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凸凹盆地の歴史をさぐる:広島県中央南部中山間地域【地元再発見の小旅行vol.31-3】

広島県中央南部の東広島市・呉市・熊野町には5つの盆地が見られます。
前回、前々回記事はコチラ↓

今回は白市盆地を詳しく見てみましょう。

何かが違う?

白市盆地は、パッと見た感じでも周辺の他の盆地とは様子が違います。
西隣の西条盆地と見比べてみましょう。

西が西条盆地、東が白市盆地

西条盆地の方が平坦な土地が大きく広がっていて、西条盆地は凸凹が多いですよね。

白市盆地の拡大図

平坦な土地はあるのですが、1つ1つは狭くて階段状になっています。

白市盆地の拡大図②

真ん中を東へ流れる入野川(にゅうのがわ)やその他の河川の侵食が進み、階段状の地形をつくっているようです。

西条盆地と白市盆地の境界部

西条盆地と白市盆地の境界で両者を見比べると一目瞭然。
平坦地が大きく広がっている西条盆地は市街地が大きく広がっていて、白市盆地の方は建物が点在しています。
そして、ここで面白いことに気が付きました!
地形図をよ~く見てみてください。

河川の流れがつながっておらず、逆向きになってます!
平坦な谷地形は明らかにつながっていますが、川の流れは分かれている。まさに谷中分水界(こくちゅうぶんすいかい)になっています。

おそらく、遠い昔は白市盆地から西条盆地へ川が流れていて、この谷地形をつくったと考えられます。
しかしある時から東へ流れるようになった
つまり何らかの変化によって東の方の土地の標高が低くなったため、河川が逆流したと考えられます。


侵食力が強い!

どうやら東の方に何かがあるらしいので、そういう目でもう1度白市盆地を見てみましょう。

改めて見ると、東の方の河川沿いの標高が明らかに低いですよね。
地形図では青みがかった色になっていて、目立ちます。
図の北東部を流れている沼田川(ぬたがわ)の入野川との合流点の標高は約110m。白市盆地は概ね標高200~250mですので、100m程度の落差があることになります。

視点を引いて見ると、沼田川の流れている範囲はだいたいこんな感じ。
この周辺では一番大きな河川で水量も多そう。
特に画像中央部あたりは直線状で両岸が崖になっていて、その侵食力の強さを想像できます。


地質を確認

これまで地形の話が中心でしたが、地質でも「侵食」が分かります!

白市盆地の地質図

花崗岩(ピンク)がメインで、その上に堆積したベージュや薄緑、水色の地層が盆地内各地に点在しています。
これらの地層は河川や湖沼の堆積物(泥、砂、礫)で、それらの堆積物ベージュが一番古く、約70~50万年前の地層で、西条層と呼ばれています。
薄緑がそれより少し後の約13~1万年前、水色が約1万年前~現在の地層です。

おそらく、この西条層や薄緑色の地層が白市盆地内に溜まった後、沼田川の侵食の影響で盆地内の河川(入野川)が沼田川に合流して侵食が進み西条層等の地層を削ったのでしょう。
そのため西条層の分布が途切れ途切れになり、その下の花崗岩がむき出しになったと考えられます。
そして白市盆地内は凹凸の多い地域になったのでしょう。


地形と街の関係

白市盆地の内部を良く見ると、街の発展の歴史が地形の影響を受けているのが非常によくわかります。

青丸が入野駅、赤丸が白市駅で、それぞれ周辺の河川沿いの平坦地に街がつくられています。
2つの平坦地の間は狭い谷地形なので昔は接続が悪く、それぞれが独自に発展したと考えられます。特に白市は交通の要衝として、江戸時代初期から宿場町として栄えていたようです。

今でこそ山地や台地を切り開いた宅地が広がっていますが、もともとは河川沿いの平坦地ごとに集落ができたと考えられます。

地形の違いが街の発展に影響している様子が分かりやすくて面白いですね。


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参考文献

高木哲一・水野清秀 (1999) 海田市地域の地質.地域地質研究報告 (5 万分の 1 地質図幅),地質調査所,49p.

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