「ボケる写真を撮る人は、ボケた人です」耳の痛いフレーズの裏側に
タイトルは、note主催のスマホ写真ワークショップにて、講師の鈴木心さんが繰り出した言葉だった。
なにを隠そう、私はボケが大好きだ。
開放万歳、F値1.4ラブ。背景なんてみんな溶けてしまえばどこだって美しい写真が撮れるし、玉ボケはキラキラしててかわいくて正義。そう信じて疑わずに生きてきた。今日のボケボケなアイキャッチ画像も、私が撮った写真だ。
Twitter上で「開放でしか撮れないやつはクズ」なんて発言を見かけることもあった。だけど「それは単に撮るジャンルの好みの違いでしょ?私はポートレートが好きだからそれでいいの、逆光&開放最強♡」くらいの気軽さで、するーっとスクロールしていた。
なのに。「ボケた人」との衝撃発言だ。noteって穏やかなコミュニティだと思っていたのに・・・なんと講師がいちばん尖っておるよ・・・!!!
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その後も発言の真意をきちんと飲み込めていなかったので、先日本人に聞いてみた。
勝手にまとめると、こういうことだった。
たしかに、ボケた写真もいい。自分もぼかすことはある。だけどボケはあくまで一つの方法でしかない。ボケに頼った写真ばかり撮っていても、画面の構成力が身につかない。
ぼかすとどこからでも撮れてしまうから、「どの角度から撮るか」「どの距離から撮るか」などの重要な要素を、考えずに撮るようになってしまう。
・・・ガクガクと、首を縦にふるしかなかった。
たぶん私は、めんつゆでしか味付けができないのに「料理人になりたいです」って言ってるようなものだったのだ。
めんつゆもいい。たしかに美味しい。万能だ。自分がめんつゆを好きなら一生そのままでもいい。
だけど、「もっと深い世界を知りたい」と思ったときには、それでは足りない。あらゆる調味料の配合を自分で考えて味をつくれるようにならなきゃいけないのだ。
自分の味をつくれるようになったときに、数ある選択肢の中のひとつのアイテムとしてめんつゆを使えるようになれることが大事なのだろう(プロがめんつゆを使うかは知らない、そして料理に関して私はめんつゆでしか味付けができない)。
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「ボケた人」から脱却するために、ボケてない写真を毎日50枚、撮ることになりました。筋トレ、スタートです。