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翻訳比較 ガラス玉演戯(ヘッセ)

日曜日の昼過ぎ、私はビール(と私用のノンアルコールビール)を携えて友人宅を訪問した。

彼女とは大学院時代共に机を並べ、新卒で同じ会社に入社し、その後私がパリで貧乏学生をしているときに彼女もパリ勤務となっていたという、いわゆる“腐れ縁”で繋がれた仲だ。そして、私たちがパリにいた時、私は彼女より彼女の旦那さんと頻繁に遊んでいた。

彼と私の共通の話題は映画と文学だった。私は映画には疎いので、映画マニアの彼の話をふんふんと聞いたり、一緒に映画を観に行ったりした。一方の私は、面白かった本を彼によく貸して(押し付けて?)いた。


2人の家に到着するや否や、旦那さんの方が私に「これ…」と申し訳なさそうに一冊の本を差し出した。私がだいぶ前に彼に貸したヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』(高橋健二訳)だった。そういえば彼にこの本を貸したのは私たちがまだパリにいた頃だ。そこからかなりの時間が流れていた。

私は彼にこの本を貸していたことすら忘れていた。というのも、私は当該作品(こちらではタイトルが『ガラス玉遊戯』(渡辺勝訳)となっている)が収録されている『ヘルマン・ヘッセ全集』の第15巻を所有していたからだ。訳者違いの同一作品だ。


今私の手元に2つの訳本があるので、それぞれの翻訳を見比べているが、これがかなり差がある。今日は私が特に好きな2ヶ所をそれぞれの本がどう訳しているかを比較しようと思う。

以降『ガラス玉演戯』(高橋健二訳)を「高橋訳」、『ガラス玉遊戯』(渡辺勝訳)を「渡辺訳」とする。


まずは、高橋訳では「在職時代」、渡辺訳では「職務に就いて」の章、年老いて死に近づく音楽名人と会った時のことをヨーゼフ・クネヒトが語っているシーン。

高橋訳

『君は疲れたね、ヨーゼフ』とあの方は静かにおっしゃった。君も知っている、例の、心を打つ、やさしさと思いやりのこもった声だった。
(中略)
その手はチョウチョのように軽かった。そしてあの方はぼくの目をじっと深くのぞきこんで、ほほえまれた。その瞬間ぼくは負けた。あの方の朗らかな静けさ、忍耐、落ちつきなどの一部がぼくの中に移ってきた。突然ぼくには、ご老人の心が、そして、あの方というものが、人間を離れて静けさへ、ことばを離れて音楽へ、思想を離れて統一へと回転していった心境が、ハッとわかった。

『ガラス玉演戯』高橋健二訳 復刊ドットコム

渡辺訳

『疲れてしまうよ、ヨーゼフ』と老人は小声で、君の知っている、あの感動的な優しさと気遣いに満ちた声で言われたのだ。
(中略)
その手はチョウのように軽やかだった。老人は僕の目をじっと見つめて、ほほえまれた。この瞬間僕は征服されたのだ。老人の明るい静けさ、老人の忍耐と平安が、いくぶんか僕にも移ってきた。そして突然僕は、老人を理解し、その存在が人間を離れて静寂へ、言葉を離れて音楽へ、思想を離れて統一へと転じていったことを理解したのだった。

『ガラス玉遊戯』渡辺勝訳 臨川書店

このように比べると要所要所でかなり違いがあることに気付かされる。どちらの訳が優れているかはさておき、渡辺訳の方が音楽名人(老人)とヨーゼフがより親密であるような印象を受ける。

それにしても、「人間を離れて静寂へ、言葉を離れて音楽へ、思想を離れて統一へと転じていったことを理解したのだった」の部分、とても美しいと思わないだろうか…私はこの作品の登場人物の中で、音楽名人がとても好きだ。素敵な方なのだ。


もう1箇所は、「伝説」の章、ヨーゼフ・クネヒトがある詩の一節を思い出すシーン。

高橋訳

彼はこの一時間を内省にささげようと決心し、静かな名人の庭にはいった。そこへ行く途中、突然思いついた一行の詩が彼の念頭を去らなかった。
「およそ事の初めには不思議な力がつきものである」
それを彼はひとり口ずさんだ。どの詩人の詩で読んだことがあるのか、わからなかったが、この句は彼の、心を引きつけ、喜ばした。
(中略)
「およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる」
だが、夕方になって講義の時間がとっくに終って、いろいろな他の日課を終えたときに初めて、この詩句の出所を発見した。それはある古い詩人の作にあるのではなく、彼が昔生徒や学生だったころ書いた自作の詩の一つにあるものであった。その詩は、
「では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!」
という行で終っていた。

『ガラス玉演戯』高橋健二訳 復刊ドットコム

渡辺訳

彼はこの一時間を内省にささげようと決心した。そして静かなマギスター庭園へ行った。その途中、突然ある詩の一行を思いつき、それはずっと彼の念頭を去らなかった。

 なぜならどの始まりにも魔力がついていて…

これを彼はひとり口ずさんだ。どの詩人の作品で読んだのか分からなかったが、その詩句は彼の心に訴え、彼の気に入り、今の体験にぴったりであるように思えた。
(中略)
 そしてどの始まりにも魔力が宿っていて、
 それが私たちを守り、生きることを助けてくれる。

しかし夕方になってやっと、講義がとっくに済み、さまざまの一日の仕事が終わったとき、その詩の出所を見つけた。それは誰か古い詩人の作品などにあるのではなかった。それは、彼がかつて生徒や学生であったころに書いた自作の詩の一つの中にあった。そしてその詩は次の行で終わっていた。

 それならよし、心よ、別れを告げよ、
  そしてすこやかなれ!

『ガラス玉遊戯』渡辺勝訳 臨川書店

「なぜならどの始まりにも魔力がついていて…」

この渡辺訳が、私は好きだ。より“詩的”な訳であるように感じる。

このように比べると、高橋訳の方が全体的に“固さ”があるような印象を受ける。もしかしたらそちらの方がよりヘッセのドイツ語の雰囲気を的確に捉えているのかもしれない。個人的には渡辺訳の方が好みではある。登場人物が生き生きしており、より心を掴まれるのだ。


たまに、翻訳された海外文学を「翻訳が原文の価値を損ねている」という理由で全く読まない人に会う。

全く気持ちがわからないとは言わないが、とても勿体無いと思う。翻訳には翻訳の「美学」がある。そして、私たちは翻訳により新たな命を吹き込まれた作品を日本語で楽しむことができるのだ。素敵なことだとは思わないだろうか。


素晴らしい海外文学を、素晴らしい技術と情熱により日本語に訳してくれる翻訳家の皆様に、心からの感謝の意を表したいと思う。

素敵な体験を、ありがとう。あなたの訳は、私の心を震わせます。


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