見出し画像

「Life is Strange: True Colors」感想:人間の内面に強く迫る、「自分の居場所」を見つける新しいライフイズストレンジ(ほぼネタバレなし)

※物語の核心に迫るネタバレはありません。一方、そうではない部分のスクリーンショット、ゲーム序盤に関する内容についての記載、ゲームトレーラー、Steamストアページに公開されている内容についての記載があります。


「Life is Strange」シリーズ最新作

2021年9月10日にグローバル向けで発売された本作。
2022年2月25日、日本語翻訳版が国内でリリースされました。

あの「Life is Strange」シリーズの最新作。
シリーズの大ファンとして、すぐにプレイし、翌26日には、DLC含め全エピソードをクリアしました。
過去のLife is Strangeシリーズおよび、開発会社であるDONTNOD Entertainmentによる、Life is Strangeとは異なる選択型アドベンチャー「Tell Me Why」もプレイしていた私としては、久々のシリーズ最新作をとても心待ちにしていた作品でした。

※ちなみに、本作はDONTNOD EntertainmentではなくDeck Nineの開発した作品です。

Life is Strange 2Tell Me Whyでもnoteに感想を書きましたが、このゲームでもプレイしていて思うことや過去作との比較が出来ると思ったので、同じく感想を書いていこうと思います。



変わりなく安心なシステムと、確かに進化しているビジュアル、コンパクトなボリューム

ゲームとしては、過去のシリーズと操作性、システムはほぼ差は無いものでした。キャラクターのビジュアルはもちろん進化していましたが、それもFF7がFF10になるような劇的な変化ではありませんでした。とはいえ、Tell Me Whyで感じた背景の景色の美しさは健在であったと思いますし、キャラクターの目、眉、口元などで表現される表情は非常に細かくなったと思います。これは、このゲームが人間同士のドラマであるという部分からも魅力的な部分であったと思います。特に、大事なシーンの表情の細かな描写は、素晴らしいものがありました。

ゲームシステムは変わらず、場面ごとにキャラクターを動かして様々なオブジェクトや人にインタラクトし、情報を知ることで物語や世界観、舞台である町の背景を知っていくものです。ここはこのシリーズの特徴でもあり、相変わらずの細かさ、と豊富さ、非常に丁寧な描写でした。

豊富なインタラクト

過去のシリーズと少し異なっているなと思ったのは、全体的なボリューム感と操作/ムービーの割合です。それは物語の舞台の違いもありますが、本作はやや操作できるエリアがコンパクトであるとともに、過去作よりも、操作ではなくムービーのパートの割合が多いように感じました。どちらかというと、操作できる映画/操作できる海外ドラマという感じです。

これはもちろん、アドベンチャーゲームであるという部分から過去作もそうではありましたが、個人的にはややその印象が強かったです。

操作できる舞台が限られている…というか、特定の町でほぼ完結するため、前作のロードムービー的な目まぐるしい場面転換はありません。
限られた人間関係の物語であり、舞台も限定されていることから、全体的に「地味」な印象は拭えませんでした。当然これは、「派手」なゲームのほうが優れているということを意味しません。

しかし、派手さやドラマチックな場面転換を期待すると、肩透かしを食らうかもしれません。後述しますが、主人公の能力も、過去の「時間を巻き戻す」や、「物を操作するサイコキネシス」のような派手さが無いので、余計地味な印象に拍車をかけています。

プレイ時間も、私のプレイでは初代Life is Strangeの半分~3分の2程度。そのため、2日でクリアできたとも言えます。
これをボリューム不足と捉えるかコンパクトになったかと捉えるかは人それぞれだと思いますが、私は「十分物語は楽しめたけど、もう少し掘り下げることが出来る部分を掘り下げてくれたら、より高い評価だったかな?」という感想です。

全体的に、過去のLife is Strange作品より、主人公の能力やボリュームの面でTell Me Whyに近いな、という印象でした。なので、もしかするとTell Me Whyを遊んでいない方は、ちょっとびっくりするかもしれないなと思いました。



