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おばあちゃんと暮らしながら、お年寄りへの"苦手意識"について考える。


私の実家はおばあちゃんの家です。
いまは彼氏と同棲していますが、近いし一人暮らしは心配なので、2つの家を行き来する生活をしています。
こんな生活をしながら、だいすきなおばあちゃんと、お年寄り世代についてよく考えていることを書きました。


1. 思い出した、お年寄りへの”苦手意識”。


昨日は、祖母と一緒に「マイインターン」という映画をみた。ロバートデニーロが演じるベンが、シニアインターンとして急成長中のアパレル会社で働くお話し。

祖母と映画を観ながら、自分が以前まで祖母以外の”お年寄り”に感じていた苦手意識的なものをなんとなく思い出し、noteを書くことにしてみた。


2. 祖母と私。


わたしは小さい頃から、とにかく「おばあちゃん子」だった。

「なんでおばあちゃんが抱っこすると、泣きやむのよ。」
と母が不満そうに言っていたのを、おぼえてる。
祖母のにおいやシワシワの肌は、いまもなんだか落ち着く。2人で、海外旅行をしたり、動物園に行ったり、映画をみたり、ごちそうを食べたり、思い出はつきない。


でもあるときから、祖母には滅多に会わなくなった。
両親が離婚した中学3年生頃から。今思えば、父と一緒に住む選択をしたことで、母方である祖母に、うしろめたさがあったからかもしれない。


また頻繁に会うようになったのは、大学生になってからだった。
旅行したり、展覧会に行ったり。それまで距離ができていたことに対して、祖母は寂しがってはいたものの、また会えることの方を喜んでくれた。キャンパスもバイト先もこっちの方が近いからとかなんとか言って、祖母の家によく泊まり、色々あって、父の家を出て祖母の家に住むことになった。
昔からそうしたかったので、正直ラッキーだった。
そうして私の実家は祖母の家になった。


3. わたしの "スーパーおばあちゃん" 。


わたしは高校生の頃から、だんだん、祖母以外のお年寄りが苦手になっていった。
話が通じないし、やっかいだと感じていたから。
わたしたちはたぶん、この人たちより年金がもらえないんだとか、ただ歳をとっただけなのに偉そう、とか。


その中で祖母は例外だった。

LINEで連絡をとっているし、facebookもやっている。
instagramを更新するたび、電話してきたのは初めびっくりしたけれど、70歳をすぎてピアノを習い始めたり、わたしに刺激されて一人旅をしてみたり、人生を楽しむ祖母を尊敬していた。そして、わたしのおばあちゃんは”スーパーおばあちゃん”だと思っていた。



4. 祖母の記憶から、消えてしまうこと


大学生になって、祖母との時間が増えた。
幼かった頃より、話せることも増えた。
祖母の昔のはなしを聞いたり、わたしの恋愛相談をしたり、祖母に着物を着付けしてあげたり。
わたしにとっては、いまが一番祖母との時間が楽しい。

でも最近たまに、すごく不安になる。
77歳の祖母。
ひ孫の顔は見せれるだろうか。あとどれくらい一緒にいられるのだろうか。私のことは、いつまで覚えていてくれるのか...。


去年転んだときから、足が痛そうだったり、
急に体を向けると、慣性の法則のままよろけたり、
スマホをみながら歩いてくる若者を、うまく避けられなかったり。

前は追いつけないくらい早歩きだったのに、
いつからか、わたしの方が歩調を合わせていた。


4. 時間のながれの違い。


私が大人になるにつれ、祖母は老いていった。
祖母は、スーパーお婆ちゃんなんかではなくて、普通のおばあちゃんで、
ただ最高なおばあちゃんというだけだった。


そう思うと、祖母の"お年寄りらしさ"によく気付くようになった。
祖母の時間の流れは、私よりずっとゆっくりだ。

朝が早い祖母の1日はゆったりと過ぎる。
道端の草花によく気がつく。
季節の変わり目を楽しんで、
一緒に食べたご飯を何度も思い返しては、思い出に浸って、
一緒に行った旅行のことを昨日のことのように話してくれる。
そしてまだ、わたしを赤ちゃんだと思ってる。笑


祖母といると、ゆったり流れる時間も悪くない。
祖母にならって、朝できるだけ早く起きたり、草花をよく観察したり、トマトを育てたり、楽しかったことを何回も思い返したり、小さな喜びが大きくなる。


いまはもう、忘れられることはそんなに怖くない。
むしろ、そのゆったり流れる時間の中で、楽しかったことだけ、できるだけ持っていてくれれば思う。
わたしとの思い出は、こうしてわたしがたくさん、おぼえておけばいい。そう思えるようになった。


5. 苦手意識の理由


気づけば、"スーパーおばあちゃん" の幻想から冷めたように、
"お年寄り苦手意識" もいつのまにかなくなったように思う。


それまでお年寄りと、会話しても、どんなに思い出をつくっても、新しいことを教えても、なんだか虚しかった。
「どうせ忘れてしまう」
これが、苦手意識の根本だったのかもしれない。


でも、年配者にとっておぼえておくことって
わたしたちほど当たり前なことじゃない。
それに、おぼえていてもらうことって、そんなに大事なことだろうか。


見返りなんていいから、よかったことなら、自分で、何度も何度も思い返せばいい。その人の1日の、もしかしたら、そのいっときの、楽しい瞬間にもしなれたら、それで十分だと思う。







最後に。

正直、祖母はまだ介護がいるほどでもないし、そのときは”苦手意識”どころじゃすまない問題とまた戦うんだと思います。

年配の方と自分の違い、わかっているようで意外とわかっていない部分が大きい気がします。優しい世界になって欲しいなあ。

最後までありがとうございました。



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