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長良川上流は蛇行だらけ!:明智光秀逃避行ルートの地形・地質part3【歴史と地質:其の1】

敵が多そうな関城周辺を抜ければ、蛇行の多い長良川上流の旅になります。
長い距離になるのでどこかで一泊したいところ。泊まれそうな場所はどこに?

おさらい

長良川の戦いで敗れた後、本拠地の明智城に戻り、その後越前美濃街道を通って越前(福井県)へ向かいます。

逃避行①_市町村

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

現在の地名は上図の通り。
岐阜市から関市南部を通り可児市へ。
可児市から美濃加茂市富加町(とみかちょう)・関市を通り、これから美濃市(みのし)、郡上市(ぐじょうし)へと向かいます。


逃避行ルート②:関~郡上八幡:その2

さて蛇行だらけの長良川上流部、泊まれそうな場所はあるのでしょうか?

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真ん中あたりをよ~く見ると、蛇行が重なって平坦地が広そうな場所が見えますよね。

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このあたり一帯は平地がそこそこ広いですね。

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真ん中のこの地域は旧美並村(みなみむら)の中心部だったようですし、古くから農村があったのではないでしょうか?

そしていよいよ郡上八幡(ぐじょうはちまん)へ!

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長良川(画像左)に吉田川とその支流が合流する地域です。
合流点のやや下流が狭窄部になっているからか、吉田川沿いに堆積物がたまり、広めの平坦地ができています。

郡上八幡城

郡上八幡城という城がありますが、築城されたのは長良川の戦いの3年後だったようです。
ですので、おそらく当時はここに斎藤義龍の家臣はいなかったと考えられます。少しは安心して一休みできたかも知れませんね。

ちなみに郡上八幡の城下町、なかなか良い感じです。

風情がありますよね。これは是非行ってみたい!

ちなみに「まちあるきの考古学」という素敵なサイトで郡上八幡についての記事がありました。
その中にアクセスの説明がありましたので引用します。

JR岐阜駅から高山本線で約40分、美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換え、単線一両のディーゼル機関車に揺られて長良川の渓谷沿いを走ること1時間10分、ようやく郡上八幡駅に降り立つことができました。

なんと長良川鉄道というローカル線でディーゼル機関車に乗れるんですね!

可愛らしい車両ですので、ぜひ見てみてください。
ゆさっちさんは乗ったことあるでしょうかね?


逃避行ルート③:郡上八幡~白鳥~油坂峠

ここまで来ると、いよいよ県境が近づきます。

郡上八幡ー白鳥_地形

街道が西に曲がるところの周辺は平坦な地形が広いですね。

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アップです。
河川堆積物の平坦地だけでなく台地もあり、今までと雰囲気が違いますね。

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東に見える茶色(薄い方)は第四紀の火山で、これよりも北~北東方面にいくつかの火山性の地質が分布しています。
それらが浸食されたり崩れたりして流れてたまった堆積物が白色の地質です。上流から火山性の堆積物がどんどん流れて来るので、それらが溜まって平坦地が広くなったと考えられます。

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この地域は旧白鳥町で、やはり古くから人が住んでいたようです。

そしてこの後がいよいよ大変になります。
これまでのように長良川沿いに上流へ行っても源流になってしまい、行き止まり。しかも石川県や富山県方面へ行ってしまいます。
ですので、ここで西を目指すことになります。
長良川支流の谷沿いを登り、油坂峠を越えねばなりません。標高差は約400m

油坂峠

真ん中あたりの黒線が県境です。そして分水嶺になっています。
峠を越えた先を流れているのは九頭竜川(くずりゅうがわ)で、日本海に注いでいます。源流付近の最上流部ですし、道は険しそう。

でもここまで来れば他国ですし、追手はまず来ないでしょう。
道は険しいかも知れませんが、下りがメインになるので少しは楽かも?

もう少しだ!頑張れ光秀!!(笑)

あと少し、続きます。

お読みいただき、ありがとうございました。

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