Life is Strange: True Colorsの物語

ゲームは、とある超能力を有する主人公のアレックスが養護施設を退所し、兄であるゲイブに会うところから始まります。何らかの理由により親元で暮らしていないアレックスが、兄と一緒に暮らす。そんな導入でした。暮らすのはコロラド州の山奥にある町『ヘイブン・スプリングス』。田舎町です。

アレックスは、どちらかというとちょっと控えめな女の子。他人とのコミュニケーションは取れるものの、どこか達観しているような印象です。喜怒哀楽も激しくありません。初代のマックスと似たフィーリングでした。

アレックス

アレックスはこの町で様々な人と出会い、交流していき、平凡な生活を送る…予定だったのですが、ゲーム序盤にて、兄が死んでしまいます。その死の原因にはどうやら、この町に根付いている大企業が影響しているのではないか…。真相を突き止めるためにアレックスが奮闘する…というのがこの物語の核となる部分です。

過去作と同様、このゲームは超能力が物語のポイントとなります。本作、主人公のアレックスは、「他人の感情・喜怒哀楽を読み取る」「他人の考えていることが分かる」という能力を持っています。

時には、強い負の感情に影響され、自分を見失ってしまうような危険な力。その力を用いて、アレックスはこの町の秘密と戦っていきます。



本作における能力について

アレックスの能力は、人の心の強い感情を、視覚的に見ること、感じることが出来ます。ゲーム中には「対象の人物がなぜその感情になっているのか」を調べる作業も多々あり、それを知ることおよび会話を行うことで、感情を落ち着かせたり、事態を解決させるのです。

怒っている人は赤いオーラで包まれている
「心の声」も聞くことが出来る

この能力は面白いもの…ではありましたが、やはり過去のLife is Strangeシリーズに比べると地味であるというのは否めないというのと、ゲーム開始時にはアレックスにこの能力の経験がある程度あったというところもあり、ゲームにおいて非常に重要なポイントであったかというとそうではないように感じました。ゲームとして、町の住民との関わりとその結果が重要なため、それを円滑に進めるためのツールとして存在する、そんな印象です。

能力を使うことによるデメリットが強力に演出された初代Life is Strange、能力の使い方ひとつで大きな事故も起こせると同時に、能力は主人公ではなく弟に発現したLife is Strange2。それらに比べると、そのあたりのインパクトは弱いものであり、やや都合よく、便利なものとして使われているな、という印象が大きかったです。

これは、このゲームの主軸が「超能力」に置いてあるのではなく「他のキャラクターとのコミュニケーションおよび様々な決断を行うこと」にあるのが、大きな原因であると思います。

つまりは、本作は今までよりも物語が激しくドラマチック、縦横無尽に動くのではなく、より人の内面、感情や過去、義務や納得、秘密と真実、そして罪といった、目に見えない内に秘めた繊細な部分にフォーカスを当てたからこその、あえて超能力をメインに据えない構成、その結果としての地味さである、と考えました。
このゲームをクリアして思うのは、超能力で周りの環境を変えるのではなく、超能力をツールとして使い、コミュニケーションで環境を変えるのです。過去の作品とは、ゲームにおける主人公の能力の置き方、ポジションが異なるものでした。

気持ちを読み取る能力は、ちょっと地味。



「居場所」を見つける物語

個人的には、このゲームで何度か出てくる「居場所」という言葉が、このゲームのキーワードだと感じました。養護施設で育ったアレックス。親元で暮らしていない理由。兄によって得た田舎町での生活。

ゲームは、アレックスが養護施設を離れるところから始まる

「建物」という意味では家はあっても、家族という、精神的に安心できる「帰るべき家」という体験が乏しいアレックスです。
そんな中、兄に連れられて(引き取られて)生活を始めるヘイブン・スプリングスで、多くの人と関わっていきます。そして、そこが「初めて来た田舎町」から「自分の居場所」と変化していくのです。それは、決して物理的に屋根があるということではなく、町の人々との交流から生まれたものでした。

