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「障害者は生きる価値ない」という言葉

**デジタルの波に揺られて**

私たちが小学生の頃、新聞や本を読むことを強く推奨されていた。それらは正しい情報を、適切に伝えてくれる媒体だからと。

今では新聞も本もどんどん存在感を薄くし、私が働いていたコンビニでも新聞は売れないということが常識となっていた。その中でもSNSの存在は、最も大きな影響を与えたと思っている。

まだまだアナログな時代だった頃、私たちが知れる情報は限られていたと思う。悪くいれば少なすぎたということもできるけれど、よく言えば都合の悪い情報は見なくて良かった。

しかし、今では各自のスマホ一つで、誰でも簡単にアクセスすることができるようになった。そこには専門家を名乗る人だけでなく、一般人でも好きなように意見を述べ、交換し合うことができるようになった。

それらは一見便利に見えるけれど、時に人の心を傷つけ、排除しようとする圧力が存在することもある。

この記事のタイトルにした「障害者は生きる価値ない」もその1つだった。世界のどこかに存在する誰かが、第三者に提供した情報。

SNSでは、意見が簡単に共有される分、他人の考えや価値観が直接的に目に飛び込んでくる。時には日常会話の中では出会うことがない意見や批判が、目の前に飛び込んでくることもある。SNSの使い方を誰かに教えてもらうことはあるけれど、受け取った情報で傷ついた心の対処法はあまり教えてもらえない。いつか義務教育になったらいいのに、と思うことさえある。

この時代に生きる以上、「ネット」「SNS」というものから逃げることはできないような気がする。私がHSPの気質があるからか、病気のせいなのか分からない。気にする、ということに病名をつけることは難しいから。

デジタルな時代の波に揺られ、私の心も色んな形で揺れ動く。しかし、SNSが現実の全てではないこと、自分の価値は他人の評価によって決まるものではないこと。そんなことは誰に言われるまでもなく、自分が一番よく知っている。その中で、ネットの中の誰かと、自分を守るためのバランスを見つけることが、これからの時代を生き抜くための鍵となるのかもしれない。

今日この時もネットに触れ、誰かの意見を受け取る瞬間がある。私は誰かの綴った言葉に感化されないよう努力する分、その一言を本当に全世界へ放っていいものか、よく考えてほしいとも思う。

回りくどい文章になってしまったけれど、「障害者は生きる価値ない」を読み、急いで文字に起こしました。最後まで読んでくれてありがとう。

おわり。











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