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ロシアの落下傘兵の体験記「ZOV」 : クリス・オウエンのツイートから: パート(5)反戦活動家になった経緯

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2022年3月~4月、ウクライナ南部の塹壕で砲撃を受けて地獄のような1カ月を過ごしたロシア人落下傘兵パヴェル・フィラティエフは、目を負傷して病院に疎開した。パート5は、彼がなぜロシアが戦争をしたのかを知り、反戦活動家になった経緯を描いている。

フィラティエフが戦前、クリミアの第56親衛空襲連隊で過ごした6カ月間の訓練について語るパート1は、こちら

2月24日の侵攻開始直前と直後をカバーするパート2はこちら

パート3では、組織化されていないウクライナの抵抗に直面し、行き当たりばったりで無秩序なロシアのへルソン占領を強調している。リンク

第4部では、へルソンの占領が始まり、ロシアがミコライフとオデーサを奪おうとしたときのフィラティエフの体験が語られている。リンク

2022年4月中旬、近くの砲弾の爆発で汚れたものが原因で角膜炎になり、セヴァストポリの軍病院に避難した。前線にいた救急隊員は彼を治療することができず、また、物資が不足していて、誰であっても治療は不可能だった。

彼の避難を許可した救急隊員は、「注射器も鎮痛剤も持っていない、前線にはそれすらない、と医療班に伝えるようにと」言った。ロシアの救急箱には、止血バンド、包帯、プロミドールの錠剤しか入っていなかったと言う。

前線を離れると、「泥と飢えと寒さと汗と死の感覚の2ヶ月 」に終止符を打つことができた。彼は20人の仲間と共に、5時間のバスの旅でクリミアに戻った。「戦場を去る時の気持ちは表現するのが難しい」と彼は書いている。

フィラティエフにとって、「その時、ようやくリラックスして、過去2カ月間の経験について考えた。」何のために、なんで行く必要があったのか、良いことをしたのか悪いことをしたのか、なんで、そしてどうやって自分がその一員になったのか、そもそもどうしてそこにいたのか、などなど。

避難した兵士を出迎えたのは、「主にダゲスタンの女性達からなる医療分遣隊で、温かく迎えてくれた......。彼女達から気遣いと思いやりを感じ、それはとても不思議で、すでに忘れてしまった感覚だった。」

フィラティエフが運ばれた病院は、「清潔感があり、静かで居心地がよく、塹壕の後では、ラディソンやヒルトンのようなホテルよりもいいように思えた。」彼は、他の負傷者と共に、別のもっと古い病院に移され、治療を受けた。

フィラティエフは、この2つの施設の違いに衝撃を受けた。ソ連時代の病院は、40人の患者の間にトイレが1つという、みすぼらしく荒れ果てたものであった。「廊下には傷病者があふれ、医師が圧倒的に不足している。」

病院のロシアのテレビで見たプロパガンダは、彼自身の体験や仲間の負傷者の体験と矛盾していた。「テレビのニュースを見て、なぜそこに真実がないのか理解できなかった。戦争はほとんど神聖化されており、客観性を見ることができない。」

彼は、生存者と共にミサイル巡洋艦モスクワの沈没のニュースを見た。しかし、その船員は、「2発のミサイルが船体に命中し、船は燃え始め、乗組員は避難したが、全員は避難できなかった」と言った。

退院後、彼は最近怪我をした傷病者のためのバラックに送られた。「そこには戦場から帰ってきたもしくは、怪我によって戦場へと戻る者達が100人いた。」

BMP-3ドライバーの一人は、ジャベリンの攻撃で唯一生き残った。「このチビはひどく吃音で、5~10秒で一言発した。精神病院送りにしたかったらしいが、抵抗して医療支援の拒否の(請願書)を書き、家に帰ることになった。」

負傷した兵士達は、一人当たり300万ルーブル(5万ドル)の補償金を受け取ったが、彼らはこの補償金を「プーチンスキミ(プーチンの金)」と揶揄していた。多くの兵士はその金をすぐに売春婦や酒に使い、「一晩で10万ドル(中には10日間も家に帰らない者もいる)」のだと言う。

「ナチスに占領されたウクライナを救うために」戻ることを条件に、2週間の休暇を与えられたフィラティエフ。しかし、まだ体調は優れず、痛みもあり、眼も悪い。私立病院へ行き、診察料を払って再検査を受けた。

ヘルニア、様々な筋骨格系の問題、神経衰弱と診断された。しかし、現実には、「軍の病院では、これは一般に健康だと思われているので、治療してくれない 」ということだった。そのため、治療費や薬代は自費で賄わなければならなかった。

「2ヶ月間、俺は軍から治療を受けようとした。検察庁に行き、司令部に行き、病院のトップに会いに行き、大統領に手紙を書いた。誰も気にかけないし、誰も助けてくれない。保険もない、治療も受けられない。」

健康上の理由から空挺部隊からの転属を試みたが、拒否された。結局、VVK(医学・軍事委員会)に除隊を申し出ることにした。しかし、これもうまくいかなかった。

「書類を提出して医者に行った後、1ヶ月間、誰も検診の予約を送ってくれない。その結果、書類を紛失したと言われた・・・。」

「司令部は俺が勤務を忌避していると言って、刑事事件を起こすための書類を検察庁に送り、奴らは俺が健康診断を受けるのを邪魔しているなんて事は気にしなかった。」

フィラティエフは、自分の所属する部隊の政治担当者が、酔っ払って車をぶつけ、入院してしまったことが原因だと言う。「ちょうど昨日、彼は無責任に生意気になり、皆の前にただ立って、立ったまま、自分は何も気にしていないと言った・・・」

