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気ままな鑑賞エクササイズ#24 葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川県沖浦浪」

1時間でnoteを1記事作る、エクササイズのような鑑賞をやっていこうと思います。記事を読むだけでも、同じように時間を測って擬似体験してみても面白いかも。

<ルール3.0>
・作品を3分鑑賞して気づいたことを話し、文字起こしします。
・その後15分を目安に、書籍やネットで調べます。
・再度作品を3分よく見ます。
・5分て調査の結果や、改めて気づいたことを話し、文字起こしします。
・30分を目標に記事を編集します。
・上記の作業を1時間で完成させ、毎日続けます。
(2021.9.改定)

では、まず作品を3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
今回の作品はこちら

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・3分の鑑賞で気づいたこと

これよく鑑賞のプログラムで使っている絵なんですけれども・・葛飾北斎の神奈川県沖浪裏って言う浮世絵ですよね。よく見てるはずなんですけど・・

前に歌川広重さんの渦の絵を見た時に、少しあの北斎のうずや波の絵も参照したんですが、なんか二人ともすごく癖があるんですけど・・波とかが山みたい見えるんですよね・・

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まあもちろんこの鉤爪みたいな、鷹の爪みたいな波の様子はあるんですけど、波の盛り上がりとかが、雪山みたいななんかそんな風にも見えるんですよね・・波の塊が・・

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右側に盛り上がってるのもそうなんですけど、多少はこの鉤爪みたいなテクスチュアがついてるんですけど、真ん中の奥にある富士山とねあんま変わんないような気もするような、そういうこう硬さと言うか、ソリッドな感じもあるんですよね・・なんかね雪のちょっと溶けかかった、そういう丸みとかがありそうな・・そんな感じがするんですよね。

あと船とかも、なんかあるべきところに配置して描いてあるのかもしれないんですけど、実際にこんな波のところでこんな船はあったんですかね・・何をしてる船なんでしょうか・・乗ってる人も必死にしがみついてるのか、土下座してるみたいな感じになっちゃってますけど・・

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乗ってる人たちは、果たして何をしてるのかなーみたいなのもちょっとね気になったりしますよね。すごい身を低くして・・・まあまあ確かにこんな波じゃ立ってられないでしょうけど・・

あと3艘船があるんですけど、なんか一番左の船はこうちょっと船体が隠れてるって事なのか、一番手前の波に船体が隠れて・・でもなんかイリュージョンじゃないけどね、本当はあるべきところの船体がカットされてるような気がしますね。

なんか本当は富士山の左とかにこうもう片方の右側の船体が出てきそうだけど、それはなんかトリミングしてあるような感じもしますね。

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あと雲なのかなあ・・すごい空にね可愛い形があるんですよ。なんかね赤ちゃんか、カメとかが後両手を広げてふわって飛んでるような・・そんな形があってこれすごい気になるんですよね。

これはどっちが地でどっちが図なのかちょっとよくわからないので、こういう形の雲なのか、それともこの形以外のところが雲なのか分からないんですけど、なんかこの形がユニークで気になるんですよね・・

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・作品・作家について
葛飾北斎
「富嶽三十六景 神奈川県沖浦浪」1831-33


・調べたこと

葛飾北斎

19歳の時に勝川春章に入門し、春朗と名乗る。師春章没後、勝川派を離れ、俵屋宗理を襲名。以後、戴斗、北斎、画狂人、為一、卍老人など30余り画号を使った。40歳半ばから曲亭馬琴著の『椿説弓張月』など、当時流行した読本挿絵を多く手がける。文化11年(1814)、絵手本をまとめた《北斎漫画》を発表。70歳代に入り、代表作《冨嶽三十六景》をはじめ錦絵の揃物を次々と版行。最晩年は肉筆画にも筆を揮った。https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=3628

「神奈川沖浪裏」

「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図。現在は「神奈川沖波裏」とも表記する。横大判錦絵。「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる同シリーズ中の傑作で、画業全体を通して見ても最も広く世界に知られている代表作である。

モデルの地については様々な説がある。「神奈川沖」とは現在の神奈川県横浜市神奈川区の沖合であるが、図中の三艘の船は押送船と呼ばれ、房総半島から江戸に海産物を運ぶ際に利用されたものであるため、東京湾で神奈川の対岸にあたる木更津の沖合付近から富士を望んだという説がある。

富士山
富嶽三十六景の主題である富士山が画面中央下部に背景として描かれる。日本において富士山は、神聖であり、美の象徴とも考えられている。
本来雄大なはずの富士山は小さく描かれ、前景の大波の豪快さと対比させている。


絵の内には大波に揉まれる3艘の船が描かれている。この船は当時活魚輸送などに使われた押送船である。
船ごとに艪にしがみつく8人の漕ぎ手が居り、船首には2人以上の乗客が見え、画面内に居る人間は約30人である。人々は船の中で硬直し、動的な波との対比を見せている。