このゲームを通して感じたのは、「自分の居場所」は、待っているだけでは作り出せないということでした。

ゲームは前述の通り、アレックスの兄の死が常に話題の中心となります。それはネガティブな事件であるとともに、この町に住んでいる、兄・ゲイブの恋人、親友にも大きな影響を与えます。小さな町ですので、他の登場キャラクターも、みんなゲイブの友人です。小さな町だからこそ、一人の死は住民の誰にとっても、非常に大きい出来事なのです。

そして、兄の死の真相を確かめるアレックスの行動が、ゲイブの恋人、親友、友人たちに良くも悪くも、強く影響します。

兄の親友のライアン

私が思ったのは、「居場所」を作るということは、こういうことである、ということです。

過去作と比べると、初代Life is Strangeは学校の物語であり、常に主人公のマックスの隣には、昔からの友人であるクロエがいました。Life is Strange2は、主人公ショーンと、弟のダニエル、家族である二人の旅でした。

しかし今作は、基本的に一人です。言葉を変えれば、よそ者のアレックス一人の物語です。
昔からの友人はいません。家族である兄は死んでしまいます。

悲しい境遇の中、アレックスは真相を確かめるという目的を持ち他人に積極的に介入していきます。そしてその行動が、ただ同じ町に住んでいるだけの人が、賛成する人、反対する人、応援する人、邪魔する人、様々な立場に変わり、様々な関わりに変わります。

それぞれの感情、損得が垣間見えるコミュニケーション

私はそのように、自分に対して何らかの感情を持たれることこそ「居場所がある」ということに繋がるのかなと、プレイを通して感じました。

もちろん、全員に嫌われるのでは居場所が無いということになると思いますが、確固たる信念と熱意、理解できる目的を持ち自分から行動すること、そして何よりコミュニケーション、対話を重ねることが、自分の理解者および、居場所を作ることに繋がるのです。


マズローの欲求5段階説と重ねて思うこと

心理学者であるアブラハム・マズローが提唱した自己実現理論(欲求5段階説)というものがあります。

人間の欲求は、一番大事な土台として「生理的欲求(食べるとか寝るとか)」があり、それが確保されたら次に「安全の欲求」(危険に脅かされない欲求)が生まれ、そしてそれが整ったときに、「社会的欲求と愛の欲求」が生まれます。(それが満たされると更に高次の欲求へと繋がります)

この「社会的欲求と愛の欲求」はつまり、他人から必要とされることと、何らかの集団に属することです。動物が群れを作るようなものですね。私は本作において、この部分、「集団に属する」というところが「居場所」という言葉でテーマとなっていると感じました。

そしてこの部分は、決して主人公のアレックスに限るものではありません。

田舎町だからこその濃密なコミュニケーション。お互いがお互いを知っている関係。それは薬でもあり毒でもある関係であると思いますが、その関係が存在することで、自然と、誰もが認める(逆らわない)リーダー的な人が生まれたり、逆に何らかの疑いをかけられた人は町全体から一様に疑われているような感覚に陥る。住民という母数が少ないからこそ、人間関係が濃くなるのです。住民にとっては町という存在が唯一の「居場所(属する場所)」となっていると感じました。

都会であれば、仕事、学校、趣味、その他いくつかのコミュニティに分かれ、例えば職場ではあまりコミュニケーションを取る人はいないけど趣味では友人がいるとか、その逆もあり得ます。
少なくともこのゲームの舞台であるヘイブン・スプリングスという町では、それぞれの住民が…言葉は悪いですが相互に作用し、相互に監視しているような強い関係性を感じました。
強い関係性だからこそ、結束は固くなることもあれば、恋愛や過去の話で力関係やトラブルが起こりやすかったりします。また、秘密を打ち明ける相手に乏しいという状況でもあると感じました。

