ニョッキっと六甲山?!:兵庫県中央東部【地元再発見の小旅行vol.7】
最近は兵庫県をテーマにしてきました。
今回は、この中でも南東部の六甲山地を詳しく見ていきたいと思います。
全体像を見てみる
まず全体を眺めます!
赤丸が神戸市中心部付近。△が六甲山山頂(931.25m)です。
山はかなり海に迫っていますね。
だいたい東北東~西南西方向に連なっているように見えます。
もうすこし引いて見てみましょう。
南ほど山は小さくなりながらも、海まで続いています。
そして広い目で見てみますと、なんと淡路島の北部までつながるそうです!
これは六甲山地と淡路島北部の地質が同様なだけでなく「生い立ち」を考えても同じグループになるのだそうです。
六甲山地をもう少し詳しく!
もう少し詳しく見てみましょう。
けっこうガチャガチャしてますよね。
また平地と山地の境界がハッキリと際立っています。
そしてあちこちに直線状の地形が見えます。
東の方も見てみましょう。
東の方がガチャガチャ具合がひどいように見えますね。
また南側に一段低い山が広がっています。そして直線状の地形も見えます。
ちょっと図示してみますね。
ざっと線を入れてみました。
背後の帝釈山(たいしゃくさん)にも線が見えます。
3Dです。神戸市街地方面からの視点。
やはりギザギザと起伏が激しいです。
それと神戸から見て手前の山は、北側で一度低くなって、また高くなったりしています。案外と複雑な地形です。
六甲山地のキズ
地質図と地形図を並べてみます。
地質図の黒い線は断層です。六甲山地から背後の帝釈山まで、断層がかなり密集しています。これはかなり多いと思います。
さきほど直線状の地形を赤色の点線で図示しましたが、だいたい合いますよね。直線状の地形は断層だったようです。
六甲山の地質は赤やピンクがメインですね。
これらは白亜紀の花崗岩です。
白亜紀は恐竜が生きていた最後の時代。
花崗岩はドロドロと粘っこいマグマが地下の深い場所でゆっくり冷えて固まった岩石です。
六甲山の生い立ちを探る
地質と時代は分かりました。そして断層がたくさんでキズだらけです。
今度は「5万分の1」の地質図を見てみましょう。20万分の1より細かくて詳しいのです。
北東部の地質図です。この中でも赤点線で囲った場所を見てください。
肌色や青色の地質が見えますが、特に青色に注目!
これは何かというと海生粘土なんです。そう、海でできた地層です。
しかも西の青い地層の場所は標高約500m!
これが六甲山地本体の花崗岩の上に乗っかってるんです。
時代は今から約250万年前~180万年前。つまりこの時代、六甲山地は海底でした(少なくとも海生粘土がある場所は)。
地球の長い歴史の間には、海水面は高くなったり低くなったりしているのは分かっています(※これについては別記事に書きます)。
でもさすがに500mもの差は大きすぎ(※この時代の海は今よりも50~ 150m高かったようです:研究者によって意見が分かれてます)です。
つまり、200万年前くらいの六甲山は海底にあり、しかも山ではなく低かったってことです。
「六甲変動」とは?
明治維新以降の近代化に伴い、六甲山地周辺の地質調査が進められました。
その後の割と早いうちから地質学者の間で「六甲変動」という言葉が生まれました。どういうことなのか?
それは、これまでお話ししたような「約200万年前以降から、六甲山が隆起(盛り上がった)した」ということです。
地質学者たちの研究によると、六甲山だけでなく大阪湾も含むような大きな範囲で、南北方向(正確には北西ー南東方向?)に力が加わっていたようなのです。
図のように圧縮の力で六甲山から大阪湾周辺は「曲げられる」のですが、六甲山の花崗岩は硬い岩石ですので、最初はふんばっていた。
でも最終的に押す力に負け、「曲がるんでなく、割れた」。
その割れ目が断層で、たくさんの断層に分断された岩盤が、ニョキニョキと上がってきた。
これが六甲山の「生い立ち」のようです。
圧縮されてバキバキに割れて、ニョキニョキと隆起した。だから複雑な地形なんですね。
そして大阪湾側は柔らかい地質だったので、下方向に曲げられて今でもお盆のカタチで、砂や泥の堆積がつづいてるようです。
今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。
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参考文献
藤田和夫・笠間太郎(1983) 神戸地域の地質.地域地質研究報告( 5 万分の 1 図幅),地質調査所,115 p.
藤田和夫・笠間太郎(1982) 大阪西北部地域の地質.地域地質研究報告( 5 万分の 1 図幅),地質調査所,112 p.
河田清雄・宮村 学・木村史郎(1986)20万分の1地質図幅「京都及び大阪」,地質調査所.
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