生きづらい世の中だから、自己肯定感は自分で高めよう。どうしても自己否定してしまう同志へ。【プロローグ】
初めまして。
お読みいただきありがとうございます。
ゆる他人軸女と申します。
長い名前なので、ゆるたにとお呼びください。
自分のことを好きになれず、生きづらい同志のみなさまへ。
私が今感じているありのままの気持ちを伝えたくて、キーボードを打ち始めました。
同時にこれは自分を鼓舞するためのメッセージでもあります。
私の主張
まず心から伝えたい。
「無理して人に合わせて息苦しくなったり、誰かと比較をされて辛くなったりしているのなら、もう我慢しなくていいですよ。
無理に気を張って自分を保とうとしなくてもいいです」と。
日常生活がそれなりに送れていたって、
世間体がよくたって、
当の本人が心のどこかで我慢をしていたら、心の底から幸せを感じることなんてできませんよね。
人から嫌われないように期待に応えたり
人から選ばれたくて自分磨きをしたり
人から認められるために成績な優秀をおさめたり
身を削る行為じゃないですか。
相手のリアクションなんて相対的なもの。
それに一喜一憂していたら身が持たないと思います。
人から認められること、人と比べることで自分を安心させても、ホッとするのも束の間ですよね。
例えその人が家族でも、友人でも、恋人でも、上司でも、
自分の承認欲求や自己肯定感を満たすために人と関わるのは、不健全なコミュニケーションだと思います。
本人が辛くないならいいんです。
けど辛くならないことってあるんでしょうか。
(いわんや、繊細な人をや)
私の話をさせてください
私の対人関係を振り返ると、自ら不健全なコミュニケーションを取りにいくスタイルを貫いていました。
かれこれ30年ほど私は、その場その場に適した自分を演じてたんです。
親の前では品行方正な子供、
お酒の席では飲みっぷりとノリのいい人、
マウンティング女子会では害のない聞き役、
初対面の異性の前ではいけそうな女、とかとか。
人から求められることや受け入れられることが目的になり、どんどん自分らしさ迷子になっていました。
自分の思考や感情がわからないんだから、夢や目標なんてものも想像できない状態です。
当然、永続的な幸せなんて得られないと思っていました。
ただ消費的に毎日を過ごして、心の虚しさを一時的な快楽で埋め合わせながらこの先も生きていくんだろうな〜と当たり前のように思ってたんです。
人生に対して妥協をする代わりに、人様から見て「ちゃんと生きられている人」の称号が得られればいいと諦めていました。
けど、今の自分は違います。
思っていたんじゃなくて、思わせていたと気付かされたんですよね。
自我がほぼ0になった過去の私
数年前の私は、自分らしさ迷子を拗らせすぎた結果、完全に自分の意志で動くことができなくなっていました。
理由は結婚生活のストレスの蓄積。
夫の態度が私の自尊心を削り、夫に対して恐怖を感じていました。
夫の機嫌を損ねないように。夫の前ではいい妻であるように。
そんなことを考えて日々を過ごしていたんです。
だから常に現状に釈然としていなかった。その釈然としなさは日に日に大きくなっていた。
常にネガティブな感情が自分を侵食しているような状態だったんですよね。
それが当たり前だったから、「事態を好転させるために何かしよう」なんて考えは浮かびもしませんでした。
しかし、ひたすら自分を抑えて我慢をするだけの生き方はできませんでした。
だからネガティブな感情から目を逸らしたくて、一時的に快楽に逃げることでバランスをとりながら、なんとか自分を保っていたんです。
私にとってストレスの発散方法は、お酒と男性でした。
酔っぱらったり、男性にチヤホヤされることで、一時的に自分を解放していました。
快楽に逃げている時だけは、わがままになれた。
人の目を気にせずにいられた。
けど、そんな自分のことが嫌いでした。
辛い現実から逃げるために一時凌ぎをしているだけで、心から望んでしていたことではなかったから。
ただ、自分はこんな生き方しかできないと思っていたんですよね。
また、自分のネガティブな部分は外に出すまいと細心の注意を払っていました。
「人に心配や迷惑をかけてはいけない」という義務感が常にあったから。