ともあれ、これらの状況は社会的に何らかの集団に属したいという欲求が根本にあり、だからこそ既に存在する、自分の属している集団を変化させたくないという気持ちが、総意となりやすいのかなと感じます。
急にその集団に入ってきた人間(アレックス)は、少しずつその人間関係に変化をもたらしていきます。人の死という大きな疑惑を追及するとともに、「人の気持ちが分かる」という能力で、住民が他人に隠している怒りや悲しみといった本心を刺激したら…。さらにそこに、地域に根付いている大企業に何か関係している疑いがあったら…。

文字通り、「波風を立てる」アレックスに対して憤るや困惑する人もいれば、アレックスと対話を繰り返し理解する人もいます。信じる人も、信じない人もいます。これは、是非ともゲームをプレイして、どのような話、どのような過程と結末かは体験していただきたいのですが、しかし私は物語が進む「過程」そして「結果」において、はっきりとアレックスの居場所が生まれているのを感じました。

そしてそれは、アレックスに対する扱いが「町に訪れた新人」ではなく、「喜怒哀楽をぶつける相手」と変化していくことと同義でした。
本心、事実、秘密。ある意味で超能力というずるい手段を用いながら、それらについてコミュニケーションを重ねることが、いわゆる他人行儀でないコミュニケーションに繋がります。

その結果として、アレックスは町に来て日が浅いながら、町に変化を起こす手段へのアクセス方法、つまり暗黙の了解を疑う可能性、既成事実を疑えるという「変化を起こすスタート地点」に立つことができたのかな、と感じます。

「居場所」という環境を得たこと、アレックスを「ここにいてもいい人物である」と認めてくれる人(理解者、協力者)がいたことこそが、物語を進める力となっていたと思いますし、ただの住民であった彼らを、アレックスの理解者、協力者とレベルアップさせたのは、アレックスと彼らのコミュニケーションによるものでした。

「適切なコミュニケーション」から信頼関係が生まれ、それによりアレックスが「田舎町というコミュニティに属する」ことを自然・無意識下に許可され、最終的に「コミュニティに大きな影響のある事柄」への道筋に繋がる。

本作ではこの流れが、特に丁寧かつ自然に表現されていたと思います。
そしてそれがコンパクトな物語でもスピーディーかつ違和感の無い進行になっているのも、「対話というコミュニケーションに『相手の気持ちや考えが分かる』という超能力を有したアレックスだからこそ」という設定がありました。

本来はそう簡単に他人に伝えないこと。そこを的確に刺激するからこその、コミュニケーション、関係構築の特急券。過去作と違い、地味な超能力がそのようなコミュニケーション円滑化といった使われ方をされているからこそ、本作の鍵が住民との関わりとなっています。そして、だからこそ「この町に存在するとある真実」が、物語にとって最大のインパクトを有するものになっていると感じました。



自分一人の責任で済まないからこそ悩む選択肢

本作も、過去作と同様に非常に決断に悩む選択を迫られます。
プレイ時間が過去のシリーズより短いこともあり、単純に考えると登場キャラクターに対して感情移入させられる文章やシーンが少なくなっていると考えて間違いないと思います。

それはつまり、プレイヤーにとって「特に思い入れが無いからどっちの選択肢でもいい」という判断を生みかねません。
しかし、私の主観ですが、本作はむしろ過去作よりも様々な選択に対して「頭を抱えるほど」「思わず席を立って考えるほど」悩みました。悩む回数が、過去作より多かったような気がします。
その理由はおそらく、前述の「居場所」についての印象および、住民とのコミュニケーションが影響していると考えました。

個人的な印象として、重要な選択肢において悩んだ理由が「選択の結果発生する事象が、主人公のアレックスより他者に影響がある」というような感覚が多かったように感じます。

つまりは、AとBの二択のうち、Aを選ぶとCさんに迷惑がかかり、Bを選ぶとDさんに迷惑がかかるとか、Aを選ぶとアレックスの目的に近くなるが住民に迷惑がかかる、Bを選ぶと目的から遠ざかるが住民に迷惑がかからない、など、選択による影響が「他人」に及ぶことが多かったと感じたのです。