海は荒れ狂い、波の波頭が砕けるその瞬間を切り取っている。波の曲線は弧を描き、背景の富士山を中心とする構図を形作る。波頭から飛び散る波しぶきは、まるで富士に降る雪のようでもある。奥の舟と波高はほぼ等しく、押送船の長さは一般的に12メートルから15メートルであり、北斎が垂直スケールを30%引き延ばしていることから、波の高さは10メートルから12メートルと推測できる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E6%B2%96%E6%B5%AA%E8%A3%8F
大いなる自然とそれに立ち向かう小さな人間。動と静、遠と近、そこに描かれた無限に広がる空間。「グレート・ウェーヴ」として世界的にも有名な一枚である。この版図が西洋に与えた衝撃は大きく、画家ゴッホは弟テオに与えた手紙の中で激賞し、作曲家ドビッシーは交響曲『ラ・メール(海)』を作曲したことなどでも知られている。くずれ砕け、迫る大波に、弄ばれる3隻の船。これらの船は「押送り(おしおくり)」と呼ばれ、伊豆や安房の方から江戸湾に入り、日本橋などの市場に鮮魚や野菜を運搬していた。富士を背景に左に向かうこれらの船は、おそらく荷を送り終えた帰りの船であろう。灰色に暗く沈んだ空。この版では消えてしまい、見ることができないが、保存状態の良い版には、薄い黄色の空を背景とした雲も見られる。帰りの船だとすれば、夕暮れ近い光景であろうか。あたかも同じような船に乗り、そこから波と富士を見上げるイメージを北斎は見ていたのである。この「大波」に対する着想は、これより30年ほど前に描かれた「おしおくりはとうつうせんのず」や「賀奈川沖本杢之図」にすでに見ることができる。また、ほぼ同時期に描かれた『千絵の海』「総州銚子」や『富嶽百景』「海上の不二」にも、荒れ狂う大波を描く北斎の並はずれた力量を見ることができ興味深い。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246760

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・さらに5分の鑑賞で考えたこと

この船は押送船(おしおくりぶね)って言って、房総半島あたりから東京に鮮魚とか野菜を持ってった船だったらしいですね。

で、これは帰りの船なんじゃないかなんていう説が書いてあって・・だからこれは夕方の空で・・みたいな話だったんですけれども、確かにこんな波で荷物持ってたらえらいことなりそうだし・・でも、そもそもこんな波で船に出たのかなっていうふうには思いますけどね・・

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人がすごくしがみついてるところとかは、自然に対して人の存在の小ささを表すとかっていうことも書いてあったりとかですね、あとは本来大きいはずの富士山が小さく描いてあって波がすごく対比で大きく描いてあるっていう所も、確かにそうだったなという風に思ったり・・

この波しぶきの丸い・・あの白い斑点がなんか富士山に降り積もる雪のような感じになっているみたいな解説があって、やっぱり僕は一番手前の波が雪山に見えて、なんかそこに雪が降り積もってるようにもその話を聞いてさらに見えて・・

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だから奥の富士山となんかこう同じようなものが手前にもあって、ダブルイメージで描かれているような気がしたんですよね。なんか広重の渦の絵にもそういう同じ形とかパターンみたいなのが、違うもので繰り返されているみたいなのがあって、似てるのかなーって思ったりとか・・

あとその人間の矮小さみたいなものと自然のすごさの対比であったりとかっていうところで、ちょっと前に違うプログラムで見たフリードリヒの「雲海の上の旅人」っていう作品があるんですけど・・

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それも舞台は山の山頂のように見えるんですけど、これ鑑賞プログラムで人に見せると、結構波止場というか、山地の雲や霞の上にいるのか、海の波や霧なのかちょっとよくわからないと言うか、どっちにも見えるみたいな所があって・・


なんかその山と海みたいなものを、分け隔てて捉えるっていう感覚じゃないのかなあこの人は・・っていう風にその時に思ったんですよね。なんか今日のこの北斎の絵も、ちょっとそういうのともしかしたら似たような感覚があるのかなーっていう風にちょっと思って・・

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山と海の対比って言うか、対比でもあるんだけど、なんか両者は同じで、その作者にとってはそんなに違うものではなかったんじゃないかなみたいな・・

山を描くのも波を描くのも海を描くのも、なんかそこに僕たちが見ているような違いはもしかしたらなかったんじゃないのかなっていうのを、ちょっとそういうフリードリヒの絵を思い出しながら、またちょっとこの浮世絵でもそんなふうなことを感じたなあというふうに思いました。

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北斎さんは90ぐらいまで生きて、70歳に入ってからこういう富嶽三十六景とかを描いたみたいですね。だからなんか死ぬまで脂の乗り切った形で生きたんじゃないかっていう、ギラギラしていたんじゃないかって言う、そういう話もあの書籍の中に書いてありましたけど、まぁ確かにギラギラだなっていう感じがしますよね・・

なんかパワーに満ち溢れていると言うか、250年ぐらい経った今でもなんかそれがこう色褪せないの本当にすごいなと思いますね・・

あなたにはどう見えましたか?
また次回!


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