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気ままな鑑賞エクササイズ#8 萬鉄五郎「裸体美人」

1時間でnoteを1記事作る、エクササイズのような鑑賞をやっていこうと思います。記事読むだけでも、同じように時間を測って擬似体験してみても面白いかも。

<ルール>
・以下の作品をまず3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
・その後25分、書籍やネットで作家・作品について調べます。
・さらに3分鑑賞をして、再発見したことを書き出します。
・25分を目標に記事を編集します。
・気ままに不定期で続けます。

今回鑑賞する作品はこちら。
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女の人が草原に寝転んでいて、こっちを見つめてるけど・・なんか角度がね、寝転んでいる坂がこう向こう側にこう上り坂になっているような感じ・・でも、なんか変なんですよね。

背景の感じとか、顔のアオリの角度、下からこの女の人の顔を見上げているような感じだけど、この人は寝ていて、そこら辺がなんだろう・・

足の裏が見えてるほうの左足の感じと、見えてない方の右足の感じとかもなんかこうねぇ・・変な感じがしますね。

胸から下を隠してみると、なんかすごいでっかい女の人みたいにも見えるし、巨人みたいな感じ。巨人がこう山を背景にこっちを見てるみたいな・・

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上半身隠して見てみると普通に・・いや、でもちょっとやっぱりすごくこの草原が平面的ですね。壁面に模様が描いてあるような感じで、あんまり奥行きがないからそういう風に見えるのかな。

空の雲もなんか印象的で、吹き出しみたいにも見える。

あと奥の方の山の色とか、空の色とかもすごくこうなんだろうな独特の感じで、あと脇毛とかもちょっとポイントでしょうね多分。そこの左脇の脇毛なんでしょうかね、黒い影・・

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あと服も何かね、どういう風なのかなぁ?なんかツナギとか囚人服みたいな色とか形って言うかね・・上下が一体になって感じ・・着物なのかな?どういう感じなんだろうか・・

この女の人の顔なんかもすごく印象的ですよね。なんかこう煽って来てるって言うか、挑発的な感じがします。どういう感じなんでしょうかね。鼻の穴とかもすごい気になりますよねこれぐらい穴が見えてるって事は、だいぶ下からグッと見てるはずなんだけどなー・・

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・作品・作家について
萬鉄五郎
「裸体美人」1912

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・30分調べたこと

萬鉄五郎について

1885年11月17日 - 1927年5月1日は、大正~昭和初期の洋画家。

岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)出身。1907年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。1912年、岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加している。萬は、その頃日本に紹介されつつあったポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著であった。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

1912年 東京美術学校を卒業。卒業制作として《裸体美人》を提出。
- この頃の作品は後期印象派やフォーヴィスムの影響が強い。
ウィキペディア「萬鉄五郎」より抜粋
《裸体美人》は、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科の卒業制作であった。《自画像》とともにつくられたが、2点はセットではなく《自画像》は課題を与えられ、《裸体美人》は自由意志で描いたもので各々独立した作品である。在学中は優等生の萬だったが、その評点は72点と低く、本科卒業生19人中16番。萬にとっては反アカデミズムの表現であり、大学の教授陣や画壇に対する決別と、前衛であることの宣言だった。萬は卒業式に欠席し、画家の本道を貫く決意で教員免許状を受けなかったという。

《裸体美人》のモデルとなったのは、学生結婚した妻よ志といわれている。1978年92歳で死去したよ志から千葉氏は直接この絵のことを聞いていた。「家の戸板を外して斜めにして、そこに青蚊帳を敷いて、その上に寝かされた。斜めになっているからずるずると落ちて行く。青蚊帳だから肌に食い込んで痛い、それを何日もさせられた。本当に辛い思いでした」。きれいな人だったというよ志。萬は、滑り落ちるまいと頑張っている妻の姿を繰り返しデッサンしており、エスキス(下絵)がたくさん残されている。