「どうやら上層部から白紙委任されたようだ。彼らの目的は、新しいスター(バッチ=昇進)のために、訓練も装備もないとは言え、できるだけ多くの人間を(前線に)投げ返すことだ。」

前線にいる間は、ほとんど情報から遮断されていたフィラティエフ。電話やインターネットを駆使して、「あらゆるところから貪欲に情報を吸収した」。しかし、「連邦政府の情報源は無味乾燥としていて、別の現実を隠している」ことが分かった。

フィラティエフは「良心、愛国心、常識のカクテルという内面的な対話」を感じた。ブロガーやYouTuberが「ロシア人であることを恥じる」「プーチンの軍隊を恥じる」と言っていることに怒りを覚えたのだ。「我々はプーチンの軍隊ではない、ロシアの軍隊だ」と彼は書いている。

「我々はロシア国民に宣誓した、そして......もし君らが、(自分が選んだ)政府に戦争の廃止を要求するために他の人々と一緒に行くことができないなら、この全てのクソも君らの手の内にある。ロシアはプーチンではない、ロシアとはロシア連邦のパスポートを持つ人々のことだ。」

「我々が死に、傷つき、苦しんでいる間、君達はどこにいたんだ?どこだ!?君達は居心地の悪さを恐れ、行政処分を恐れて行政庁の建物まで出て来て、”戦争反対!“と言えなかったんだ。」

また、ロシア政府による戦争の正当化も体系的に否定している。フィンランドはNATOに加盟し、日本はロシア領を主張し、トルコはロシア機を撃墜したが、ロシアはこれらの国々を攻撃していない。

ウクライナもドンバスで守勢に回っていた。「だからウクライナもロシアを攻撃しようとしたかというと、そうではない。」彼は、この地域の分離主義に反対するウクライナ人を責めることはしなかった。「もしカレリアがフィンランドの一部になりたいと言ったら?ヤクーティアはアメリカになるのか?」

フィラティエフは、ウクライナが「ナチス」の支配下にあったという主張を否定している。戦前にウクライナで会った人の中で、「ロシア姓であることやウクライナ語を話せないことを理由に、誰かが傷ついたり辱められたりした具体的なケースを記憶している」人に会ったことがない。

「ドネツクやルガンスクで戦火を逃れた人々とコミュニケーションをとっても、我々のメディアで叫ばれているようなナチズムの事例を聞いたことがない。」しかし、彼らは皆、戦争から逃げてきたのだから、ただ平和に暮らしたい、働きたいと言っていた。」

この頃になると、フィラティエフはもう戦いたくないと思うようになっていた。「ロシアに戻ると、不思議な感覚に悩まされた。戦争に反対していた自分がウクライナの人々に申し訳なく思う感覚に引き戻された。死に直面した時に最もリアルな人生が目の前に広がるからだ。」

「いつ自分がいなくなるのか分からないとわかっている時、その時だけ、人生とは何か、世界の美しさを理解することができる。他の人が自分を犠牲にしている間、安全であることを恥じた...」

「復讐、愛国心、お金、義務、キャリア、国家への恐怖など、多くの要因の人質になってしまっている」フィラティエフは、ロシアのテレビ司会者ウラジーミル・ソロヴィヨフのように、ロシアやウクライナの破壊を訴えていた両者の「狂信者達」を非難している。

「双方のプロパガンダは、公然とお互いを破壊するよう呼びかけ、火に油を注ぐだけだ...。目を覚ませ!我々は人間だ!我々は正統派だ!違いはない!敵ではない!我々は闘技場の犬のように突き合わされ、血を感じ、止めることができない!」

「今こそ真実を伝えるべき時であり、真実とは、ロシアとウクライナの両国の大多数がお互いを殺したいと思っていないことである。そして、この多数派が黙って座っている間に、ますます多くの人々が戦争に巻き込まれていく。」

彼は、ロシアの悪名高い泥棒政治の責任者達に戦争の責任があると責めている。「奴らにできることは、子供や愛人を西側諸国に留学させ、生活させることだけだ! そこで市民権を得て、本当の正義を享受するんだ!奴らはそこにあるもの全てを欲しがっている!」

「しかし、奴らはロシアでこう言うものを何も作れない。奴らがしたことは、国を盗んで盗んで自分達のことだけを考えることだ! これらの改革や取り組みは全て、予算を支配する者達を豊かにするためにのみ役立った。」

フィラティエフはまた、戦争に反対するためにキリスト教の価値観を訴えている。「俺は神を信じるが、”殺すな“という大戒を忘れ、正教の兄弟を殺すことを祝福している俺達(ロシア正教)の教会には、神を感じない。」

「我々は他国を攻撃する道徳的な権利はなかった」と、フィラティエフは結論付けている。ロシア人のルーツはキーウで、ウクライナ人とロシア人は同じ人間であり、多くの家族の絆がある」と結んでいる。

「だから我々は、ウクライナではみんなから嫌われていた。部外者よりも“身内”の裏切りの方がずっと辛いからだ。」手記を書くことにしたのは、「自分の思っていることを声に出す」ために必要だったからだと説明する。

「この平和の行動で多大な犠牲を払うことになることはわかっているが、良心を黙らせることはできない。正義の法廷が俺を終身刑に処することになると確信している。俺は買収され、西側のエージェントであると言うに違いない。しかし、もはや全てを黙って見ることはできない。」

彼はこの回顧録を、"НЕТ ВОЙНЕ!" というスローガンで締めくくっている。- "NO WAR!"である。

次回は最終回、ロシア軍のシステムに関するフィラティエフの詳細なコメントを見てみる。ロシア軍の何が問題で、戦争での破滅的な低成績につながったのか、興味深い内部事情を知ることができる。/終

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