誰かから気にかけてもらった時も
「元気でやっているよ〜。大丈夫大丈夫」みたいな、軽い返しをすることがよくありました。
自分の弱い部分、ダメな部分を隠すために、ひたすら取り繕いをしていたわけです。
ちなみに、当時の自分は全く自分の行動を客観的に見れていませんでした。
ただネガティブな感情を背負いながら、なんとか1日1日をやり過ごさなければという感覚で生きていました。
そんな後にも先にも進めない行き詰まり状態だった時に、転機が訪れます。
自分の辛さを思いしらされる
きっかけは、何気ない会話の積み重ねでした。
人生に行き詰まり状態の当時、よく話をしていた知人がいます。
この方がいなければ、私は今も変わらずにガチガチの自分迷子状態だったことは間違いありません。
言うなれば私の恩人であり、先生であり、師匠。
心のケアという意味では、専属のライフコンサルタント、ライフカウンセラー。(以下、コンサル先生と呼びます)
普段圧倒的に聞き役になることが多い私なのですが、この方との会話では自分のことがすらすら話せていました。
鋭い洞察力や想像力で私の心の闇を察知し、
自然な会話の流れの中で、私の心の声を引き出したり、時には代弁をしてくれていたんですよね。
私としては、徒然なるままに話している感覚だったのですが。
とにかく一番びっくりしたのは、
「あ、私、ずっと辛い状況にいたんだ。この状況から抜け出したかったんだ」と気付かされた時。
理由をつけて「大丈夫大丈夫、辛くない」と、呪文のように自分に言い聞かせていた。
けど、全然大丈夫じゃなかったことがやっとわかったんです。
この気づきを得て、「現状を変えたい」という気持ちが生まれました。
そして、コンサル先生の力を借りながら、現状を変えるために動き出すことを決めたのでした。
何が私を生きづらくさせていたのか
紆余曲折ありつつも、コンサル先生に叱咤激励されながら、夫と別居をするところまではたどりつけました。
(現在は離婚しています。結婚生活や離婚に至るまでの話はまた改めて書こうと思います)
環境が変わることで、確かに私の精神は安定しました。気持ちがすっきりしたことは確か。
しかし、環境が変わっても、私の思考の癖が根本的に改善するには至らなかったのです。
ベースに自己否定がある私は、もはや自分の何がいけないのかがわかりませんでした。
全部悪い。以上。で思考停止の状態。
もっと根深い問題を探るために、コンサル先生は過去のエピソードについての問いをたくさん投げかけてくれました。
その問いに答える中で、心に蓋をして見れなかった私の弱さと対峙することになります。
これまでの私は
自分の中に「誰かが求める自分」を勝手に作り込んで、勝手に拗らせていた。
他人のことを知ろうともせず、勝手に自己完結していた。
深い人間関係を避けて、自分の殻に閉じこもっていた。
コンサル先生の言葉に導かれながら、
自分の弱いところ、ずるいところがボロボロとこぼれてきました。
すごく自己中で身勝手な振る舞いじゃん。これじゃ誰も幸せにならんわ。。
と猛省したんです。
自分一人じゃ向き合うのが苦しくなる現実ですが、話を聞いて、気づきを与えてくれる人がいると、腹を括ることができました。
普段の私じゃ自分の気持ちを話すなんて、恥ずかしいし、誰得なんだと諦めてしまっていただろうけど。
自分の話をしているうちに、自然と飾らない自分を表現できるようになっていたんだと思います。
「私の話を親身に聞いてくれている。私のことを理解して、気づきを与えてくれている」という安心感や信頼感がそうさせたんでしょう。
コンサル先生の問いに導かれながら、さらに心の声の言語化は続きます。
もっと素直で正直な自分になりたい。
人から認められなくても、自分のことを大事にできる人になりたい。
自分の考えや選択に自信を持ちたい。
経歴・肩書き・年齢・ビジュアルなど、目に見える要素で自分を判断されても心から満足できない。
万人受けは狙わないし、広くて浅い交友関係もいらないから、
「あなたの生き方や人間性が好き」と言い合えるような関係がほしい。
今までだって、本当はもっと濃い付き合いがしたかったんじゃないの。
ありのままの自分を見てほしかったんだよね?
