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アメリカへの扉

何回か僕のnoteを読んでくださった人はご存知でしょうが
僕の目標はアメリカでプロのバスケットボール選手になるという事。

今ではたくさんの日本人がアメリカ、海外に挑戦することが多くなってきましたが現在38歳の僕が小さいときはほとんどいないと言っても良いくらいだったでしょう。

今回はその目標の扉のきっかけとなった大学時代に起きたことを書いていこうと思うのでお付き合いいただけたら幸いです。

■夢ではなく目標

色々な人の考えもあるし素晴らしい言葉ではありますが
あえて僕は夢ではなくて目標と言わせてください。

僕は対して頭がいいとは思いません。
なので夢と聞いてしまうと漠然とそのモノが大きすぎてそこに対してどうアプローチしていいものかもわからず遠いものとして思ってしまいますし、少し現実離れしてしまう感じが僕の中にとても感じていました。

なので自分が何かを達成したいものがある時僕はそのモノを夢とは言わずに目標と呼ぶようにさせていただいています。

プロの選手時代もコーチとして活動している今でもありがたいことに講演をさせていただくこともあります。
その時によく夢についてのお話しを求められるのですが、その時も僕は目標と言わせて頂いています。

夢を持っている人が偉いとも思わないし、日々暮らす中で自分の目標をもてたらすごい有意義になるだろうなと僕は思っています。それがたとえ小さなことでも

少し長くなりましたがまずそのこと書かせて頂き目標への扉の話をさせていただきます。

■大学バスケ部入部テスト

まず僕が最初に経験したのは大学の部活に入部するためのトライアウトでした。

僕は大学を一浪し、一般入試で全国でも強豪とも言える大学に入学しました。
そこに決めた理由はアメリカに行った時にトレーニング、カラダのこと栄養も含めて自分ひとりで出来ないとだめだと思うからそのことをしっかりと学ぶことができそうな学部があるところにしました。

もちろん俗に言う体育会のバスケットボール部に入部する気満々でしたが僕が入学したときはバスケットボール推薦という全国でベスト8以上になったものが選ばれて入部できるような形の人が10名以上いて新入部員が推薦以外はいらないと考えられていた年でした。

もちろんアメリカでは毎年ふるいにかけられ普通にバスケットボール部に入れるわけもなく選ばれたものしか部に入れない世界です。

ですが今も日本のバスケはまだまだかもしれませんが、当時はバスケにとってはできる場所を探すことも難しく部活に入るということが自分を磨くためには必要不可欠でした。

入部のためのトライアウトを受けコーチとお話する時にまず一般ではいってしかも全国経験もないし、さらには身長も低い僕がやっていくのは厳しいと思う。もしかしたら途中でマネージャーになってもらうこともあるかもしれないがそれでもはいりたいか?と聞かれました。

この考えがいいか悪いかはわかりませんが、自分がその部で選手として活躍することよりも自分の目標を叶えるためにはバスケットボールが触れてトレーニングもできる環境を求めていたので悩むこともなく入部することにしました。

当然そんな事言われた僕は大学4年間試合に出るどころかベンチにすらはいることなく2軍の一員として部活生活を過ごすことになります。

しかし、僕は目標を叶えるための基礎練習をする場所、トレーニングをする場所として存分に使わせて頂いていました。

■バイトと教員免許

大学の体育会の部活は週6回練習がありました。
自分が2軍でも自主練もいっぱいできるし、トレーニングもできるしで自分的には申し分ない環境でやらせていただいていました。

しかし、アメリカにいくために親と約束した教員免許取得とアメリカのほんの少しの足しにしかなりませんが焼き鳥屋でのバイトをバスケ以外にすることになりました。

部活は21時位まででそこからバイトとなるとかなり時間も限られていたのですが店長さんもバイトの仲間も快く受け入れてくれて閉店の作業だけでも手伝わせていただきました。

2時位まで働いて朝1限からの授業はきつい時もありましたが、目標しか見得ていなかった僕は何も考えずにひとすらその時できることをこなしていました。

■いきなりきたチャンス

そんな2軍で過ごしていた大学バスケ部時代最後の年にめちゃくちゃ流行ったバスケメーカー「AND1」というところがアメリカからそのメーカーの契約選手と対戦するツアーが日本であり、その対戦相手を募集するというトライアウトがありました。

アメリカ!?

ってことで僕がトライしないわけないですよね笑

その時私は運悪く足首の靭帯をがっつりやってしまっているときなのですがやるしかないでしょってことでがっつりテーピングしてトライアウトに行くことにしました。

なんかめちゃでかい人もいるし、うまそうな人も多いしなんなんだここはと思いましたが大学での入部試験も経験していたしとりあえず自分ができることはやろうということで緊張しながらも受けたことを覚えております。

何人受けに来ていたか忘れてしまいましたがかなりの人数がいたと思います。
そこから15〜20人くらいに絞られ、またそこから別の日にお客さんが入る中で最終メンバーを決めるというものでした。

選考の結果は合格
で最終選考の別日に行くことが決まりました。
調子も良かったのか始まってすぐに君は大丈夫だから他の人にもチャンスあげてねと言われてすぐにコートから出されたことを覚えております。
足首のためにもかなり助かったのでそのことが鮮明に思い出されます笑

■何が起きるかわからない

最終選考の日。
クラブ?というところで行われたイベントの一つとしてトライアウトの最終選考がありました。

短い時間の中でできるアピールをしなくては行けないというのがトライアウトの難しいところでそれは大学の入部テストでも一時テストでも経験済みでした。

合格者が別室に呼ばれ

幸い僕も合格者として呼ばれることができました

しかし
そこで言われたことは

「日本バスケットボール協会の選手登録をしている選手はで試合に出られない」

とのことでした。

要するに大学のバスケ部員として活動していたらたとえ2軍の選手であっても試合に出ることはできないから合格でもできないということでした。

まじか・・・

と落ち込んでいたら

そのトライアウトでコーチをしていた方がアメリカに挑戦したいという気持ちがあるのならまた個別に連絡してくれと

!!??

その人はまだ海外で日本人が挑戦するのが僅かなときに単身でアメリカにって挑戦していた、そのときは自身も挑戦を続けていた人でした!

どうやってアメリカに行って良いかもわからない僕はまさに目標にチャレンジするための扉の前に立つことができたと思った出来事でありました。


本当に何がどのタイミングで起こるかわかないし、動かないことには何も自分には起きてこないということを身を持って知らされる経験でこれから始まるアメリカ生活もまさに自分からのアクションがなければそれは何も意味をなさないことを学ぶ旅でもあったと思います。


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