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書評|蜜蜂と遠雷

 恩田陸の『蜜蜂と遠雷』は僕を過去の記憶へとつなぐ。時は二〇一五年九月。妻となる当時の彼女と、僕は午前中の羽田空港で落ち合った。行き先は決めていない。羽田で待ち合わせたのは、可能性が無限に広がっている事実を肌で感じたかったからだ。未来を自由に描くことができる。僕はそう実感したかった。

 浜松を行き先として定めた。遠いようで近い。そんな思いを抱え、日常の律に変化を加えた。猛然と流れる車窓の風景。陽が昇る遠州の街。当地で開催されている「浜松国際ピアノコンクール」の看板が視界に入った。偶然の邂逅。一日は空白だ。僕たちはそよ風に運ばれるようにして、会場のアクトシティ浜松に流れ着く。

 シャンデリアから降り注ぐ、柔らかな光に包まれたホール。木目のステージや席が光沢を写す。荘厳であり、軽やか。この雰囲気は異国の聖堂に近い。

 観客の拍手を合図に旋律が身体を包む。眼を閉じ、身体が浮遊した。一つ一つの打鍵が波のように体内を流れる。同じ曲ではあるが、演奏者によって響き方が異なる。角を感じる音、丸みを帯びた音。有色と透明。質感と量感。ピアノが放つ音の飛沫に身を任せた。鮮やかな記憶だ。

 『蜜蜂と遠雷』はその記憶を蘇らせた。僕が体感した音は「海」「雨のしずく」「発情」などの生きた形容詞が核を捉える。「天から降る音」と眼にし、僕は意識の唸りを止めることができなかった。

 この作品はピアノコンクールの物語でありながら、人間の生き様を読者に問う。言い換えれば、素晴らしき音がいかにして育まれ、世に放たれたのか。その深層にも光が当たる。

 風間塵、栄伝亜夜、マサル、高島明石の四人は他者が持ち得ない、それぞれの個性を奏でる。根底に流れる、ピアノへの最上級の愛。尋常ならざる鍛錬に裏打ちされ、彼らのルーツ、思い、葛藤、信念などが花を開いていく様は圧巻だ。

 突き詰めれば、人間は肉と皮でできている。しかし、奏でる音色は演奏者の心によって変化する。器としての人間。その器に何を注ぐか。本作はピアノを題材としている。しかし、ピアノに限らず、未来への希望を持って経験を積み、愛情を傾ける「何か」を通じて自己表現できることの素晴らしさを感じずにはいられない。特に挫折を経験した栄伝亜夜にとって、彼女の成長、再生、自己発見の旅はその素晴らしさを凝縮している。

 主要な登場人物たちは紛れもない天才たちだ。しかし、その天才たちを客観視し、彼らを支える第三者の眼が物語の感度を至高へと高める。審査員、友人、ステージマネージャー。その眼は万華鏡のように変化し、最良の情景を読者に届ける。

 その中でも、読者の目線に近い、サラリーマンの高島明石を支える妻の描写は必読だ。万雷の拍手に包まれ、泣き顔の妻がそこにいる。僕は涙を流した。芽が出るように、肌からじんわりと。

 どれほど体内の琴線を意識し、鳥肌が立ったことだろう。美しき旋律を鳴らす、恩田陸の文体。音楽的な文章は他にも存在する。しかし、壮大なピアノ協奏曲を読みながら満喫できる作品は『蜜蜂と遠雷』だけかもしれない。


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