みたいなことをマイハートは訴えていました。
今まであえて向き合わなかった、私の正直な気持ちです。
自分の本心に従わないと、一生私の心は満たされないという事実に気づいたんです。
自分が傷つかないように、逃げてばっかりで、本当に欲しいもののために本気を出して努力したことなんてなかった。
すごく薄い人間だな。
全てを悟ったら、一瞬にして鼻の奥がツンとして、直後に涙が溢れていました。
コンサル先生の前にも関わらず号泣。
人前で泣くことも、過去の私は滅多にしなかったな。
猛省する私をなだめながら、コンサル先生はこんなアドバイスをくれました。
この言葉は、今も私の心の支えになっています。
「今のゆるたにに必要なのは、自分を見つめ直す一人の時間。
過去感じた痛みから逃げずに、改めて自分と向き合う時間。
自分の痛みがわからならないと、人の痛みはわからないよ。
逆に言うと、自分の痛みを知って、人の痛みを想像できるようになれば、
相手を思いやれるようになるから。
本当の意味で人に優しくできるようになるよ。
そして相手のことを慮って行動して、他者貢献の実感が得られると、
自負や自信につながって、自尊心を得られるから。
この状態が、ゆるたにが数年かけてたどり着くべきゴールの一つだと思う」
表層的な優しさしか求めず、与えず、ここまで生きてしまった私にはぐさっと刺さる言葉です。
しかし後悔先に立たず。
思い立ったが吉日。
あとは行動を積み重ねていくしかない。
ということで、アドバイスに従い、根本的な自己改革チャレンジを開始したわけです。
ライトな付き合いのコミュニティ、
一時的に承認欲求を満たしてくれる(女性として扱ってくれる)異性関係、
思考を麻痺させるアルコール。
今まで私の生活の中心だったもの全てを断ちました。
私が現実逃避をするために必要なものです。
ガンジーには及びませんが、結構ハードな自律生活です。
スタートから2ヶ月弱が断ちましたが、驚いたことに全く辛くないんですよね。
むしろめちゃくちゃ気持ちが軽くなったんです。
今まで私が必要だと思っていたことって、自分にとってはマイナス要素でしかなかったと気づきました。
むしろ今まで極力避けていた一人の時間こそが、自分にとって必要なことだと実感したんですよね。
(過去の私は一人の寂しさや不安に耐えられず、ひたすら人と会う予定を入れていました)
一人の時間を使って、自分との対話を繰り返しました。
心穏やかな気持ちになると、だんだん自分が実現したいことにも目を向けられるようになっていくんですね。
今私がしたいこと。
それは私の思いを文字にして、顔も知らない誰かに読んでもらいたいということ。
昔から物書きが好きで、日記をつけたり小説を書いたりしていました。
想像力を働かせて、言葉に全集中できる時間が好きなんです。
けど自己整理だけにとどめるのではなく、少しでも誰かの心を動かす文章を書きたい。
そう思ってnoteをはじめました。
noteで実現したいこと
このnoteでは、
他人と自分を比べてしまう人、人の目を気にしてしまう人、自己肯定感の低い人が心の中に抱えているモヤモヤを晴らすような発信していきたいと思います。
具体的には、
自分の過去から学んだこと
日々感じたこと
などなど。
少しでも私の言葉に共感をしてもらえたら、
お互いに頑張って生きていこうと思ってもらえたら、
そんな気持ちで言葉を紡いでいきたいと思います。
読者のあなたにとって
同じような気持ちの経験者であり、
一番の理解者であり、
あなたの心の代弁者でありたい。
一緒にこの生きづらい世の中をサバイブする仲間のような存在でありたい。
私はあなたの顔も名前も知らないし、ステータスも知りません。
純粋に文字だけのつながり。
だからこそ、話せる本音があれば、コメントやメッセージで聞かせてほしい。
そう思っています。
なぜなら、私はそんな人の中でもなかなかこじらせレベルが高い自負があるから。(自慢にならない)
そして今、これまで自分を生きづらくさせてきた思想や習慣を変えて、もっと自分らしく生きようとしているから。
少しでも私の言葉を読んで、「自分基準での幸せな人生を生きよう」と前向きな気持ちを持っていただけたら、この上なく幸せなことだな〜と思っております。
理由のない自己否定を捨てて、
自己肯定感は自分で高めよう。
承認欲求は自分で満たそう。を合言葉に。
自分で自分のご機嫌をとりながら生きていきたいですね。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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