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麒麟がくるまで待てない!【合戦場の地形&地質vol.1】桶狭間の戦い④

前回までは織田信長には「これを実現できれば勝てる」というベストプランがあったのではないか?と推測しました。
では、続きです。

信長のベストプランとは?

もちろん、これは私の全くの推測です。
参考資料などを読むと、今川義元が沓掛城から大高城に移動するだろうことは、城の規模や位置関係などから、信長サイドでも十分予測できたみたいです。
だとすれば、どこで戦うか?
もう一度、地形図を見てみましょう。
桶狭間周辺の山地はもっと南にまで達していますので、今川義元の行軍に際しては、必ずどこかで山地を通らなければならないんです。

沓掛から大高

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

見通しの良い平野であれば遠くからでも気づかれますし、かつ人数が多い方がまず勝ちますよね。
今川軍5000、織田軍2000。
これが平野で激突しても勝ち目は低そうです。
信長は当然、桶狭間周辺の地形は知っていたでしょうから、この山地の特徴を生かせば勝機があると考えた可能性は高そうです。

・山に隠れて激突寸前まで気づかれないように
・急に出現して混乱させ、今川軍を分散させる
・分散した各今川軍を谷や池、湿地に追い込む
・分散して手薄になった今川義元を討ち取る

これが信長のベストプランだったのでは?と考えます。

桶狭間周辺の地質

では桶狭間周辺の地形はどうやってできたのでしょうか?
それはおそらく、地質にヒミツがありそうです。
私自身が現地で調査したわけではないので断言はできませんが、おそらくこうだろうというお話をします。
もちろん、私は20年近く技術者として様々な地形を見て地質との関係について調査していましたので、その経験に基づいた予想です。

5万_名古屋南部_城位置図

地質調査所 5万分の1地質図幅「名古屋南部」
をもとに一部加工(城名および合戦場を図示)

地質図を見てみましょう。
残念ながらこれより東側は地質図の範囲外で、沓掛城は別の地質図でした。
ただし地層は同じで、図で薄い緑色で塗られている地層です。
これが桶狭間周辺に広く分布しています。

どんな地質かと言いますと、約500万年前から258万年前の砂や泥、礫(いしころ)の地層です。河川や湖の堆積物だそうです。

またオレンジ色の地層が点在してますよね。これはもう少し新しい258万年前から約13万前年前(人類の時代)の河川に堆積した礫の地層です。

これらの時代は地球の長い歴史の中でも新しい方なので、まだ岩石にまではなってませんが、そこそこ固まっている。半固結堆積物と呼ばれています。
そこまで固くないけど、まあまあ削れやすい。だから低めの山になったのでしょう。

桶狭間の地形はなぜできた?

地層の分布についてもっと詳しく見ると上の方が礫で、下にいくほど砂→泥と細かい粒子になるそうです。

なるほど!これで謎が解けました!!

このタイプの地層の場合、礫層は固めなので崩れにくく、端っこから少しずつ崩れます。ですので上はやや平坦で端っこが急斜面という、いわゆる台地状の地形になります。
と思ってたら文献にも描いてありました!

知多丘陵も指揮断面図

坂本ほか(1986)P.14より

どうでしょう?イメージできるでしょうか?

さらにもう1つのポイントは下ほど細かくなることです。
礫や砂は目が粗いので割とスキマがあります。ですので雨水が地層中に浸み込みやすい。
そして逆に泥の層では浸み込むことができず、横に広がっていきます。そして端っこの急斜面のところで外に出る。つまり湧き水になります。
実際に桶狭間周辺の地形を詳しく見るとあちこちに湧き水があるんです。だから池が多いんですね!

そして湧水が出る箇所の地層は、水の影響で弱くなってしまいます。ですので、例えば台風などで大雨が降ったりすると崩れてしまい、谷地形になっていきます。そのせいで細かく入り組んだ地形ができたと思われます。

イメージしやすいようにマンガを描いてみました。落書きみたいでスミマセン(笑)

湧水模式図

こんな感じです。雨が降って礫層(薄茶)と砂層(黄色)には浸み込みますが、泥層(青)は浸み込まず、横方向へ流れ、湧水になる。

崩壊模式図

そして長い年月の間に湧水周辺が崩れ、えぐれて谷地形になる。

こうして桶狭間周辺の特徴的な地形がつくられたと考えられます。


いかがでしたでしょうか?
戦国時代の数ある合戦の中でも有名な桶狭間の戦い。この戦いで信長が負けていたら日本の歴史は変わっていたかも知れません。
桶狭間周辺の山地の地形が、その勝因の1つでしょう。
信長が勝てたのは、約500万年前から13万年前の地層のおかげだと考えると、なかなか感慨深いものがありますよね。
最終回、長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

参考文献

坂本 亨・高田康秀・桑原 徹・糸魚川淳二(1986) 名古屋南部地域の地質.地域地質研究報告(5 万分の 1 地質図幅),地質調査所,55p.

坂本 亨・高田康秀・桑原 徹・糸魚川淳二(1986)5万分の1地質図幅「名古屋南部」.地質調査所

水野清秀・小松原琢・脇田浩二・竹内圭史・西岡芳晴・渡辺寧・駒津正夫(2009) 20万分の1地質図幅「名古屋」.産業技術総合研究所地質調査総合センター.

吉田史郎(1990)東海層群の層序と東海湖盆の古地理変遷.地質調査所月報,第41巻第6号,p.303-340,1990

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