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麒麟がくるまで待てない!【合戦場の地形&地質vol.1】桶狭間の戦い③

麒麟がくるまで待てない!【合戦場の地形&地質vol.1】桶狭間の戦い②の続きです!

決戦の地、桶狭間山の地形

さぁ!いよいよ決戦の地を見てみましょう!!もう一度大きい範囲の地形図をお見せします。

鳴海大高周辺

スーパー地形(カシミール3D)より
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

こうやって見ると、桶狭間は沓掛城と大高城のちょうど中間くらいですよね。休憩するとすれば、まさに中間より少し行ったところ。
私でも「もう半分以上来たし、ここらで休憩するか」と思いそう。
もしかしたら信長さん、それを読んで間者を中間地点あたりに送り込んでいたのかもしれません。

今度はもう少しアップで、しかも地形が良く分かるように、城や砦、合戦場の記号だけの図をお見せします。

記号のみ

赤×が現在桶狭間古戦場伝説地と地図に記されている場所です。
周辺一帯は標高約30~50mの丘陵地(黄~緑色)。現在はだいぶ造成されて人工的な地形になってしまっていますが、当時はおそらく北西の赤点線で囲った山のような雰囲気だったと思います。
ポコポコッと小山があり、その山の周囲はけっこう急斜面です。そして、かなり山と谷が細かく入り組んでいますよね。まるで迷路です。
こういう地形は谷にいれば山の上は見えないし、山の上にいると足元の谷は見えにくい。これに豪雨が加われば、確かに寸前まで軍勢に気づきにくいのは頷けます。

それともう1つ気になる点があります。こちらの地形図を見てください。右側が現在の地形図、左が明治時代の古地図です。

今昔マップ_桶狭間

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

池が多いですよね。現在は開発が進んで埋め立てられた場所もあるようで、昔の方が多いです。
おそらく戦国時代は小さいものも含めて沢山あったのではないか?と予想されます。池じゃないにしても、湿地も多かったろうと思います。

谷や山が細々と入り組んで迷路のような地形になっていて、池や沼・湿地も多い。
つまりここが戦場になった場合、土地勘があるのと無いのとでは大違いではないでしょうか?

もしかしたら信長には「これを実現できれば勝てる」というベストプランがあったのではないか?
そして様々な作戦の成功や数々の幸運が重なり、実現したのでは?

などという妄想が生まれます(笑)
果たして信長のベストプランとは?
そしてそれを生んだ背景には桶狭間周辺の地質にヒミツがあります!

④へつづきます!

お読みいただき、ありがとうございました。

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