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ロシアの落下傘兵の体験記「ZOV」 : クリス・オウエンのツイートから: パート(2) クリミアからヘルソンへ

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2022年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。今回は、クリミアからウクライナに入り、へルソンを占領し、ミコライフに到達するために不戦勝した侵攻軍にいたロシアのパラトルーパー、パヴェル・フィラティエフの一人称の記録にスポットを当てたものです。

フィラティエフが、戦前にクリミアで第56親衛空襲連隊の訓練を受けた6ヶ月間(理論上というより実際)については、こちら

連隊での体験に失望したフィラチエフは、ロシア軍との契約から早く手を引こうとしたが、失敗に終わった。彼は既にロシア国防省に、自分の部隊が戦闘に適さないことを訴える手紙を出していた。

また、自分の部隊の「無秩序な状態」が、他の軍隊の状態をどう表しているのか、心配でもあった。「しかも、これが空挺部隊で、エリートで、総司令官予備軍で!?他の部隊ではどうなっているのか、想像するのも恐ろしいほどだ」この予言は的中した。

2月中旬、クリミアに駐留していたフィラティエフの部隊や他の多くの部隊が、フェオドシヤの基地からほど近いスタリイ・クリムの訓練場に派遣されることになった。彼はニュースと病気の兵士までが訓練に駆り出されているのを見て、何か起きていることに気付いた。

フィラティエフとその仲間達は、何が起こっているのか分からなかった。「ウクライナとNATOがクリミアを攻撃し、それを防ぐために我々はただ国境に集まらなければならなかったり、ウクライナが(ドネツク・ルガンスク人民共和国)を攻撃したりと、噂や情報は様々だった。」

彼はドンバスに派遣されることを想定していた。「悲惨なドンバス」をロシアに併合するための住民投票が行われている間、「(我々は)平和維持軍の名目で作戦を遂行するのが論理的だと思った」ので、この地域を防衛するのだと想定していた。

フィラティエフは、以前から考えていた軍隊を辞めることを先延ばしにした。彼は「何かが起こりつつある今、それを拒否することは恥ずべきことであり、臆病になることに等しいと思った...。愛国心なのか、引き下がる気がないのか、何が俺を動かしたのか分からない」。

訓練場の状況は、フィラティエフを落胆させた。40人の中隊が1つのテントを共有しているのだ。「テントの中には寝台とストーブがある。チェチェンでも、もっときちんとした生活をしていた。食堂の食事は駐屯地よりまずい」洗濯するところもない。

他の部隊はもっとひどかった。2月にはストーブの火が消え、洗濯する場所もなく、冬には海に入る者もいた。」病気が蔓延した。病院は患者であふれかえり、「病院へ行くのを禁止する命令が出た」ほどである。

装備も不足していた。フィラティエフと7-8人の部隊の者は、「寝袋も、迷彩服も、
ボディー・アーマー(防弾チョッキ)も、ヘルメットetc…もなかった。」結局、彼らは順番に装備を使うことになった。

中隊と一緒にテントに入ることを拒んだフィラティエフの隊長は、無愛想なものであった。「俺のの寝袋と「戦士」キットはどこかと尋ねたら、彼は(その時)そこにいなかったから、どこで寝るか、どこで弾薬を手に入れるかは俺の問題だと答えた。」

ベルトの切れた錆びた機関銃を渡され、数発撃つと詰まってしまう。彼は長い間、油をさして修理していた。2月20日、彼の連隊は500-600人になり、目的地不明で出発する準備を始めた。

紛争地に派遣することは違法とされているので、本来は駐屯地にいるはずの徴兵が、侵攻軍に混じっていたのである。フィラティエフは、後に会ったある徴兵に、「味方の攻撃でひどい怪我をした」と聞かされた。

その徴兵者は、砲兵部隊で「お前は何もしなくていい、信号手だ」と言われていた。戦場に送られることはないと約束されていたようだ。しかし、これは技術的にはその通りで:誤って彼を撃ったのは味方の側だった。

ロシア軍は武器はたくさん持っていたが、配給については行き当たりばったりであった。「みんな食料も水も好きなものを好きなだけ取り、司令部も気にしない。」凍てつくような劣悪な環境の中で1カ月も射撃場で過ごした者もいたため、「誰もが汚れ、疲れ果てていた」。

携帯電話を渡した後、車列を組んでクラスノペレコプスクの町に移動し、そこで3晩、トラックの中で寝泊まりすることになった。トラックにはストーブがあるはずなのだが、その多くが作動せず、寒さの中で眠らざるを得なかった。

