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個性と社会性 〜ケーキの切れない非行少年たち〜

私は人には優劣がないと思っている。あるのは個性であり、個性に優劣はない。ただそれは最低限の社会性があって初めて成り立つものだとこらの本を読んで知った。

読んで思った感想を記載する。

生まれながらの犯罪者など存在しない

目を伏せたくなるような犯罪が発生する世の中。犯罪者はどのような倫理観で行なっているのか考えたこともなかった。生まれながら悪人であったりするのかとすら思っていた。

しかし、彼らは根っこから悪人だったわけではない。幼い頃からの「軽度の社会不適合」に原因がある。
社会性とは第一ボタンのようなもので、ここが掛け違えているとそれ以降のボタンもどうやっても掛け違えてしまう。
彼らは悪い事をしたくてしているのでは無く、「脳のメモリが少ない」「正しく物を認知できない」「目の前の物しか考えられずやるとどうなるかの想像力が足りない」ことが原因だったりする。これは先天的なものであるが気づく仕組みがあれば修正できることである。

そして厄介なのが、これらの障がいは「軽度」故に初等教育において「馬鹿な奴」として扱われるだけであり「障がい」として捉えられない。
そのため掛け違えたボタンは正されることなく勉強についてこれなくなり非行に走り、犯罪者になってしまう。
犯罪者を擁護するわけではないが、恨むべきはそのボタンの掛け違えを認識できずに放置してしまっている現代の教育に問題があるのではないか。

生まれながらの悪人はいない。人は人に施すことで幸福を得るし、人は協調することによって絶滅せずに繁栄してきた。
学ぶことの喜びも、与えることに対しての幸せも誰しも備わっている。
しかし、社会性の欠如に誰も心支えできない社会が生み出してしまった歪みが「犯罪」なのだと思う。

社会性が人としての最低限を守り、個性を培う土壌となる。

会話がメタ認知を養う

他者との会話は情報を授受するだけに存在しているわけでは無い。
誰かと会話をすることで「自己認識(メタ認知)」が向上することに意味があると私は思う。
人は鏡であり他者を見て自己を知る。やって良いこと悪いこと、見習いたいことを知る事で自分との差異を認識し、正しく物事を捉えられる。
子供でも大人でも、「会話」は必要なアクションである。
会話は他者から学ぶ場だけではなく自己認識を高める場でもある。

個の時代の弊害

個の時代が進むことで社会の包摂からこぼれ落ちる人がたくさん出てくる。

上記は某ビジネス誌での社長の一言。
個の時代が進むことは良いことだ。よりジョブ型雇用が進み、人の才能が発揮される豊かな社会への一歩だからである。
一方で才能が発揮される以前にボタンのかけ違いから個の時代の舞台にも立てない人も出てくる。
今必要なのは以下ではないかと私は思う。

・社会性の教育(軽度のハンディの取り除き):教育
・機会の均一化(機会格差の排除):地方格差の平準化
・挑戦を応援する風土(失敗の許容):キャリア

全ての人に可能性は秘めている。それを正しく伸ばすための第一歩は
排他的ではなく、競争性が強すぎず、弱者にも目を向けられる包括的で優しい教育システムが求められているのではないかと感じた。

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