見出し画像

山奥なのに「海」とはいかに??:長野県北部山間地域【災害から身をまもるvol.25】

長野県北部山間地域、今回はとある地域の地すべり地帯を見に行きましょう!

お詫びと訂正

開いたあと、ギュッと閉じる!:北部山間地域【都道府県シリーズvol.27長野県part1】の最後で「地すべり堆積物」に触れました。
今回、この詳細をお話ししようと見直したら、間違っていました(;^_^A

コメント修正

こんな感じで書いちゃってたんですが、これじゃなかったんです・・。
改めて地形を見たら、どう見ても地すべり地形じゃなくて確認したところ、段丘堆積物でした。

地すべり堆積物位置

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

正しくは図の北西部の赤線で囲った灰色の区域です。
もと記事も修正済みです。申し訳ありませんでした。


場所の確認

では場所を見てみましょう。

区分

北部山間地域は上図のです。

地域範囲

9市町村それぞれの一部地域になります。

位置図ほか

小谷村(おたりむら)の北東部、JR大糸線の北小谷駅から東へ約10kmほどの位置にあります。


どんな地すべり?

地すべりは基本的には局所的で、大地の表層での現象ですので地質図には図示されません。
ですので図示されるということは大規模な地すべりだと予想されます。
ではまず地質図を見てみましょう。

画像6

地形とよく見比べてみると、必ずしも正確に地すべり地形を示しているわけではないようです。地形図も見てみましょう。

画像7

画像8

確かにハッキリとした地すべり地形がいくつか見られます。
しかも過去にド派手に動いた形跡も・・・(;^_^A

まずはJ-SHIS Mapで地すべり地形区分図を確認してみます。

地すべり地形もと

地形図だけだと、こんな感じ。
この状態で「地すべり地形」のボタンをクリックすると、こうなります。

地すべり地形00

地すべり地形区分図:J-SHIS Mapより

うおおお。何が何だか分からなくなるほど、地すべりだらけです。


内部を詳しく

地すべり地形区分図では分かりにくいので、地形図から順を追って読み解いていきましょう。

当該地域は南北に長いので、まず南のメイン地域から見ます。

画像13

地すべり00

大局的に見ると図のように区分できます。未記入の上図と見比べてみてください。
赤点線の北東向き斜面と青点線の南東向き斜面です。これを踏まえた上で、次の図を見ると考えやすいかと思います。

地すべり01

地形図から読み取る限りでは、図のような①~⑤の地すべりが想定されます。①・②・④はもとは1つの地すべりで、後に分離したと考えられます。
③は①②が動いて足元の抑えがなくなり、動いたように見えます。

一方、南東向きの地域は地形がハッキリしません。赤点線で囲ったような地すべりはありそうですが、もとの地形はあまり残っていません。
地すべりと言うよりは局部的な崩壊があちこちで何度も起こっているようです(青点線)。

地すべり02

次は北部地域(上流)です。
ここの場合は地すべりと言うより、大きく崩れて動ききったといった雰囲気です。崩れた当時は川を堰き止めたと考えられます。
赤点線は亀裂のような地形が見えるので今後、注意が必要な区域です。

ちなみに、何か気になりませんか?
図のほぼ中央に「大海川」とありますね。山奥を流れる川なのに、「海」ってどういうことなのでしょう??


山奥なのに「海」のナゾとは?

改めて地形図を見直すと・・

大海川中海川

この地域のメイン河川が大海川で、支流が中海川なんです。
山奥の河川なのに、なぜか「海」がつく川が2つ。なぜ??

堰き止め跡

そのナゾを解くヒントはこれです。
赤点線で囲った範囲はまるで堤防のように大海川沿いにのびていますよね。
そして今でも中海川を堰き止めたようなカタチになっており、湿地が出来ています。
これは①②④の地すべりが昔、大きく動いて対岸に衝突した名残と考えられます。一時期は地すべりが大海川とその支流を堰き止め、だんだん浸食されて今の地形になったのでしょう。

画像18

3Dだともっと分かりやすいです。
大海川から50mもの高まりをつくっており、中海川は湿地の下流で滝になって合流していますね。合流点の下流の支流も以前は堰き止められていたと考えられます。

画像19

今度は断面図を見てみましょう。

画像20

右のヘコミが大海川です。

堰き止め跡_断面

スーパー地形アプリの機能を用いて作成した断面図に筆者加筆

赤点線のようなすべり面で地すべりが動き、川を堰き止めて中海川の湿地の場所に水が溜まったと考えられます(青点線が筆者想定の当時の地表面)。

堰き止め湖

地形から推定すると、このようながあったと考えられます。

ちなみにこの地域周辺には地震が原因と思われる地すべりがいくつもあるようです。ここもその時の地すべりかも知れません。

大海川・中海川はいつからそう呼ばれるようになったのか?地元の歴史を研究してみるのも面白いかも知れませんね。

お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?