見出し画像

物語が走り出す瞬間を楽しむために

【493】

性懲りもなくnote毎日更新を続けている。惰性ではないし、嫌々でもない。引き際を失ったとも思わない。"今か今か"とタイミングを見計らってるとかそんなのでもない。
確かに継続することについてどうして行こうか考えることは増えた。《そのとき》を考えながらも今なおヒントをきっかけに文体や文字数などに変化をさせる。書き方のスタイルはこうやって積み重ね磨くことが出来る。
1ヶ月前からこの頃書いているようなスタイルへと変化した。そうしてごく自然にシフトチェンジして今に至る。

主人公や登場人物が存在する小説やエッセイをメインに書いていると、物語の中に入り込む様にそれはまるで憑依したかのような感情になり書く筆が止まることはほとんどない。

1つのワードやシーンを元に文章を書くことが多い。
”この言葉を文章にしたい”
”このシーンを描いてみたい”
”文章をこの文末で仕上げたい”
と。
毎日毎日書いていることで書くことのヒントになるものが目に入る様にアンテナが高くなっている。意識的ではなく無意識に。それが感覚を磨いて、それを文章に落とし込むから習慣になっていく。

以前はスマホで書くことが多かった。それを最後に仕上げてパソコンで投稿する。今はパソコンで改行もせずに文章を書ききってから構成をスマホで変えていく。出来ることと出来ないことがそれぞれあるのは若干手間ではあるけれどこれも慣れだね。
きっとnoteを読む人の大半はスマホじゃないだろうか。だとしたら、どうしたってスマホからの視点って欠いてはいけない。これは今やどのWebサイトにおいてもブラウザとスマホ双方の見え方を確認しないとならないでしょ。
読みやすいものを書くことが《読んでもらう》ことの第一関門だから。多少の見直しはもちろん投稿前には必須。誤字脱字はどれだけ確認しても後から出て来る謎現象だ。
スキをつけてもらったときに再読すると発見する「あれれ」状態は頻繁にある。それと同じようにこの頃になって(遅いですよね)意識していることがある。

それが推敲すること。
一度書ききった文章を練り直す自分自身と向き合う時間。言葉の配置や表現はこのタイミングで変わることが増えた。一人称よりも三人称が多めの小説やエッセイはここで誰の声なのか、誰の気持ちなのかを整える。自分で物語を複雑にしている感は否めないこともあるけれど推敲の時間あるから一旦落ち着くことは出来る。

もう1つがプロット。この文章で何を表現したいか、伝えたいかを軸に構成を立てていく。
だいぶ長い間、僕の書き方はプロットなどなく書いていた。流れるままに感覚のままに。これに関しては先ほどの推敲で整えることも出来るけれど、要点を3、4つ立てるだけでだいぶ書き方が楽になっている気はする。
踊る様に文章を書いてはいたけれど、締め括りの段階で行き詰まることって結構あったのが正直なところ。綺麗にまとめようと思うこともそうだけど、《これがこの文章で伝わって欲しい》というベースがあるのとないのでは言葉に宿る想いも違うかなと思っている。

そもそも基礎などないところから文章を書くことをはじめてみた。文章は読まれることで成長する。読んでもらっている意識を持つと工夫するし、丁寧になる。

単なるメモではなくそこに確かなメッセージを込めることで遠く離れた誰かに向けた手紙の様にもなるだろう。
文章は書き手の個性が表れるよね。どうしたってそれはニュアンスや癖として滲み出る。だからそのひとりひとりに書くことの意味が生まれる。

こんな話は基礎中の基礎。今更ながらこうしたことでさえも意識しながら僕の書く文章は成長し磨くことが出来ると思っている。

どんなに時代が巡っても音楽が新しいものが生み出されるように、文章も毎日このnoteの世界だけでも新しいものが生まれている。それはきっと書き手の数だけ視点があって感覚があって描く物語があるからだろう。
だからこそ多くの人に届けたい欲は湧いて来るし、それがエナジーになる。そしてただ届くのではなく心の奥底へと沁み込む文章を書けるようになれたらと強く思っている。
時折起こる物語が走り出すような、主人公たちが動き出す感覚も大切に。書いている自分と文章の世界の中の自分と”伝えたいもの”を確かめながら。


この記事が参加している募集

noteのつづけ方

noteの書き方

サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!