侵攻の前日の2月23日、師団長が「この日を祝って、明日から給料が69ドルになると発表した」と言う。
これは大幅な昇給であり、フィラティエフにとっては「何か大変なことが起こるぞ」という予兆であった。

弾薬や手榴弾が配給され、部隊がへルソンを攻撃するという噂が流れていたこの時期でさえ、フィラティエフはそんなことは「ナンセンス」であり、ロシア軍はドンバスに行く可能性が高いと考えた。キーウが標的にされるとは思っていなかった。

フィラティエフはまだ、ボディーアーマーや「戦士」(ラトニック)戦闘キットなどの基本的な装備品さえ持っていなかった。幸い、大隊長は彼に好意的で、不足している装備を入手し、中隊長との衝突を避けるために迫撃砲隊に配属した。

隊員達は、まだ自分達がどこへ行くのか知らない。悪名高いZマークも、直前まで秘密にされていた。2月19日、兵士達は2本の白い横縞をテープで車両に貼り付け、侵攻開始の数時間前にZの対角線を書き加えただけだった。

2月24日午前4時、フィラティエフはロケット砲の音で目を覚ました。「轟音と地響きが聞こえ、火薬の鋭いにおいが漂ってくる。(トラックの)車体から外をのぞき、日除けをひっくり返すと、空が明るくなって来た…

「隊列の右側と左側ではロケット砲が作動し、後方のどこからか強力な長距離砲の砲声が聞こえ、空気は不安と浮遊感を感じ、眠気は消えた...」と言う。

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「何が起こっているのか、誰がどこから撃っているのか、理解できない。食料、水、睡眠の不足と共に疲れも消えた。進軍してくるウクライナ人に向けて撃っているのか、NATOに向けて撃っているのか、何が起こっているのかよくわからなかった。もしかしてNATOになのか?」

誰も彼に何が起こっているのか教えてくれなかった。「俺のレベルは、契約落下傘兵のレベルであり、去勢に導かれる種馬のレベルだ」と、フィラティエフは苦々しく書いている。説明もなく、ただ命令に従えということだった。

「軍隊の契約兵士も同じで、行け、行け、いいぞ、今行けー、でもある時、美しい瞬間が来たらお前はお終いだ、そんな風に訓練されてきたんだ。」

ロシア軍の部隊は、クリミアとウクライナの国境にあるアルマニスクという町を通り過ぎた。木箱に入った迫撃砲の弾を積んだフィラティエフのトラックは、ブレーキが効かない。途中、一度は衝突し、ニアミスにも見舞われた。

「戦闘機が上空を飛び、攻撃ヘリコプターがそれに続き、前方では爆発音が聞こえ、空気は火薬の臭いがしていた。その光景は、魅惑的なほど恐ろしく、そして不穏なほど美しかった。」やがて彼らは国境を越え、(ロシアに)収奪された検問所を通り過ぎた。

しばらくすると、戦闘態勢をとるようにとの命令が出た。「トラックから飛び出して、道の両脇に走っていって戦闘態勢をとった。ひざまずく者、地べたに伏せる者、幾人かは汚れるのが嫌でただ立っていた。」

しかし、それは誤報だった。彼らは、再び前進した。途中、黄色と青に塗られたフェンスのあるウクライナの村々を通り、「不機嫌に身を縮めた若者や独身の老人が私達の列に洗礼を施す」ところを通り過ぎた - おそらく呪いの意味で十字を切ったんだろう。

侵攻して数時間たった今でも、司令官達は何が起こっているのか、誰と戦うのか、まだ説明していない。「隊列を組んでいる兵士達も、我々がどこに、何のために行くのかに思いを巡らしていた。それは彼らの疲れた、やや混乱した顔からもうかがえる。しかし、どうしたらいい?」

彼らがヘルソンに向かって「最低速度」で運転していると、フィラティエフは、前進する侵略者によって無視されていた、一見放棄されたように見えるソビエト時代の格納庫の近くで、異常な外観のKAMAZトラック(おそらく指揮統制車両)を見て警戒を強めた。 

「俺は直感で危険を感じた・・・。論理的には(ロジックでは)偵察機や攻撃機が先行していて、彼らが異変に気づかなければ万事OKだったのだ。しかし、俺はまた間違っていた。ロジックと現代のロシア軍は相容れないのだ。」

トラックが通り過ぎると、「無差別射撃」が始まった。隊列は再び戦闘態勢に入るよう命じられ、今度は本格的な戦闘となった。フィラティエフにとって、ウクライナ戦争で初めて体験する戦闘だった。

次回は、混沌とした無秩序なロシアのへルソン進攻と、ロシアがへルソンを占領する前の戦闘についてのフィラティエフの体験を紹介することにしよう。/終

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