就職は大学院進学と同義
大学院に落ちてからもうすぐで2か月が経つ。
結局私は、これまで働いてきた学習塾に就職することになった。
「後悔がない」と言えば、ウソになる。
あんな道もあったかもしれない、こんな道もあったかもしれないと嘆く。
けれど、そうした後悔の一つ一つが、新たなキャリアパス構想の契機となった。そのキャリアパスとは、以下の通りである。
いつの日か転職できたらいいな~。
大学院に再チャレンジするチャンスがあったらいいな~。
こんな半端な覚悟じゃ、目的はきっと果たされない。
もうあんな悔しい思いはしたくない。
だからこそ私は、これから先のことについて真剣に考えたいと思う。
人生が幸福を追求するためにあるのだとしたら、私にとっての幸福とは「学び」である。知らなかったことを知る。理解できなかったことを理解できるようになる。出来なかったことが出来るようになる。人生という、長いようで短い歳月の中で、少しでもこの「学び」を増やす。これが、私にとっての幸福だ。
もちろん、どんな環境に身を置こうとも、自分の心持ち次第で「学び」の数を増やせることは確かだ。しかしながら、長い間同じ環境に居続けることは、自分の視野を狭めてしまう可能性が高い。
学生であるうちは、特定の環境内での「学び」に時間的制約があった。小学校では6年間、中高だと3年間、大学だと4年間というように。限られた期間うちに必要な「学び」を経験し、それが認められれば卒業し、次のステージへと進んでいく。今考えれば非常に合理的なシステムだ。時間的制約があるからこそ、苛酷な受験勉強や就職活動を乗り切れるわけだ。
ただし、社会人からは、「学び」にゴールがなくなる。つまり「卒業」という概念が消える。「転職したい」と言いながらもなかなか行動が起こせない社会人が少なくないのは、会社に「卒業」がないからだ。もちろん、定年退職してからでは遅すぎる。重要なのは、入社をする前から自分自身で「卒業要件」を設定することだ。会社のノルマや役職でも、年収でも構わない。何かしらのゴールを自ら設定し、新たな進路へとコマを進めてきたい。
私が働く学習塾のノルマについて、教室長に確認をとった。その結果、本社から教室長に求められるノルマは、生徒数、通常コマ数、講習会コマ数、配置効率の4点であるということが分かった。
それぞれどのくらいの基準を満たせばよいのかという点については、教室ごとに異なるようである。例えば、首都圏の教室であれば、潜在顧客も多いわけだから、当然ノルマも厳しくなる。また、近隣の競合他社の教室があるか否かという点も考慮される模様である。一体どのような計算式でノルマが算出されるのかはブラックボックスであるが、教室長という生き物は、本社から与えられるこの数字を永遠と追い続ける宿命にある。
いわゆる「営業」という業務である。ここで私は「営業学修士」という学位を独自で設定したいと思う。この学位の取得をもって、私は「営業」という仕事から、別の職種に移ることとする。卒業要件は以下の通りである。
つまり、本社から求められる4種類のノルマのうち、少なくとも3つを80%以上達成すれば卒業できるということだ。もちろん、これはあくまで「卒業要件」に過ぎない。自身の「学び」の洗練化を目的に、首席卒業を目指していくつもりだ。
本日はここまでとする。