めていること、現在少数派となっている人々や、困っている人々への向き合いは必須だけれども……

 フェイクニュースやディープフェイク技術が問題となったように、今のSNSは自分たちの“正しい”を過信しやすい環境にある気がする。特に。かつても噂話や伝承などで嘘が伝わりやすかったけど、情報が溢れているからこそ、余計に信じやすいのかも。(答えが見つからない)

もっと政治の話がしたい。みんなと考えたい。そして、未来の政治家を一緒に育てたい。

 最後に。長くなりましたが、これで最終章。

 政治や最近の世界に対しての諸々をぐはっと書いてきた。でも、こうぐはっと書いたのには理由があって。

 わたしにはこんな目標がある。ちょっとだけ未来の話をさせてほしい。

① 同世代の政治家をみんなで育てたい!
② 従来の政治観にとらわれない政治観を醸成したい!
③ もっと気軽に世の中を語れる世界にしたい!

 SNSでたま〜に書いているんだけど、『政治家を育てたい』っていうのをひとつのテーマとしてずっと持っている。そのための方法をみんなで探したいし、もっと話がしたい。特に同世代と。

 今回取り上げたベトナム環境問題でとくに先陣に立って問題提起されているNO YOUTH NO JAPAN」の能條さんを知った時、『同じ世代にこんな方がいるんだな!』と衝撃を受けたことを未だに忘れられない。他の方もそうだよね。

 SNSに足を踏み入れるまで、同世代と社会の話をしたことはなかったし、どちらかといえば上の世代の方と議論をすることが多かった。

 その中で、もう「これまである言葉で政治観を語る時代はない」という思いと、「人がいないならわたしたちが同世代の代表を育てなきゃ!」という思いが芽生えてきたのである。芸術の力でとか、環境をメインにとか、そういうことを言うつもりはない。

 地に足をつけて、本気で背中を押さなければならない。与党を取れる団体を作らなければいけない。まだコミュニティ探しや作るという段階だし、何十年かかるかわからないんだけども、いつまで経っても、ずっと発信は続けたいよね。

 どんなに大きくなっても。過去にとらわれない今をつくるために。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

エッセイ「古今東西・偏愛AtoZ」第P回
坂岡 優

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!