ライフイズストレンジ2のときもそうですが、あのときは主人公のショーンに主な影響がある選択肢より、弟のダニエル、つまりプレイヤーが操作していない他者に影響がある選択肢ほど、悩みました。

本作でのこれらの選択が難しい理由である、影響がある他者というのは、当然ながら町の住民です。

「自分の目的達成のため」に、彼ら住民、またはそのうちの誰かに対してネガティブな影響のある選択肢を選べるか。もしくは、2人いる関係者がいる中、どちらを選んでも片方にプラスで、もう片方にマイナスの選択をどうやって選ぶか。
自分の責任で済まない問題だからこそ悩むものであり、この視点からの「選択の悩み」は、自分が能力を使える初代ライフイズストレンジとは異なる点でした。

また、クロエやダニエルといった、主人公ととても距離の近いキャラクターがいた過去作に比べ、アレックスは引っ越してきて日が浅い身。いわば多くの登場人物との関係がフラットな状態です。

そこから関係を構築していく…どのように構築していくかにも選択肢が存在するのですが、とにかくそういった関係構築すらプレイヤーが主となって一から行っていくからこそ、なおさら彼らへ影響が生まれる選択肢は決断に迷う。
このデザインが本作の最大の特徴であり、悩ましい選択肢を更に悩ませる、アドベンチャーゲームとしての高い魅力であると考えました。



教科書的でないキャラクターが生むリアルさ

詳しく話すとネタバレになってしまうので曖昧に記載しますが、「うわ、リアルだな…」と思える箇所がこのゲームにはいくつかありました。やはり田舎町という狭いコミュニティだからこそ、言えない秘密や発露できない感情は自分の中に抑え込んでしまっているようなキャラクターがちらほらと存在し、その結果物語上その秘密の部分を知ると、非常に人間味、リアルさを感じました。

それはつまり、ゲームとして、ゲームのキャラクターとしての理想的なキャラクター像ではなく、「こんなことが起こったのだからそういう悪い感情になってしまうのも致し方ない」「こんな状況になったのだからそういう嫌な考えるのもわかる」というものでした。何が言いたいかというと、キャラクターの感情や考えが、教科書的ではない、毒を含んだリアルなものであったということです。
優しく、正義感が強く、思いやりがあり、健康で、魅力的な人間。または、その逆の人間。ゲームとして、特に本作のような現実世界を舞台としたゲームにおける人間は、そういったアイコン的なキャラクターが配置されることが多いと思います。
これがおそらく、現実とは似て非なる部分があると考えています。
我々が生活する現実では、様々なコミュニティの形成のため、さらにはコミュニケーションの円滑化のため、関係者全員が(本心からかそうでは無いかは人それぞれとして)表面上良い人でいることが常ではないでしょうか。

本作はそういった現実寄りのキャラクター造形がなされているとともに、「そんな、表面上良い人なキャラクターばかりでは波風立たず面白くない」という懸念を、アレックスの「人の気持ち(ここでは本心)を読み取る」という能力において取り払っています。

もちろん、ゲームのデザイン上、人の気持ちを読み取る能力があるのだから、もちろんみんながみんな最初から本心を常に曝け出すようなキャラクターではゲームにならないという大人の事情もあると思います。
ただ、それとは別に、「本心を心に秘める」という、現実的でリアルさのあるキャラクターの行動と、「その隠れた本心を読み取ってしまうアレックスの能力」。その2つが交差することで、物語の面白さ、現実感を増している絶妙なバランスが本作には存在していると感じました。そして、先ほども書いた通り、関係構築の促進と、選択肢の悩ましさに繋がっていると思います。本心を隠すというキャラクター造形のリアルさが、現実感を増すとともに、アレックスの能力を活かしていたのです。



シリーズ通して秀逸な、翻訳・声優・音楽

とにかくLife is Strangeシリーズは翻訳と声優さんの演技が秀逸です。具体的にどの部分が、とはなかなか説明しにくいのですが、適度な若者言葉など年齢、立場による言い回しの丁寧なセリフ、合わせてそのセリフに納得感を持たせる声優さんの技術は圧倒的です。本当にここに力を入れているというのは強く感じます。

