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タイカ・ワイティティ監督「ジョジョ・ラビット」と吉見俊哉著『大学は何処へ 未来の設計』を読んで。

○ストーリーと概要:主人公は当時の”普通の”少年

 時代はナチ統治下ドイツ、主人公は10歳で当時の「ちゃんとした」少年。心身ともに「健全な」青少年の育成や思想を統制する、青少年のナチ化のための組織「ヒトラー・ユーゲント」に所属。「ヒトラー万歳!」「ユダヤ人はやっつけないといけない!」と疑わない、当時の政治体制的に「ちゃんとした」少年という設定です。

 この少年の母親がこっそり屋根裏にかくまっていたユダヤ人の少女をあるとき、偶然少年が見つけてしまいます。「本物のユダヤ人だ!どうしよう?!」と戸惑いながらもその少年の葛藤と時代背景とがコミカルに描かれている映画です。

 この映画のおもしろい描写のひとつは、ストーリーがこの少年と、少年の心に内面化されたヒトラーとの語りで展開されるところです。あとこの映画を見終わってから、一緒に鑑賞した中学校からの女友達から「これ役者じゃなくて監督自らが演じてるねんて」という衝撃の事実をきかされ、ストーリーも内容の独創性だけでなくて、その制作を進めるために自ら役を演じてしまうほどの熱意やこだわりの部分にまで驚かされた映画で、見れてよかったと思います。

○心魅かれた母親の描写とナチ体制下の「ジャズ」

 特に印象に残ったのがこの少年の母親の描写です。当然ながら当時、ユダヤ人をかくまうのは法律違反かつ社会規範違反です。にもかかわらずこのようなことをする人物です。セリフのなかでも「こんな戦争早く終わらせればいいのに」というような感じのことをよくしゃべり、戦争やナチ体制に否定的です。そして彼女はこっそり”ジャズ”音楽を聴くのです。

 おおざっぱににナチ統制下の社会での文化統制についていうと、「神聖なドイツ的なるもの以外はすべて悪」とされ、ドイツ人作家の詩や文学、音楽等だけを残し、ユダヤ人作家の芸術なんかはすべて焚書や発禁リストの対象となりました。「ナチス 焚書」「Nazi Book burning」なんかでググると写真がたくさんヒットします。そこで、「ユダヤや、憎き戦的であるアメリカの”遅れた文化””退廃文化”のジャズなんか」も当然、レコードもなにもかも発禁対象となっていたのでした。

 一方で1930年代のナチ統治以前の1920年代にすでにジャズ音楽やレコードがドイツに輸入されていたことや、国外電波のラジオを盗聴等したりで、闇的にジャズを聴いていた人たちもいたと考えられています。まさにそのような人がこの母親のキャラクターに表現されたのではないかと思います。

 ヒトラーユーゲントの活動で主人公の少年が元気に焚書をし文化統制に無邪気に加担ているシーンが描かれ、一方で薄暗い家の中で静かに異端のジャズっぽい音楽を聴いている母親がいて、その母親がかくまうユダヤ人の少女と少年が対面してしまうという、人間ひとりひとりが抱えるまったく別々の文脈がひとつ屋根の下できゅっと静かにぶつかり交わる状況が、ストーリー全体をなんかとても印象深くさせていると感じました。

○大学での学びの経験

 そういう近代ドイツ史を学んだ大学での経験で、この監督兼脚本家と会ったこともないのに文化の一端を共有できたような気になれる時間過ごせて、別の言い方だと、人と会わずとも知を通じた「これ、魅かれますよね。おもしろいですよね。」のひとり架空共有タイムすごせるのが好きです。知というコンテンツを積み上げていれば、年齢も国境も言語もジェンダーも収入も性格も相手と自分が全く異なっていたとしても、一定のコンテクスト共有できた気分になれるから、自分の気持ちが落ち着きます。

 吉見俊哉著『大学は何処へ 未来の設計』によると「理系偏重&文系廃止」の流れは何もここ最近始まったことではなくて第二次世界大戦ごろからずっと続いていたことだそうですが(武器製造なんかに理系的な学問が必要だから、文系が学徒動員・理系学生は徴兵免除とされていて、いくら数学的な勉強に苦手意識があったり関心がない学生でも、そこそこの学力があったら死なないために理系進学志したようです。)実際、こういうオンラインや観光で異文化の人と簡単に接点もてる社会で、自分の生まれ育った文化環境を重んじつつ、それでも異なる文化圏の人と友達になったり仕事してお金稼いだりするには、いわゆる文系的な学問も推進してしかるべきだと感じさせられました。

○非合理的で再現性の低いことが多いビジネスの現場

 というのも、東浩紀がひろゆきに「何のために歴史を勉強するのか?」と聞かれて、いわゆる理系と文系の学問の違いで「再現性の高い事象をあつかうか、再現性の低い事象をあつかうかの違い」みたいなことを語っていたんですね。不確定な要素の多いVUCAの時代なんて言われますけど、常に既に世の中は不確定でしかないうえに「次は同じ失敗はしないし、次に同じようなビジネスチャンスやってきたら絶対モノにしてやる」と思っても、運がよくてせいぜい「似たようなチャンス」でしかないんですよね…。

