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Jリーグ 観戦記|絶対公理|2020年J1第17節 湘南 vs 清水

 パンチャーで紙に穴を開けたかのように、僕の一日に忽然と空白が生まれた。午後の昼下がり。用事を終えた僕は横浜にいる。開いた穴は何かを通すために生まれた。思考をジャグリングさせる。秒の逡巡を経て、平塚へと足を踏み出す。灰色が支配する空を見上げ、駅の階段を駆け上がった。

 湘南ベルマーレと清水エスパルスの一戦に思いを馳せながら、東海道線の車窓から流れる風景を見つめる。土地が広い。そして、高いビルが少ないせいか、雲が立体的に映る。

 平塚駅へと降り立った。駅前商店街を抜け、平塚駅とスタジアムは一直線で結ばれる。道筋の簡潔さに触発されたかのように、心の羅針盤もスタジアムを指し示す。灰色に支配されていた空は卵を割ったように黄色が徐々に差してきた。

 Shonan BMW スタジアム平塚の傍に広がる緑地のベンチに座る。太陽の光が顔面を照らす。眼は閉じる。子どもたちのはしゃぎ声。トンボの優雅な舞。鳥のさえずり。太陽に身を任せながら、僕は何もすることがない贅沢を味わい尽くした。秋風が身体から浮かんだ火照りを拭う。

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 木々に囲まれた道を抜け、キックオフの三十分前にスタジアムへと入場した。場内にはジョナス・ブルーの歌声が緑地に流れた秋風のように、透明感のある空気を醸す。新たな幸福をJリーグが日常に運んでいる。この風景は日本にしか存在しない。マグに注いだばかりのコーヒーから立つ湯気のように、穏やかな高揚感が僕の全身を包む。

 ライトグリーンとオレンジ。眼にも鮮やかな対比と同様に、試合も生命感にみなぎっていた。この世に存在する多くの物事は「生き物」になぞらえることができる。この一戦も血の流れる生物のごとく、刻一刻と様相が変わる。

 清水は後方からの組み立てに固執した。サイドへとボールが流れる、狙いを見定めたかのように、湘南はその瞬間を逃さない。瞬時に複数人で相手を囲み、ボールを奪い取って速攻へとつなげる。得点が事象への適応に成功した証であるとすれば、清水からはその姿勢が感じられない。そんな印象を僕は抱いた。

 川が流れるように、ピッチ上に生じる隙間に湘南の齊藤が侵入して潤滑油のごとく、攻守を連結させていく。その様子を視線が追いかける。その視界の隅で、清水はサイドから中央へと通じる一本のか細い線を見つけた。本線と側道。通されたボールは前線へと運ばれる。試合の趨勢が変わった瞬間だった。

 最適解を進化させようとする清水の手は止まらない。中盤を経由させると、ボールは重力に従うようにして湘南陣内に生じた空所を埋めていった。ゴールへとつながる糸口を見出し、清水は試合に自らを適応させた。

 常に変化する世界の中、そこに介在する歪みや矛盾を超越する存在がいた。ジュニオール・ドゥトラだ。自然摂理を無視するかのように、中央で囲まれても、不利な体勢であっても、ボールとゴールの間に存在する距離を縮めていく。相手を意のままに操るフェイント。後頭部に眼がついたかのようなパス。彼が躍動する姿は世界と切り離された、ゴールを創造するために前提として存在する公理のようだった。

 不振の起爆剤となり得る値千金の勝利。静寂に包まれる中、ピッチの上で清水の選手たちが歓声を上げる。この試合の色彩と同様に、鮮やかな対比が脳裏で重なった。

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湘南 0-3 清水

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