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気ままな鑑賞エクササイズ#4 カラヴァッジョ 「聖マタイの召命」

1時間でnoteを1記事作る、エクササイズのような鑑賞をやっていこうと思います。記事を読むだけでも、同じように時間を測って擬似体験してみても面白いかも。

<ルール>
・以下の作品をまず3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
・その後25分、書籍やネットで作家・作品について調べます。
・さらに3分鑑賞をして、再発見したことを書き出します。
・25分を目標に記事を編集します。
・気ままに不定期で続けます。

ちなみに作品の選定は、今読んでいるこちらの本に出てきたものにします。
では、まず作品を3分鑑賞して、発見したことを書き出します。

今回の作品はこちら

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・3分の鑑賞で気づいたこと

窓から光が射して、何人かの人を照らしていて・・指をさしている人が画面の右側にいるんですが、誰を指してるんですかね?

光もスポットライトみたいだけれど、でも誰っていう個人を照らしてるわけじゃなさそう・・パッと目に入ってくるのは、中央にいる羽のついた帽子をかぶっている人なんですけれど、その隣の人左隣の人は、何か違う人を指差しているような・・左側にいる「この人ですか?」みたいな感じだし、一番画面左側の2人は目を合わせないで、テーブルの方を見ているし・・

なんかこう全員の目線がバラバラで、どうなんだろう・・すごくドラマチックで明暗がはっきりしているんだけれど、何をしているどういうシーンなのかがあんまり見えてこないかな。ひとつのまとまったものとして見えてくるわけじゃない気がしますね。

テーブルの上には何があるんだろう・・めちゃめちゃドラマチックなんだけど何なのかよくわからないですね。僕だったらもっとこう照明とか人の方向とか目線とかを合わせて、もうちょっと分かりやすく言いたいことを伝えようってするんじゃないかな ?

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・作品・作家について

カラヴァッジョ
「聖マタイの召命」1599-1600

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・30分調べたこと

カラヴァッジョについて

ルネサンス期の後に登場し、1593年から1610年にかけてローマ、ナポリ、マルタ、シチリアで活動した。あたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画の形成に大きな影響を与えた。
ウィキペディア「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
カラヴァッジオの描く絵は、主題は聖書や神話のワンシーンであるにも関わらず、十字架から降ろされるキリストの身体、まるでそこに実在しているかのようなリアルさがあったり、登場人物の顔の描写が人間の生々しい感情にまみれていたりと庶民にとって共感しやすいものでした。
カラヴァッジオの描く血が噴き出す過激なシーンは、上流階級の人には眉をひそめられましたが庶民には分かりやすく、ヨーロッパ中で人気を博したのはそのためです。 
OCABI Institute「アートのロジックを読み解く 西洋美術の楽しみ方」より抜粋
過激なリアリズムと強烈な明暗対比によって浮かび上がる人物の動作や表情、ドラマチックな場面演出。キリストやマリア、聖人を一般人の姿で日常の一コマのように描いた現実的な描写。カラヴァッジオが得意としたこうした写実表現は、当時としては少し生々しすぎました。
上の絵(「聖マタイの召命」)はキリストが収税人マタイを弟子に呼ぶシーンで、カラヴァッジオの出世作。日常的な空間に光と闇のドラマチックな構成を重ね合わせたカラヴァッジオお得意のスタイルです。このカラヴァッジオの様式は強烈なインパクトをヨーロッパ中に与え、各地にカラヴァッジオ主義者(カラヴァッジェスキ)を生み出しました。 
視覚デザイン研究所「鑑賞のための西洋美術史入門」より抜粋
MG:カラヴァッジオはそれに対して、イタリアの伝統である歴史画と北方の過激なまでの自然主義を融合させる斬新な方法を見出した。
カラヴァッジオはモデル一人一人にー演技する役者のようにーポーズを付け、その人物の姿をほぼ見えるがままに描いた。カラヴァッジオの絵をじっくり見ると、そうであることがよくわかります。現代人の目には出来上がった絵は写真のように、あるいは映画のように見える。カメラを使って描いた絵と言い換えても良いわけですが、実際その通りでもありました。

DH:カラヴァッジオの絵では、メンバーの固定した劇団のように、何人かのチームがモデルを務めたことが分かる。同じ人が違う絵に登場するからね。

MG:その結果迫真性が驚異的に高まりました。しかし視覚的な整合性は失われました。カラヴァッジオは役者一人ひとりを単独で撮影した後に、それらの映像をひとまとめにして場面を構成しようとする映画監督のようなものです。そのために、例えば聖トマスはキリストの脇腹の傷ではなく、そこを素通りして先のどこか遠くを見つめてしまうのです。

