見出し画像

西の魔女が死んだ

日曜日。家で寝転びながら、青空にもくもくと浮かぶ白い入道雲を見て、あれにいちごとかメロンのシロップかけたら絶対おいしいやろなあ、とかぼんやり考えている。そういえば今年もかき氷、食べなかった。毎日のように素麺をすすり、時折スイカを食べたら、いつの間にかスーパーのお菓子は栗やらかぼちゃやらの限定商品に変わっていた。こんなに暑いのにと思ったけれど、蟬の声はもう聞こえないし、風が秋仕様になっているのを肌で感じると、2020年の夏も終わりなんだなあ、と思う。実家に居たころに聞いた、近所の風鈴の音や花火の音が懐かしい。

そんな夢から現実へ帰らないといけないときのような、季節の変わり目に読みたくなるのが、この本だ。

この本をまいと同じ中学生ぐらいのときに読んでいたら、まいと友だちになれるかも、と思ったかもしれない。まいは「扱いにくい子」「生きていきにくい子」と母親に言われるのだけど、同じぐらいの時、やはり母親に「タケちゃん、別々に暮らそう。あんたが全然理解できひん。お母さんはウメくん(仮名・弟)と暮らすから、あんたはお父さんと暮らしなさい」と言われたわたしも、十分「扱いにくい子」だっただろうから。あの時の母親は本気で苦しそうな顔で、わたしだって自分のことなのに自分が全然扱いきれなくて、どうしてこんな風になってしまったのか、なんで自分はこんなにおかしいんだろう、と悩み続けては苦しかった。


学校に行けなくなったまいは、自然いっぱいの田舎で大好きなおばあちゃんと暮らすことになる。「エスケープ」とまいは言うが、それはとても素敵で、生きるために大事なエスケープなのだ。おじいちゃんが好きだったワイルド・ストロベリージャム、マグいっぱいのミントティー、一面に咲く銀龍草、そして「マイ・サンクチュアリ」…。
優しくも強い自然に囲まれて、まいは西の魔女ことおばあちゃんによって、魔女になるための手ほどきを受ける。それはとてもシンプルだ。早寝早起き、食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい生活を送ること。そして、魔女になるためにいちばん大切なのは、自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力。

最初は何も変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何にも変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです。

一見変わらないような毎日は、きちんとひとつひとつをこなしていけば、目に見えないけれど確実にいい方向に変わっていっている。季節だってそうだ。そう信じてみると今の生活を続けるのも悪くない、と思う。

この本に初めて出会ったのは大人になってからで、今回読むのは2回目だ。まいを見ていると当時の自分を見ているようで、ああ、こんなこともあったなあ、と恥ずかしくもあるけれど、とても懐かしく思うのだ。そして「扱いにくい子」で当時どうしていいかわからず、抱えている違和感を表現する術も知らず、なぜ生きているのか悩んで苦しかった自分は、たくさんの人の力を借りながら、なんとかここまで生きていて、今は今でまた別のことで悩んでいたりもする。多分それに良いも悪いもなくて、その繰り返しなのだ。そしてその繰り返しでかたちづくる経験が、自身の財産となっていくのだろう。

「アイ・ノウ」

まだまだ生きている限り、魔女修行は終わらない。

明日から9月、また1年ぶりに9月がくるだけの話だ。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

ありがとうございます。文章書きつづけます。