見出し画像

鬼は外!福は内!

どうも、たなかです。


きのうはモットーに反して

長々と書いてしまったので

やっちまったと頭を抱えていたのですが、

ぼくの友人が書いたこの記事を読んで

ぼくの背中は、背もたれから離れました。


そういう考え方もあるんやなあと

胸を打たれたのと、なるほどのダブルパンチ。


ぼくがここで

とやかくいうのは興醒めなので

気になった方はぜひ読んでみてください。


さて。


今年も始まりますよ?!


2月3日はなんの日かわかりますか?!


わかりますよね?!


…わからへん?!


わからへんのやったら教えたろ。


2月3日というのは


翌朝の外、

各家庭から追い出された

大量の鬼で溢れかえるフェスの

前夜祭である「節分の日」です👹


2月3日


真夜中に、鬼はやってきます。


そーらきたことかと


我々はとにかく豆を投げます。


鬼めがけて豆を投げまくります。


投げまくった結果、

鬼は外に追い出されます。


鬼は絶対に負けます。


張り合うこともなく、負けます。


鬼は我々には敵いっこないのです。


完敗するしか道はないのです。


っていう話を

バンクーバーに留学していた時、

あなたの国の面白い文化は何?

というトークテーマの授業でぶっ込みました。


そしたらもう死ぬほど爆笑してくれました。


もちろん節分の翌朝の外は

鬼で溢れかえってるでっていうオチ付きで。


確かにクラスメイトは

そのオチにも笑ってくれてたんですけど、

笑点はどうやらそこではなくて、


豆で倒せる程度の相手なら

別に追い出さんでもええがな🤣🤣🤣🤣🤣

いつでも追い出せるやん🤣🤣🤣🤣🤣


でした。


そう考えると

1番の鬼(畜)は我々なのかもしれません。


と、決まった感を出して

締めようかと思ったのですが


一応、節分の話をしときますね(笑)


節分の由来は

「追儺(ついな)」という鬼払いの行事から。


8世紀ごろ宮中で

大晦日の夜に行われてたみたいです。


追儺はもともと

神様の役をした「方相氏(ほうそうし)」

と呼ばれる人が、

疫病を司る目に見えない鬼役を追い払う

という設定でした。


それも時は平安時代まで進むと

鬼を実際に追い出すスタイルになったとのこと。


でも平安時代に

豆を投げる文化はまだなかったみたいですね。


文献を紐解くと

「南北朝時代」からではないかと言われてます。


室町時代に書かれた

臥雲日件録(がうんにっけんろく)」には
#瑞渓周鳳の日記です

明日立春。故及昏景家毎室散撒豆。因唱鬼ハ外福内四字。」との記載があり、

外福は内の豆撒き文化が

庶民にも広がっていたのだと伺えます。


ちなみに豆を撒くのは

魔滅(まめ)」に通じるから。


魔を滅して無病息災を祈る意味があります。


ですから、明日は恵方巻きでも食べながら

鬼に向かって豆を全力投球しましょう。


そして翌朝は

溢れかえった鬼とハイタッチしましょう👹🤚


ノーサイドです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?