千葉氏はこの周到に描かれた《裸体美人》を初めて見た時「おもしろいなぁー」と思った。その後、萬に引き込まれてから改めて見ても「やっぱり凄い絵だなぁ」と。絵全体、色も形もあるが、特に構図が特徴的であり、“斜めに”というところがおもしろいと言う。土沢の地形は、両側の河岸段丘が一つの特徴で、少し歩くと上がったり下りたりと坂道が多い。萬の作品にまっ平に寝ている《ねて居る人》はあるが、萬は不安定なところにおもしろ味を感じていたのではないか、と千葉氏は言う。平らに寝ているのではなく、立っているわけでもない。浮遊感がある不思議な斜めの感じ。不安定なところがひとつの魅力だ。萬には、人物に限らず静物や風景にも不安定な形がたくさんあるが、この絵がもっとも典型である。
12https://artscape.jp/study/art-achive/1213300_1982.htmlより抜粋
本図は日本フォーヴィスムの記念碑的作品として評価が高いが、萬の絵画の特徴を端的に示す代表作でもある。本人も認めるようにゴッホやマチスといった画家たちの感化が指摘される正面観の強い構図や輪郭線を多用する画面構築、背景の山なみや雲にみる造形感覚と色感、さらにどこか諧謔的ともいえるモチーフなどは萬独自のものである。ここで萬は単なる新様の模倣ではなく、自己の内的な必然に即した表現をすでに追求しているといって良い。
 黒田清輝を中心とする外光派が主流であった時代にあって、本図は極めて斬新で前衛的であり、個性的な芸術家たちを輩出した大正時代の劈頭を飾る作品として、日本の近代洋画史上重要な位置を占めている。
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/10435より抜粋


・さらに3分の鑑賞で考えたこと

卒業制作の作品なんですね。その絵が重要文化財とかになって残ってるんですね・・

で、やっぱりこうちょっと挑発的な意味合いを込めた絵なんですね。奥さんをモデルにして、戸板の上に寝かせて描いて結構それがきつかったっていうことが資料に書いてありましたけど、でもだから表情とかね顔とかは実際の奥さんと結構違うのかもしれませんね。

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この人は相当余裕そうですもんね。なんか手とかはね、折れ曲がってる感じとか、足元もそうかな、ちょっと強張っている感じがしますけど、特にこう顔の部分とか、その頭に敷いてる左腕とかの所は、かなりリラックスしているような感じがあるので、そこは結構こうなんだろうな、創作と言うか、絵としてこ意味を持たせて描いたのかなーっていう風に思います。

だからすごいそのモデルの人の頑張りを考えると、結構首から下がずっと固まっているような風にも見えるし、まあそれはだから逆に言えばこ新しい絵画の描きかたとして、いろんな角度から見えてるような、キュビズムとかのの話も少し資料にはありましたけど、パーツパーツで描いこうとしてるからそういう風に見えてるのかもしれません・・

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このやっぱり空間がちょっと不思議な感じってので、それは後期印象派とかまあその時代の絵画の流れを汲んでいると言うか、そうだったからこそちょっと卒業の時にこう挑発的な感じで教授たちとゴタついたような事っていうのも資料にはありましたけど、あーなるほどなと。

「不安定」っていう風にね、資料にはこの絵のことや萬の他の絵のことに関しても書いてありましたけども、まあそういう風にも見えるし、逆にそれは自信が・・虚勢とも言えるのかな?そういうこう煽ってる感じの裏返しとも言えるような、両方の気持ちがあるのかなっていう感じも・・

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自分の新しい描きかたを誇示したいって言う気持ちもあるんですが、でもそれが不安な感じっていうのも、もしかしたらこう両方あるのかもっていうのが、ちょっとこの絵のぎこちなさみたいなに繋がっているようで・・それはでも心地悪いものではなくて、むしろなんかこの絵の魅力になっているのかなっていうふうに思いました。

あなたにはどう見えましたか?
また次回!


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