加えて、どのシリーズも音楽が素晴らしいですね。初代のOP、マックスがイヤホンで音楽を聞き始めて、学校の喧騒が消えて楽曲に変わっていく演出は素晴らしいものでした。そして、本作でもまた、音楽の使い方が非常に特徴的でした。詳しくは言えませんが、キャラクターの心情とリンクした行動の結果の音楽演出、その上手さというか、もはや芸術的な演出は心に残るポイントでした。



過去作品は「現在から未来にかけて」の物語。本作は「過去から現在、未来にかけて」の物語。

本作を通じて実感したのは、物語における時系列についてです。
初代Life is Strange は、学校のトイレで突如時間を巻き戻す能力が発現したマックスの、クロエとレイチェル、陰謀と異常気象の物語。
Life is Strange 2 は、ダニエルにとって衝撃的な事件が発生し、そこで発現したサイコキネシス能力および、逃亡の物語。
つまりは、どちらの作品も能力が発現した「現在」から、エンディングという「未来」までの物語なのです。

本作は、ゲーム開始時点で既に主人公のアレックスに能力が発現しています。ゲーム序盤でのエピソードは、「この能力は何なのか」ではなく、「どうやって施設を出た後にこの能力と付き合っていくか」という話でした。今までのシリーズとは、スタート地点が異なるのです。

過去作は能力の発現からスタートする物語のため、過去の回想はあれどそこまでゲーム中にフォーカスされる場面は多くなく、重要性も低かったです。一方でこのゲームは「なぜ養護施設にいたのか」「親はどうしているのか」「なぜ兄が妹を引き取るのか」という過去の情報がわからないままゲームが始まり、徐々に明らかになるという仕組みです。結果として、物語上過去についても触れられるとともに、過去作と比べて、能力が過去に発現していた点も含め、過去という期間の重要性が増しています。

そして、ここがこのLife is Strangeシリーズ、選択型のアドベンチャーとマッチしているところなのです。どのような選択が発生し、どのように悩んだとしても、そこに共通しているのは「未来をどうするか」という選択です。過去についての選択ではありません。

初代は過去に戻って選択するというシーンもありましたが、それは「過去の選択を変えた先の未来について決断する」というシーンでした。時間が過去から未来に流れている以上、過去を変えているようでも決めているのは未来の変化でます。決断するのは、未来についてでした。未来がどうなるかわからない選択肢だから悩む。そこには、ある意味過去の情報は無くても良かったのです。

本作は過去の物語が不明な状態で始まります。当然、不明なままゲームが終わるわけではないのですが、そういった過去についての描写があるからこそ、現在と未来という時間についての印象がより強くなる感覚がありました。

例えるなら、「今夜何を食べるか」というのは現在の選択であり、「これから痩せたいから今夜何を食べるか」は現在から未来についての選択であり、「今まで食事制限をしてきた。今日も食事制限を続けてこれからも痩せる努力を続けたいが、そんな中で今夜は何を食べるか」というのが過去、現在、未来にまつわる選択です。現在の選択に未来という要素が入ることで選択が重くなり、さらに過去の要素が入ることで、より現在の選択の重みが増します。

過去のLife is Strangeシリーズはこの過去の部分が、現在と未来の描写に比べてやや薄かったように思えると同時に、本作では過去を描写するというその重要性を感じました。これは、シリーズの作品ではありませんが、Tell Me Whyのストーリーである、不明な過去が段々明らかになる物語と似ています。

この「過去」という物語に重みを持たせた本作だからこそ、町の過去やアレックスの未来についても重要性が強くなり、きっとそれにより、前述の通り「選択」についての大きな迷い、強い悩みを生んだのかと考えました。



