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志和盆地の川の流れを探索!:広島県中央南部中山間地域【地元再発見の小旅行vol.31-4】

ここ最近は、広島県東広島市周辺の5つの盆地群(※以下「西条盆地群と呼びます)を紹介してきました。
今回は志和(しわ)盆地についてのお話です!

盆地群についての第一回はコチラ↓


場所は?

志和盆地は東広島市の西部にあります。

志和盆地の位置

図の赤丸が志和盆地です。


志和盆地の歴史

まず志和盆地全体の地形を見ましょう。

志和盆地の地形

図中央の、右に傾いた「C」のようなカタチの平坦な凹地です。
周囲を山に囲まれていますので、やはり独立した地域として発展したようです。もともとは志和町という町で、1974年に合併して東広島市の一部になりました(ウィキペディアより)。
それ以上の情報は見つかりませんでしたが、おそらく遠い昔から独立した地域としての歴史が続いていたのでしょう。


盆地の形成

西条盆地群は風化した花崗岩の侵食と河川の堰き止めでつくられたと考えられます(※詳細は前記事参照)。

志和盆地内の主要河川

盆地内は主に西部を流れる関川が主要河川で、東を流れる東川が合流しています。やはり下流には狭いV字谷がありますね。

志和盆地周辺の地質図

地質図です。主なものはピンク色と濃いピンクで、時代は中生代後期白亜紀(約1億~8300万年前)です。

① 濃いピンク:花崗岩
② ピンク:流紋岩質の火砕流堆積物(溶結凝灰岩)

やはり風化しにくく硬い溶結凝灰岩が下流に分布していて、そこがV字谷になって堰き止めが起こりやすくなっているようです。
そして盆地内に土砂が溜まり、なだらかな地形ができたのでしょう。
それらの土砂は、地質図では薄い水色(河川堆積物)、黄土色(扇状地堆積物)で示されています。


あやふやな流れもある?

こうやって全体を見ると(下図)、関川の下流域はだいぶ狭い谷になっていますよね。

ちなみに「関川が主要河川」だと最初に種明かししてしまいましたが、そのイメージを捨てて、もう1度、上の図を眺めてみてください。
他にも盆地から外へ流れていそうな谷がいくつか見えてきませんか?


では、確認してみましょう。下の図を見てください♬

主に赤丸の3カ所は一見すると盆地外へ流れているようにも見えませんか?
これらを詳しく見ると、なかなか面白い地形をしており、やはり「盆地内では過去に何度も河川の堰き止めがあったのでは?」と想像できます。

東川の上流域

まずは東川上流域(上図の東の赤丸地域)を見てみましょう。
下図の北西端に少しだけ見えるのが関川です。
東川は上流へ向かって谷幅が狭くなりますが、さらに上流ではまた広くなっています。一見すると上流なのか下流なのか分かりにくい場所もありますよね。

谷幅と川の流れをざっと図示してみました。

青丸の場所は、地形だけを見ると分水界に見えるのですが、谷幅が狭まっているだけでした。上流へ行けば行くほど谷幅が広がるのは不思議です。

ちなみにその奥には「隠地」という地名があります(上図参照)。
下流域から見て、狭い谷の奥に広い土地があり、隠れているように見えるからでしょうか?

今度は赤丸の場所を拡大してみましょう。

このあたりも不思議な地形で、東西方向の谷が山と山の間を通っています。

緑線で囲った山地の間を川が通っていて、赤丸が分水界です。

分水界のあたりをさらに拡大しました。標高差はほぼありません。
今は道路が通っていて人間が管理しているので大丈夫でしょうが、ちょっとでも削れてしまったら、池の水が西へ逆流しそうですよね。

関川・東川の上流域

もう一度、広範囲の地形図を示します。

図の南の赤丸のあたりは、この縮尺で見る限りは関川と東川の上流域だろうと見えますが、実は違いました!

まず広範囲の画像を見てみましょう。志和盆地南西部の関川上流域です。
広い平坦地が見えますよね。そして周囲を山がぐるっと囲んでいますし、それら山地の水は平坦地(志和盆地内)に流れているように見えます。
が、違うんです!
画像の中央に見える高速道路のインターチェンジの周辺に注目です!!

どうでしょう?
何かに気づきませんか?

さらに拡大!見えましたか??

こうなっています!
なんと赤矢印の川だけが南へ流れています。

盆地全体で見ると、こうなります。盆地内の河川のうち、赤矢印だけが関川へ合流せずに盆地外へ流れています。だいぶ違和感がありますよね。
黒点線のあたりが分水界ですが、地形図では分かりにくいです。

盆地がつくられる長い歴史の中で、侵食や堰き止めなどの影響で川の流れが逆流した名残なのかもしれません。

お読みいただき、ありがとうございました。


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