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健常者のふりはできない

※話し言葉なので音声だと思って読んでください。

最近難しいなと思ったことは健常者のふりをするということだ。どゆこと?って思うのは正常な判断だと思うが、私にとっては正常でもなんでもない。たぶん不得意なことは?と聞かれたら迷わずこれと答えるだろう。

おそらく中学生くらいから私は普通の人として生きることが難しくなっていた。何を持って普通とするかだが、、私の普通は皆さんにとっても普通だとは思わないでほしい。私の思う普通は少なくとも双極性障害ではない人だと思って読み進めてほしい。

私が中学生の頃、この時からすでにうつ病だったか躁うつ病だったかどうかは知らんけど。学校に行くということは難しかった。頑張って学校行っても周りのテンションに合わせるのはかなりハードだった。やっぱりあれはれっきとしたうつ病だったのではないかと思うしかない。

鬱の人に笑え、声を大きくなんてことは無理に決まっている。愛想笑い?腹から声出せ?できるわけがない。なんで出来ないんだろって考え始めたら学術論文に辿り着きます。それでようやく自分がおかしいことに気づく。

こういうことは何度となく繰り返してきた。コミュニティができるほど、必ずボロが出る。明るいキャラで通したくてもやっぱり暗い自分が隠れてくれない。いつも二重人格みたいな。たぶんそういうレッテル貼られてるはずだ。

それで考えた。鬱の時は家に引き篭もる。大多数の人からしたら迷惑でしかない。最近とあるドラマで障害者だからといって特別扱いはできないとか言っていた。それで思った。うわー、これ何度も言われたーって。何度も言われたこの言葉。特別扱い。

私が休みもらう時にあっさりOKもらえることも特別扱いだって思う人がいるから。そう説明された時はなんか傷ついた。ほんと自分勝手だって自分が一番よく知ってる。

あとそう、ヘルプワーク。あれつけてるからって席譲ってもらうのも、、これ以上言いません。私がヘルプマークを持っているのは席譲ってもらいたいから。ちなみに一度も譲ってもらったことはないんですけど。

でもヘルプマークつけてない時に限って電車で体調悪くなるんですよ。でも電車止まるからさっさとと降りろって言われた。もうね、存在が邪魔なんですね。なんか些細なことで傷つく。あとコンビニでバイトしてるんだけど、お客さんの態度に傷ついて遂にはリストカットしないとやってらんなくなったからやめることにした。なんでこんなに弱いんですか?

最後まで健常者として生きたかった。そういえば高校生の頃差別をテーマにした作文書いたら同級生が「いみわかんない」って話してた。私も意味わかんない。

でもいつまでも健常者とか障害者ってカテゴリ化してる私が私を差別してるだけなんだなってことは薄々気づいてはいる。

はやく人間になりたい。


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