「自分で選ぶから 少し人生を好きになれる」

この言葉は、本作の公式ホームページに記載されているキャッチコピーです。
この言葉を逆に言えば、自分で選択してこなかった人生が、好きではなかった、と捉えられます。

アレックスの人生は、自分が先頭に立ち何かを選択してきたことが、あまり無かったのかもしれません。
能力から考えると、人の感情を読み取れ、時にはその感情に振り回されてしまう。これももしかすると、逆に考えれば「アレックス自身は感情を出さない」または「感情を出すことが苦手」ということに繋がるのかなと、あくまで想像ですが思います。

アレックスの立ち振る舞いを見ても、例えば過去の作品だとクロエやダニエルではなく、マックスやショーンのように、ちょっと控えめなタイプ。そして、自己犠牲となりながらも誰かを助ける心優しいタイプ。だからこそ、本作の中で、もしかすると初めて「自分のため」に様々な選択をしたのかもしれません。

その結果、アレックスは自分の人生が好きになれる。目的のために頑張ったからこそ、その先の未来へと繋がる。これは、「居場所」が出来上がるように、過去の人生から未来の人生への変化を表している言葉であり、物語全体とアレックスの生き様を表した、的確なコピーだなと思いました。



DLC(特典エピソード)で知ることの出来る、初代「Life is Strange」のその後の話

このゲームに登場する主要キャラクターの一人、ステフ。彼女は「Life is Strange : Before the Storm」にも登場していたキャラクターです。
初代Life is Strangeで起こった出来事の未来が、DLC「Wavelengths(うつろい)」というエピソードに、ステフという一人の女の子の未来から断片的に垣間見えます。(steam版はDLC購入が必要、コンシューマで発売された日本語版では最初から無料で付属しているようです)

エピソードの内容としては、本作の前日譚。ステフがレコード屋+店舗内のラジオブースで働く、1年間の描写です。ゲームプレイ前でも、クリア後のプレイしても問題ありません。ステフがどのように生き、どのように町の人と関わっているのか。そして、過去の出来事…初代Life is Strangeでの出来事についてどう消化しているのか。

前日譚でもあり、初代の後日譚でもある。2時間から、長くても3時間以内には終わるエピソードでありますが、過去の作品との繋がり、ステフというキャラクターを知る機会になると思うので、とてもいいDLCであったと思いました。



おわりに

待望のシリーズ最新作は、思ったより早くクリアできたし、思ったより地味だったなというプレイフィールでした。インタラクトできるオブジェクトが多いのはいつも通りだけど、キャラクターを動かせる舞台はやや少なめ。とはいえ、町の住民とのやり取りとその感情を読み取るという能力は地味ながら物語の良い歯車となっていると感じました。

そして主人公のキャラクターや物語の構成から初代を彷彿とさせました。特に、最終章でひたすらに混乱させそれまでの物語を跳び箱の踏切版のようにして一気に展開していく物語には、久々に時を忘れるほどゲームに夢中になりました。Life is Strangeに求めていたものは、これだと唸る瞬間でした。

素晴らしいのは、本作でも見ることが出来る「世界中のプレイヤーは、どの選択を選んだか」の割合。重要な選択肢や悩ましい選択肢が、ほぼ50:50で分かれていることに、ストーリーテリングの上手さを感じます。

欲を言えば、もっと掘り下げてほしいキャラクターや過去の描写もあり、きっとそこが描写されボリュームアップすればより深く物語に浸れたのかなと思うところもあります。
兄の死に対して意外とあっさりしているとか、過去の話はもっと時間をかけて知りたかったなとか、個人的な思いはありますが、しかし逆によく端的に物語の重要な部分を伝えられているな、と思います。
そう、本作はいわゆる「遊び」の部分を削ぎ落して洗練されて無駄がない作りである分、実はその「遊び」の部分に内包されていた「ちょっとした魅力」も一緒に削ぎ落しているようなLife is Strangeなのかな、という感想です。

圧倒的傑作として君臨する初代Life is Strangeが一番シリーズの中で有名だと思いますので、そこと比較をすると、ドラマチックさには(もちろん超能力のキャッチーさの違いもありますが)、ボリューム的、派手さ的に及んでいないというのがゲームとして表面部分の感想です。

