【断層と地すべりが集う場所:その4~時は平安時代に遡る~】ゆるく楽しむ日曜地質学:2024年6月9日号
仙台はここ最近は気持ちよく晴れても、いつの間にか曇って湿っぽくなるなど、いよいよ梅雨が近づいている雰囲気です。
今週中には梅雨入りしそうな予感ですが、果たして??
断層と隣接した地すべり地形
引き続き、浜松市北西部の地域について。
"日曜地質学"で書くには長編になってしまい、やや失敗した感がありますが、もう少しお付き合いください。
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分離小丘でないのなら??
もう1度、広い目で周囲を見てみましょう。
実は、分離小丘状の山は1つではありませんでした。
しかもこれら、直線状に繋がりそうですよね。
私は、この直線状の地形こそ、中央構造線なのでは?と考えています。
なのですが、地質図を見ると、もっと東を通っています。
しかしこれまでも何度も言ってますが、シームレス地質図は日本列島を一枚マップで描いたものなので、詳細は合っていない場合もあります。
しかも「地すべりとの関係性」で考えても、このような地質分布でこのような地すべりになるのは、ちょっと考えにくい。
地質図は、基本的に人力の地表踏査で積み重ねたデータをもとに作成されます。ですので広域をくまなく歩くことはできず、しかもこの地域は地すべり地帯で岩盤の露頭が少ないとなれば、地質図が多少不正確でもしょうがないと思います。
もし断層の場所が違っていたら?
もし断層の位置が私の仮説の場所だったら、地すべりと断層の位置関係は以下のようになるでしょう。
つまり、断層運動(地震)によって北西側の地盤が隆起して形成された「壁」(上図赤点線)に、地すべりが衝突したのではないでしょうか?
このような状態であれば、衝突部は圧縮破砕されて脆くなるので、青点線のように侵食が進むのも頷けます。
もっと想像すれば、過去の中央構造線沿いの直下型巨大地震によって、この地すべりが「地震時地すべり」として活動。
しかし同時に北西側の地盤が隆起し、その壁に衝突して停止。
その後も地すべりは豪雨等によって多少は動くものの、断層の壁に阻まれ、大きく動かずに済んでいる・・とも考えられます。
地震本部によれば、実際にこの地域は西暦715年にマグニチュード7の地震があったと推定されています。
なおウィキペディアの「715年の日本」によれば、「7月1日に三河で地震が起こった」と記載されています。
この地域は静岡県と言っても、西端地域で三河(愛知県東部)はすぐ隣です。おそらく、その地震の震源地だったのでしょう。
もしかしたら、この時に形成された地形なのかもしれませんね。
なお現在のNHK大河ドラマ「光る君へ」は900年代終盤から1000年代初期の話(紫式部は970~978年生まれ)ですので、その約300年も前の出来事です。
もし私の仮説が本当だとすると、地すべり活動が地震の結果生じた「壁」に抑制されていることになる。
つまり災害(の結果)が別の災害を緩和しているという、なんとも奇妙な珍しい現象だということになりますね。
長くなってしまいましたが、以上となります。
なおこの記事は3月24日に半分以上書いたものの、途中で力尽きて下書きのままになっていました(;^_^A
ようやく投稿でき、ホッとしています(笑)
今週の予告
金曜日は腰痛でパソコン作業ができず、都道府県シリーズはお休みしてしまいました。
現在途中までは執筆しており、予定通り投稿したいと思います。
では、今週もよろしくお願いいたします。
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