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六甲山は硬いけど軟らかい:"マサ化花崗岩"に注意!!【災害から身を守る vol.3】

前回は六甲山地の成り立ちについてお話ししました。六甲山は圧縮の力バキバキに割られ、ニョキニョキと隆起しました。
今回は、そんな六甲山と災害の関係についてお話しします。

硬いけど軟らかい六甲山

六甲山は粘っこいマグマが地下深くでゆっくり冷えて固まった花崗岩
花崗岩は本来はガッチガチに硬い岩石です。
ハンマーで叩くと火花が散るような手強い岩石なんですよ。

ですけど、六甲山の花崗岩は少し勝手が違うみたいです。
以前もお話ししましたが、硬いけど軟らかい。それが六甲山です。
なぜそうなのか?

花崗岩_地質標本館

花崗岩の標本:地質標本館ホームページより

断層でバッキバキ!

そうなんですよね。
いくらもとが硬いとはいえ、圧縮の力を受けて断層だらけになれば弱くもなります。
ちなみに六甲山の断層の分かりやすい写真が論文に載ってましたので、お見せしますね!

丸山衝上断層

藤田和夫・笠間太郎(1983)より

白黒ですけど、わかりやすくないですか?
左上の黒っぽく映っているのが六甲山の花崗岩
右下の少し明るめの灰色が砂や泥や礫がたまった新しめの地層(神戸層群)です。
新しい地層に乗り上げるように、断層に沿って右上にズレたのだそうです。
山全体が盛り上がるような変動となれば、岩石に大きな負荷がかかります。
そして、こうなっちゃったらしいです。

花崗岩の節理系

藤田和夫・笠間太郎(1983)より

右上から左下へ、斜め方向の割れ目が多いですよね。
この割れ目、専門用語では「節理(せつり:英語ではjoint:ジョイント)」というのですが、まぁ割れ目です(笑)
これはやはり、六甲山に力が加わって断層ができた影響でできた割れ目だと考えられています。
広大で大きな大地ですからね。
断層でスパッと切れて、断層に沿ってスルッとズレたというような簡単なものではなく、ギュウギュウに押されて我慢して我慢して、バキバキに割れ目ができつつ、限界が来て断層ができたのでしょう。
その我慢した結果として、たくさんの割れ目もできてしまった。

花崗岩のマサ化

マサ化という言葉は「真砂(まさ)」から来たとも言われています。
花崗岩は基本的には硬い岩石なのですが、様々な条件が揃うとマサ化しやすくなってしまいます。

花崗岩は地下深くでゆっくり冷えたので、鉱物の結晶が大きく育ちます。

花崗岩_地質標本館

さきほどと同じ。地質標本館のサンプル画像です。モザイク状にツブツブが見えますよね。こいつらが鉱物です。

安山岩_地質標本館

安山岩の標本:地質標本館ホームページより

見比べてみて下さい。
安山岩はマグマが噴火して地表で急速に冷えた岩石です。
花崗岩と比べるとツブツブが見えないですよね?
急に冷えるかゆっくり冷えるかでこんなに違うんですね。

そしてこれは見た目だけじゃないんです。
岩石の「性質」も変わってしまう。

モノって温まれば膨張し、冷えれば収縮します。

でも岩石の場合は様々な鉱物が集まってできていて、鉱物の種類によって膨張・収縮の程度が違います。
このとき、鉱物のサイズが小さければあまり問題ではないのですが
鉱物が大きいと、種類による膨張・収縮の違いの差が大きくなります。
そのため段々と鉱物同士の密着が崩れ、バラバラになって砂っぽくなります。これがマサ化です。

六甲山の花崗岩は、圧縮されて断層と割れ目がたくさんでき、そのせいで余計にマサ化しやすかったのでしょう。

六甲山周辺の災害

もともと硬い花崗岩が断層などで砕かれ、マサ化して砂っぽくなれば、当然崩れやすくなります。
大雨が降れば崩れ、土砂が出てしまいます。

ということで、この地域はもともと災害が多い地域だったらしいです。

六甲砂防_災害の歴史_赤枠

六甲砂防事業の歴史年表:国土交通省六甲砂防事務所ホームページより

明治時代に日本国内でもさきがけとして、砂防法の制定前に砂防事業に着手しています。
ですが昭和13年に阪神大水害が起こり、死者行方不明者が695名も出ています。(※これ以前では六甲山の災害の歴史は戦国時代まで遡るようです)
その後はコツコツと砂防堰堤(さぼうえんてい:土石流を防ぐためのダム)など災害防止施設を建設しています。

災害を防ぐ

日本では自然災害が多いので、どうしても被災地に対して「何故防げなかったのか?」という議論になりがちです。
もちろん防げなかった原因を探って今後に生かすのは重要と思いますが、どうしても政治への批判など感情的になってしまう側面もあります。

ですが本来の日本は、今よりももっと災害が多かったのです。
そして先人たちの努力で救われている命もあります。

六甲砂防_成果

砂防施設の働き:国土交通省六甲砂防事務所ホームページより

今の時代は「安心・安全」を当たり前に思ってしまっているという心理が、私も含めて日本国民の深層心理にあるような気がしてならないのです。
でもその心理は先人たちの努力のおかげだと理解した上で、今後自分たちはどうしたら良いのか?
を考えて行きたいと、私は思っています。

いかがでしたか?
六甲山の花崗岩は硬いけど軟らかい。そのため災害が多い地域でしたが、先人たちの努力のおかげで、神戸などの大都市が維持されているのですね。
今後は私たちの番です!

お読みいただき、ありがとうございました。

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参考文献

藤田和夫・笠間太郎(1983) 神戸地域の地質.地域地質研究報告( 5 万分の 1 図幅),地質調査所,115 p.

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