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谷と盆地の分かれ道:広島県中央南部中山間地域【地元再発見の小旅行vol.31-2】

広島県中央南部の東広島市・呉市・熊野町には5つの盆地が見られます。
これらは断層節理(割れ目)沿いに風化してボロボロになった岩が侵食されて形成されたと考えられます。
※前回記事はコチラ↓


しかし1つの疑問があります。
それは・・・

これです。画像の北東(右上の赤点線)は「花崗岩の分布地域で断層がある」のに、盆地ではなく深くて真っすぐな谷地形になっています。この違いは何なのでしょう??

「出口」があるかないか?

あくまで私個人の見解です。
侵食は主に「川の流れ」によってなされますよね。その川の出口があるかないか?が盆地形成に関わっているのではないか?と考えられます。

川が海までスムーズに流れれば、侵食で削った土砂は海へ流れます。山はどんどん侵食されて深い谷ができます。
このとき盆地(広く平坦な凹地)のような地形はできません。

一方、流れのどこかでボトルネックがある場合はどうでしょう?
豪雨時の増水土砂崩れによる堰き止めでボトルネックの上流が湛水すると、そこに土砂が溜まり傾斜が緩やかな地形がつくられます。
緩やかな地形は水の流れが分散しやすい(テーブルに水をこぼすと広がりますよね)ので、広く浅く侵食されやすくなると考えられます。

また土砂が溜まることで、もともとあった谷地形が埋め立てられて広い平坦地がつくられることにもなります。

ちょうど分かりやすい地形を見つけました。
上図の赤丸の場所、谷の両側の山が迫って狭まっていますよね。
ここが土砂崩れ等で堰き止められると・・

このように上流が水溜りになりなり、そこに土砂が溜まって平坦な地形がつくられます。
侵食盆地は、おそらくそのような経緯でできたのではないでしょうか?
では盆地周辺の地形と地質を見てみましょう!


西条盆地の地形・地質

まず代表例として西条盆地の地形・地質を見てみましょう。

盆地内のあちこちに山がありますし、確かに複数の谷の集合体のようにも見えますよね。
特に南部は東西方向に谷が伸びていて、盆地内で最も標高の低い地域になっているようです。この縮尺ではハッキリしませんが、その谷が山の間を抜けて南の黒瀬盆地につながっているように見えます。

拡大しました。南の三角形の平坦地が黒瀬盆地です。
やはり東西方向の谷から南へと川が流れ、山の間を抜けています。
南部では、これらの山地がボトルネックになり、スムーズな川の流れを邪魔しているようですね。

中央の山より東の方が幅の広い平坦地があって、そこの方が水が流れやすそうに見えますが・・。ここの詳細は別の機会にしておきましょう。

地質図です。
南部の山地は、西が花崗岩(濃いピンク)で東は溶結凝灰岩(ピンク)と流紋岩(赤)です。東の地質は風化しにくく硬い岩石。
花崗岩は東の地質より風化しやすいとは言え、全部が全部そうではありません。風化しにくい部分が山として残り、東の山とともにボトルネックの原因になったのですね。

ちなみに薄い色(緑、ベージュ、水色)は第四紀更新世~完新世(約258万年前~現在)の河川等の堆積物(泥、砂、礫)です。

やはり盆地内に土砂が溜まり、平坦な地形ができたのでしょう。

次回以降では、それぞれの盆地について詳しく見ていきたいと思います。
今回は以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。


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