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食レポ|味一のチャーハン

 チャーハンを食べることでしか、満たすことのできない欲がある。長い目で見れば、身体にダメージが残りそうな塩分。細かく刻まれたチャーシューがまとう刺激的な味わい。細かな粒子が吸い寄せられるように集合体を作り、口へと運ばれると食感のエンターテインメントが始まる。僕はチャーハンに対してマニアックな愛情は注いでいない。好きな食べ物を訊かれても、チャーハンと答えることはないだろう。しかし、この料理に対してそれなりに確かな愛情は持っているつもりだ。

 待ち焦がれたチャーハンを口にした。僕は目黒駅から権之助坂を下り、大鳥神社を前に左折する。湿った風が僕の頰に触れる。十分程度は歩いただろうか。左に曲がり、交差点の角で窮屈そうにその店は構えていた。「中華 味一」。目的の店だ。居酒屋のような外観を前にして、扉の隙間から店内をのぞく。空席を見つけ、店内へと足を踏み入れる。八畳ほどのスペースだろうか。カウンターへと通される。料理からほとばしる油が店内の隅々までこびりついた匂いがする。教会で静謐なオーラが漂うように、ここにもまた食欲がそそられる空気が店内を支配する。食べ物を口にする前だが、僕の食欲はすでに満たされ始めている。店員が水を差し出す。迷わずにチャーハンの大盛りを注文した。

 フライパンが甲高い音を放つ。協奏曲の前奏は打ち鳴らされた。カウンターからは厨房に立ち込める湯気が視界に入る。茶色く濁った白い壁が眼の前にある。当てもなく視線を向けていると、カウンターの向こうからスープを手渡される。スープは予想に反して茶色かった。ついてきたレンゲで様子見でもするかのように、いくばくかを口内へと注ぐ。味噌の味わいが口から頭の中へと拡散する。しかし、ただの味噌ではない。うまみが何層も重なったような奥行きを感じさせる。中華風でも和風でもなく、どこか無国籍な印象を与える味わいだ。

 目当てのチャーハンが姿を現す。茶色い土台に黄色とピンクが映える。こんもりと盛られた米に卵とナルトが彩りを添える。王道のチャーハンだ。待ちきれない僕は、俯瞰して右上からレンゲを入れて山を崩す。口の中へとレンゲを寄せる。ぱらぱらだ。今まで食べたチャーハンもぱらぱらだった。しかし、このチャーハンは異次元のきめ細やかさだった。その中でネギはしゃきしゃきの歯ざわりで緩急を与え、ナルトは米とは微妙に異なる弾力性のある食感で食事に推進力をもたらす。細かな粒子が弾け合う。味がおいしいのは間違いない。しかし、このチャーハンは「食感もおいしい」。言い換えれば、「五感で楽しめるチャーハン」と言える。

 旅は短くも、濃密だった。良質な音楽のように、僕は同じチャーハンでも、創意工夫をすれば発展させることができることを知った。


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