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国際結婚・ニュージーランド移住の経緯

ニュージーランドに移住したのは30年近く前、1995年になる。

初めて海外に行ったのは1980年代ワーキングホリデー制度が始まって間もない頃。

東京の短大を出て最初に就職したアクセサリーデザイナーの仕事を、私はたった2ヶ月で辞めた。
海外に行くお金を貯めたかったのに、昼間の正社員のお給料のみでは生活していくだけで精一杯だったから。

フリーターで2年間、昼夜仕事を掛け持ちしてお金を貯め、オーストラリアのパースに1年間ワーホリで行った。

23歳で帰国後、九州の親の家に半年間身を寄せて金を貯め、また東京に舞い戻る。時代はバブルで景気が良かった。より好みしなければ仕事はいくらでもあった。

次は別の国に行ってみようと、昼は留学アドバイザーとして正社員で働き、夜はバイト。自活しながらお金を貯めるには仕事を掛け持ちするしかなかった。

その頃、東京で働いていたNZ人の夫と出会う。しかし夫は3ヶ月後転勤でロンドンへ。

貯めていたお金で、夫の後を追いロンドンに。妊娠、結婚、出産。それが25〜6歳の時。この間、日本の母がガンで他界。

夫はその後ニューヨーク転勤になり、乳飲み子を連れてマンハッタンへ引っ越す。
ニューヨーク滞在は8ヶ月あまりと短かったがこの間に日本の父がガンで他界。

父を亡くして3ヶ月後、夫は東京に転勤に。
夫は英国の会社に雇用されていたので、東京では駐在員待遇。
広尾の外国人用の億ションを会社が借り上げてくれて家賃はタダ。アメリカンドクターの医療費も全て会社持ち。年に一度は家族でNZ帰省の航空券代を出してくれる。

今思えば何ともセレブな生活だったが、重なる海外転居に加え両親を相次いで亡くしたことで、長女出産後から産後ウツを発症。それから実に7年間、重い鬱に苦しむ事になる。
東京には家族で3年半住んで、この間に次女を出産。

1994年、日本経済のバブルが弾け、夫の会社から経費削減のため現地雇用に切り替えてくれないかとの打診。妻(私)が日本人だったから。

日本経済の行く末を考えると、東京にしがみつくより、ニュージーランドに移住して子供をあちらでのんびり育てたほうがいいということになり、1995年末に家族でNZ移住。夫は会社を辞め自分の国に永住帰国した。

移住後 半年で三女を出産。夫34歳。私30歳。

移住時、NZドルは日本円に対して1ドル60円台の超円高だった。
そしてNZではまだ家が安かった。
バブルの東京時代の3年半で貯めたお金で、中古の一軒家が買えた。

夫はクライストチャーチの新聞社に職を得、私達は家を買い、ほぼ夫の収入のみで3人の子供を育てあげた。

しかしニュージーランドに移住してからも、まだ私は暫く産後の鬱に苦しめられることになる。産後うつとその克服の話は、またいずれしようと思う。

今まで住んだ国は、オーストラリア(パースー)・英国(ロンドン)・アメリカ(ニューヨーク)・日本そしてここニュージーランド(クライストチャーチ)

色々な国に住めて羨ましいと思われるかもしれないが、一生海外転勤を繰り返す駐在員生活は、妻と子供にとっては悲惨である。

夫にはキャリアを追求する仕事があり会社というコミュニティがあるからよい。でも妻と子供はようやく新しいコミュニティに馴染めたかと思うと、それを置き去りにして、またゼロから始めなければならない。

今はネットがあり、世界中どこにいてもオンラインで何らかのコミュニティと繋がっていられるかもしれないが、私が海外転居を繰り返していた時代は、まだエアメールとFaxだった。

ニュージーランドは特に憧れの国だったわけではなく、中途半端な田舎でのどかだった。そして思っていたのと違って、とても寒かった。
移住直後、私はこの国に馴染めなかった。
私の産後うつは悪化した。

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