見出し画像

Style1売却後に残ってしまった多額の借金。どうやって返したのか?

初めて起業した会社、株式会社Style1は、空中分解したあとに、なんとか売却することができた。(詳しくはこちらの記事ごご覧ください。https://note.com/yutadobashi/n/n0055a7433f31)しかし借金を肩代わりしてもらって体裁を整えて売却できた、というだけで、実態としては借金が残った。それも少ない額ではない。具体的な金額は生々し過ぎるので伏せておきたいが、都内でタワーマンション一室を買うことができそうなくらいは、借金を抱え、当初完済は遠くに感じられた。だが結果として、それを3年で完済した。
「いつのまに完済したのか?」「どうやって返したのか?」と、この頃のことを聞かれることがある。確かに、Style1を売却した後の私は、明確にこれという肩書を持たなかったので、周りからは不思議に見えただろう。当の本人は、ただただ必死に、1円でも早く借金を返済すべく奔走していた。渦中は他の事を考える余裕もなかった、というのが現実だ。

◆どうやって返したのか

具体的に何をしていたのかというと、新規事業のコンサルティングだ。特に経験値もあり得意分野でもあるITのコンサルティングに、多く関わらせていただいた。例えば、社名が変わってしまったが、当時の日本コロムビアから仕事をもらっていた。他には東芝EMI、ソフトバンク、セガサミーグループ、DMMなどだ。こうした仕事は、すべて人からのご紹介で関与させてもらっていた。その企業の取引先や業務委託先からのオファーなど、これまでに関係を築いてきた人脈が仕事を運んできてくれ、営業をすることなく仕事が繋がっていった。
うまくいっている時もそうでない時も、人とのご縁や人間関係には、殊更意識を高く持ち、大切にしてきたつもりだった。だからこそ困っている時に、昔のご縁でお声がけをいただけることがうれしかった。「土橋さんに手伝ってもらいたい」という一言が、本当に有難かった。

◆コンサルティングの報酬形態

前述のように、コンサルティングの仕事はご紹介のおかげで絶えずに増えていった。時にはキャパシティを越えそうになり、お断りしなくてはならないケースも出てくるほどだった。固定でコルサルフィーをもらうような契約をしているところもあったが、中には成功報酬で結果が出るまでコンサルフィーをもらわないという契約のものもあった。立ち上げの、いわゆるゼロからお手伝いさせていただくプロジェクトに関わらせていただく時は、案件によっては成功報酬にしていた。その中の一つが、初年度で利益が数億円というところまで伸びたその成功報酬で一気に借金を完済することができ、結果的に3年で借金を完済した。
固定フィーで安定的に収入を得ることも大切だったが、自分自身の気質的に、こうしたチャレンジもやはり重要だった。特にゼロイチを得意としているので、その部分では挑戦するという判断が功を奏したと思う。

◆完済後

完済後は一気に肩の荷が下り、少しずつ仕事を制限することにした。
借金を抱えているうちは、多少無理をしても仕事をしてしまうところがあり、不摂生な生活が続いていた。家族にも我慢を強いてしまい、寂しい、と思っていたかはわからないが、不便な思いをさせていたと顧みる。
「家族のために稼がなくては」「家族に人並み以上の暮らしをさせたい」そんな気持ちが原動力となり、仕事に向かっていたはずなのに、頑張るほどに仕事一辺倒になり、家族がないがしろになる。向き合う時間は減っていき、妻や子供も不満を抱えていく…きっとどこの家庭にもあることなのかもしれないが、こうした矛盾やうまくいかない現実に対する葛藤も激しく、完済までの期間というのは、心身共に耐えた時期だった。

完済を目途に少し休息を入れたいと思い、健康的な生活を意識し、家族とも向き合えるよう時間を作った。もちろん生活を維持するため、コンサルティングの仕事をいくつかはしながらだったが、運動を始めた。学生時代テニスをしていたこともあり、運動は元々好きだった。そこで、前に書いた記事にもあるように、トライアスロンと出会い、のめりこんでいった…というわけだ。
それから5年はトライアスロンが中心の毎日となった。

借金返済ができたことは、もちろん自分ががむしゃらに働いた結果ではあるものの、それまでに築いてきた人間関係のおかげも大きかったと振り返る。
家族の我慢の上に成り立っていたことでもある。周りの方に改めて感謝したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?