とは言え、まあ、ボリュームは別として、派手さについては本作のコンセプトが違うのでそこは優劣で語るところではありません。どちらかというと、本作はより人の内面を重要視した作品である、ということだと思います。

特に、小さな町での物語だからこそ、エピソードが進むごとに全てのキャラクターについて理解が深まり、関係性もわかってくるというのは、今までのLife is Strangeシリーズとは一線を画すものでした。
一線を画すものの、いわゆる魅力を感じる部分は同じであり、悩む選択肢と物語の盛り上がりは見事なもの。最終章の盛り上がりに関しては前作、ライフイズストレンジ2を超えていると感じます。

また、別の言い方をすれば、初代Life is Strangeをコンパクトにし、狭いコミュニティでの人間同士の関わりと、とある問題について解決する物語であると言ってもいいかもしれません。
初代Life is Strangeで例えれば、ケイトがいじめられている問題のみにフォーカスを当てて、舞台は学校の中だけとし、さらにそのボリュームを大きくして、1本のゲームとした、というような感じでしょうか。もちろんそうなるともともとの初代Life is Strangeのほうが色々な展開を経験できる分驚きや悩みが分かりやすく表現されますが、本作は初代Life is Strangeに比べより狭く深くキャラクターそれぞれについて理解できる作品となっています。

初代Life is Strangeでは、キャラクターの性格等、マックスとクロエについては深く理解できますが、一方で他のキャラクターはやや影が薄くなっているのは否めないと思います。その部分、つまり主要キャラクター以外のキャラクターについては、本作の描写は非常に優れており、だからこそ舞台は狭く、かつ物語は深くなっているのです。そう、過去のシリーズに比べて、本作はキャラクターの描写が狭く深くなり、だからこそ選択肢の重みが大きくなっている、新機軸のLife is Strangeであると言えます。

どうしてもLife is Strangeには、初代のようなダイナミックでドラマチックな話を期待してしまうところがありました。これはシリーズファンの方の中にも同じ考えの方がいると思います。
そうなると、本作のちょっと地味なところはかなり挑戦的であると思います。現状、グローバルな評価は高いものの、やはり初代には及ばない、といったところです。
しかしその分内面の描写と、キャラクターの表情の描写は格段にレベルアップしていると間違いなく言えるので、今後のLife is Strangeの展開がどのようになっていくか、次の作品や新規IPでどのようなアドベンチャーが遊べるのは非常にわくわくします。

私は初代で受けた新鮮さと衝撃、before the Stormでの非超能力でも形成されたナラティブな物語、2における超能力を使える弟を連れた逃亡劇というもどかしいながらも胸を打つ物語、全てに感銘を受けています。
そして本作も悩み、決断し、夢中になりました。
超能力が地味であったり、物語を進めるための便利なツールとして使われており、少し存在感が薄いことはあれど、つまるところ超能力頼りでない物語構築でも十分面白さを作り出せる開発の力を感じました。超能力が何かが問題ではなく、あくまでそれはナラティブな物語の一つの要素であるというだけのことなのです。

Life is Strangeシリーズが今後どの方向性に進むのかはわかりませんが、少なくとも初代のような超能力中心に物語が感じではなく、より人間ドラマを濃くするように舵を切る可能性は十分にあるのかな、と思います。それは、人間同士のやり取りという、普遍的な、いわばゲームとしての地力を鍛えるようなものであり、超能力という派手さに頼らないものであると考えます。
能力によって当たり外れの差が大きくなる作品ではなく、人間同士のやり取りの魅力がより増していくアドベンチャーゲーム、Life is Strange。
そんな未来は、非常に楽しみです。

過去作を知っているからこそ、本作を楽しめ、さらなる未来の作品も楽しみになる。そう、この時間軸の大事さは、まさに本作をプレイして感じたことと同じです。

様々な形となり、マンネリ化せず挑戦を続けているLife is Strange。これからもずっと追い続けて、楽しみ続けて、心に何か感じていきたい。そう考え、きっと製作されるであろう次回作を楽しみにしていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?