 「誰がやってもA薬品を3ml、B薬品を5ml、60度で20秒加熱したら95%くらいの確率でC薬品約7mlができます」みたいな再現性もニーズも高い業務もたくさんある一方で、”フットワーク軽くて事務処理能力高いAさんとの営業案件で”今回は”業績ぐんぐん伸ばすだろう”、”モチベーション低くて横柄な物言いのせいで他企業の営業担当が寄り付かないBさんとの担当業務のせいで、”この2年”いい情報が全く入ってこなくて事業イノベーションが全然無い」とか、結局どうしようもないしがらみにしがらまれるしかない状況もいっぱいあるんですよね。Bさん抹殺とかできないし。常にベストメンバーだけで全く同じプロジェクトすすめられることの方が稀有すぎるし、しかも今後の社会の流れ的には、一緒に仕事するAさんもBさんも日本っぽい文化の人じゃないかもしれないし。

 言いたいことは、再現性のないような状況に置かれたり、再現性がないなかでどうふるまうかを考えさせられる状況でしかないなら、やはい再現性のない現象をとりあつかう学問は必要だと思ったということです。

○「微分」と「積分」を意識的に往復できるか

 歴史とか哲学とか一見無用の長物的な学問って、世の中の事象とかを微分と積分どちらもできるようにする能力培う学問ではないのかなと、個人的には思っています。

 感覚的な話でエビデンス弱いのですが、わたしが受けたころの日本の国語教育の弱点って文章の要約の問題が多く、展開させていくところはちょっと投げやりな問題が多かったような気がするんですよね。「あなたの意見を■字で書きなさい」とか自由すぎて難易度がぐっとあがりすぎる。だから捨て問になる。要点抽出はできても、いま目の前に存在しない可能性を、ロジカルに広げることの弱さだと思います。そこそこ名の知れた大学卒のビジネスマンと仕事するときに「この人指示されたことは器用にそつなくこなすのに、なぜか”創造性がない”とか”フットワークが重い”ような印象があるんだろう?」と思うときに「要約問題できちんと点数稼いで、常にちゃんと成績を残せる優秀な生徒」だったのだろうとわたしの勝手な脳内決めつけが作動します。

 微分と積分のたとえに戻りますが、微分すると次元がひとつ下がって例えば複雑な3次関数がより簡単な2次関数になるんです。その時に、一番最後の定数の部分が消えるんです。積分は微分の反対で、その簡略化した2次関数をもとの3次関数に戻すんですけど、このとき消えた定数をどうにか復活させるんです。+3かもしれないしー7かもしれないし。つまりもとの関数はy=x³+5x²+x+3かもしれないしy=x³+5x²+xー7かもしれない。あるいはy=x³+5x²+x+999かもしれないみたいなことを想定して解く力が問われます。(※当時の高校数Ⅱの不定関数の話です。センター試験対策までしか勉強していません。)

 つまり私が思うのは、こういうさまざまな個々の事象を抽象化してまとめあげる力と、逆に抽象的な概念やことばから個別些末な事象にまでことばや思考を展開できるか(より多くの個別具体な事象に結び付けられるか)、状況に応じて次数の上げ下げを意図的にちゃんとできる人というのが、社内外問わず一緒に仕事をしていて楽しくて尊敬できる人だったり、数少ない長年の友人の共通点かなと考えています。特に仕事の場合、私は社会人経験が短いので、自分よりキャリアや年齢が上の人が多いだけに、余計にそうした差を感じるような気がします。

○最後の余談

 そもそもこの映画を勧められたきっかけが、偶然仕事を一緒にすることになったアメリカ人映像クリエイターの女性社長に「大学でドイツ近代史されていたんだったら、きっとこの映画気にいると思う」ってわたしの経歴と関心鑑みて教えてもらったことで、そのちょっとあとにたまたま中学からの友達が「Amazonプライムでめっちゃいい映画買ったから一緒に見よ!(大学でドイツ史勉強してたしたぶんこういうの好きやろ?)」って誘ってくれたことだったり重なる偶然の結果、まさかいろいろドンピシャに好きな映画みることになってるから、映画そのものを楽しんだ経験と、一緒に仕事した方とか友達が「私の興味について想像力はたらかせてくれている」っていうような気持ちとでとりあえずうれしい気分になれるから、院生時代にいっぱい本読める環境整えてくれた先輩方にはありがたいなぁと思います。


《参考文献の一部》

▽ヒトラーユーゲントについては原田一美著『ナチ独裁下の子どもたち―ヒトラー・ユーゲント体制』 (講談社選書メチエ、1996年)
▽ナチ統制下の音楽についてはエリック・リーヴィー著(望田幸男訳)『第三帝国の音楽』(名古屋大学出版、2000年)とか。

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