DH:カラヴァッジオはバラバラの人物を一つにまとめて一枚の絵に仕立て上げたけれども、そういうやり方では、角度の問題があるから、どうしても完全に一致させることができない。なんとかまとまりをつけようと願うのがせいぜいでね。カラヴァッジオの使ったやり方が、フォトショップの機能と実によく似ているのには驚かされる。 
デヴィッドホックニー&マーティン・ゲイフォード「絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで」参照

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↑カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」

「聖マタイの召命」について

収税史のマタイは、イエスに誘われ、十二使徒の一人となった人物。マタイと仲間たちが金勘定している所に使徒ペテロを伴ってイエスが現れ、有無を言わせぬ態度でマタイを指し示す。「私ですか?」と自分を刺すマタイ。丸しかし右手は銀貨の上に乗せたままだ。右上から差し込む光が場面を劇的に演出しているが、それは神の啓示を象徴する精神的光として描かれている。その光に沿って差し出されたイエスの手は、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの『アダムの創造』に描かれた神の手を模倣している。
「週刊美術館49 カラヴァッジョ ラ・トゥール」より抜粋

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ミケランジェロの『アダムの創造』の部分(神の右手とアダムの左手)

ローマのフランス人管轄教会サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会内のコントレー聖堂に掲げられている。カラヴァッジョにとっては公的な場でのデビュー作、且つ出世作であり、美術史上ではバロック美術への扉を開いた記念碑的作品である。

本作は『マタイによる福音書』9章9節にあるイエスが収税所で働いていたマタイに声をかけ、マタイがイエスの呼びかけにこたえてついていったというマタイの召命の記事をもとに描かれている。

長らく中央の自らを指差す髭の男がマタイであると思われていた。しかし、画面左端で俯く若者がマタイではないか、という意見が1980年代から出始め、主にドイツで論争になった。未だにイタリアでは真ん中の髭の男がマタイであるとする認識が一般的だが、髭の男は自分ではなく隣に居る若者を指差しているようにも見え、カラヴァッジョ作品では人差し指は第三者を指す場合用いる事、髭の男は金を支払う手つきをしており、若者は右手でその金を数え左手で財布を握りしめている事から、この左端の若者こそが聖マタイであると考えられる。

画面中では、マタイはキリストに気づかないかのように見えるが、次の瞬間使命に目覚め立ち上がり、あっけに取られた仲間を背に颯爽と立ち去る、そのクライマックス直前の緊迫した様子を捉えているのである。

本作のもっとも大きな特徴は光と影の大きなコントラストである。窓から射し込む光に照らし出された人物が立体的に描かれるとともに、画面に奥行きがでて、劇的なシーンを描くことに成功している。本作もカラヴァッジョの他の作品同様、登場人物が古代の風俗ではなく同時代の装束を着て、一見風俗画に見えることにも特徴がある。
ウィキペディア「聖マタイの召命」より抜粋

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・さらに3分の鑑賞で考えたこと

よく見ると一番左端の人物の頭の上にうっすら光輪みたいなのがあって、これがのイエスを示す輪っかと言うか、後光みたいなものなんですね。全然これは気づきませんでした。

で、誰がマタイなのか説が割れていると。
誰かを指差している真ん中の髭面の人なのか、その左の俯いている人なのかのどっちかっていう・・まあそれもやっぱりちょっとこう目線とかがバラバラだからというのもあって、分かりにくいのかなという風に思いました。

あとこの光がすごくやっぱりドラマチックだっていうところで、確かにイエスがいるとかはちょっと別にして、これが日常の中のなんでもない部屋で、日常のことをしている、金勘定しているとして、なんか照明をうまくセッティングするだけで、これぐらい劇的なものに確かになるのかもなぁ・・みたいなのは思いました。

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この絵の中でイエスの輪っか以外は、多分日常的なものばかりなんだろうから、今僕がいるこの部屋もそういう照明一つと、あと切り取り(アングル)みたいなことで、すごくこうドラマチックになったりするのかなーって思いました。

まあもちろん人の配置もすごく意識してるって言うか、ぎゅっとなってる感じはしますね。重なってるって言うか・・なんて言うんだろう、すごくリアリティーがあるんだけど、奥行きが全然なくて・・横もそうかな?人物同士がぎゅっとつまって配置されているような気もしますね。

でもそうだなぁ・・なんでこんなにバラバラでそのマタイが誰かとかが分かりにくくなっちゃったんでしょうかね。

資料には、カメラを使っていたからこそ、リアルだけど画面の整合性がなくなってしまったってのがありましたけど、何か最後にもう少しそこを調整もできたんじゃないのか・・これぐらい描ける人だったら、そこもできたんじゃないのか・・どうだったんだろうなー・・わざとそれはそういうものとして残したのか・・できなかったのか、どっちなんだろうかなっていう風に思いました。 

あなたにはどう見えましたか?
また次回!


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