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高校生「病み」論 ~中途半端な自分がしんどい人へ~

 こんにちは。はじめまして。

今、これを書いている私は受験期真っただ中の高校3年生です。県内有数の進学校に通っていて、難関大学を志望しています。
そんな私がなぜ、このような文章を書こうと思い立ったかというと、自分自身が、高1の半ばから高3の夏までの2年間、病み続けていたからです。
どれくらい病んでいたかというと、無気力な自分への自責の念で、自然と涙が出てくるくらい、一時は死ぬことだけを1日中考えて、他のことは手に付かないくらい、病んでいました。
こうして自分の病み体験を文章に残すことで、同じように苦しんでいる高校生の助けになれたらと思い、今、キーボードを打っています。

これから、自分が病んできた経緯をできる限り率直に、説明していきたいと思います。
そのあと、自分がここまでこじれてしまった原因はなんだったのか、もし皆さんが似たような状況にいたら、どう対処すればよいのか考察してみたいと思います。
自己嫌悪や虚無感にさいなまれてどうしようもなく辛い、そんな方はぜひ、一度目を通していただけると幸いです。


まず始めに、私は非常にダサい人間でした。

1年生から生徒会をやっていて、生徒会長を務めました。部活も充実していて、課外活動にもたくさん参加しました。
私服登校の学校なので、文化祭や七夕やハロウィンも、思いきりオシャレしてエンジョイしました。
人並み以上に恋愛もして、友人関係に悩まされたこともありません。
はた目から見たら、申し分のない高校生活だったと思います。

それでも、充実した日々だったとは、どうしても言うことができませんでした。
全てが中途半端だったからです。
絶対にこれはやりきると自分で決めたはずなのに、何かを始めるとまったく気力がなくなって、放り出したくなる、そのくりかえしでした。     
生徒会も。部活も。勉強も。文化祭も。
期限ぎりぎりに準備して完成度の低いものになったり、周りに迷惑をかけたり、しまいには実際に自ら立ち上げた生徒会の組織を放り出しました。そんな有り様なのに、自尊心だけはめっぽう強くて、いつも虚勢を張っていました。

どうして他の人みたいに努力できないのか。
どうしてこんなに人任せで、無責任なのか。
どうしてダメな自分を自覚しながら、見栄をはってしまうのか。

努力が面倒だから、
根気がないから、
でも自分がサボっているのを隠したいから、
周りの人たちがデキるのが悔しいから。
どんどん、自責の念が募っていきました。
それはもう、抱えきれないくらいに。

今思うと、当時は認知症の祖母と二人暮らしをしていて、十分な食事も睡眠もとっていなかったので、そんなに自分を責める必要はなかったなと思います。
しかも高校入学と同時に引っ越したので、家にも学校にも、居場所がありませんでした。
けれどその時は、それらがただの言い訳に感じられて、自分を責める癖がついてしまいました。
そのうち、ほとんど毎日のようにどうでもいいことで泣いて、不安感で眠れなくなって、死にたい、消えたいと思うようになりました。
実際に首を吊ろうとして、力を掛けたら怖くなって、何時間も逡巡して、泣き疲れてやめるなんてことを、何度も繰り返しました。

今思えば、この時点で完全に「鬱」です。病院で診察を受けるべき状態です。
  けれど私は、
自分が病気であるべきでない
  と考えていました。
うつ病になる人には、職場でパワハラを受けているとか、家庭に問題を抱えているとか、何か強くて具体的な要因があるべきで、そんな漠然と悩んでいるだけの自分が病気だなんて、ある意味おこがましいと感じていたのです。
自分が精神疾患なのではないかという疑いはあったけれど、自分の怠惰さを病気のせいにしたいだけだと、本当に病気の人はもっと苦しい思いをしているのだと、その疑いを押し殺しつづけていました。

誰かに相談することもできませんでした。いったい何を話せばいいのか分からなかったからです。
それに、自分のつかみどころのない不安感を、つまみ食いで理解したふりをされるなんて絶対に嫌でした。
 正直なところ、何も話さずにいれば、何か深刻な悩みがあるのだと、勝手に思ってくれるんじゃないか、という気持ちもありました。

そんなこんなで、私は病院にも行けず、人にも相談できず、病んだり元気になったりを繰り返しながら、少しずつ病みを増大させていきました。

私が病んだ経緯はたったのこれだけです。
けれどここで、皆さんの中には「やっぱりこの人には病むだけの深刻な事情があったんだ」と、さらに自分を卑下してしまう人もいるかもしれません。
でも、病んだ理由は所詮、後付けです。
私自身も、本当に辛いときは自分が何の理由もなくサボっている、と感じていました。
私が本当に伝えたいのは、病んだ原因がどうだったか、じゃなくて、
今自分が抱えているしんどさ、つらさ、痛み、苦しさを認めてあげてほしい、
ということです。
何一つ明確に言える理由はなくても、事実あなたが苦しいなら、自分は苦しい、だから休もうって、思ってほしいです。

少し本筋からそれたので、本題に戻ります。

私が、何の大きなきっかけもなく、ここまでこじらせてしまったのは、
 「漠然とした病み感」と、
 「理解されない恐怖
のせいだったと思います。
その2つが、私の病みの二大要素でした。        
特に、私のようにプライドの高い方には、似たような感覚を抱いている人が、多くいるのではないでしょうか。

ここからは、それらの要素を私がどのように克服してきたのか、つづりたいと思います。

一番の転機は、病院のカウンセリングに掛かったことでした。
人に相談することを避けがちであった私ですが、高校3年生の夏休み明けに不登校になったことで、ようやく専門の人に相談しようという気になったのです。
そこで、ひとつひとつ、自分が苦痛に思ってきたことを話しました。
あちこちに散らかった、それぞれは些細な内容でしたが、精いっぱい言葉にしてみると、思っていた以上に自分は苦しい状況にいたんだと気づきました。
そうして、今まで抱えてきた「自分には病む権利なんてない」という屈折した気持ちを、ほどくことができたのです。

また、カウンセラーの方から、通常の人は疲れても休めば自然と回復しますが、私の場合は疲弊する要因が多すぎて、自然に回復するのが困難な状態なのだと説明されました。
自分の怠惰が原因で頑張れないのではない、理由があって無気力になってしまっているのだと分かって、自責感をかなり和らげることができました。

さらにもう一つ、私は「HSP」ではないか、という指摘ももらいました。
HSPとは、人一倍感受性と共感する力が強く、考え込みやすかったり、他人に深く影響されやすかったりする気質のことです。
「繊細さん」という通称で知っている人も多いかもしれません。

HSPの説明を初めて見た時、私は自分がそうだとは感じませんでした。
でも指摘されてから改めて本を読むと、HSPの枝葉的な性質はあまり当てはまっていなくても、本質的な部分はすごく自分に近いと感じました(HSPの診断テストでは二十三個の質問に答えるものが一般的ですが、私にはDOESという四つの性質を確認するものがしっくりきました)。
以前は、相談することへの恐怖を自尊心が強いせいだと思っていましたが、改めて、この気質のせいだと気がついたことで、少し、肩の荷を降ろすことができました
こうして、相談することへの拒絶感も薄くなり、素直に自分の心情を言語化できるようになれたのです。

漠然とした不安もれっきとした「苦痛」として認めていいんだということ。
頑張れないのは、疲れすぎて休養が必要だからということ。
理解されない恐怖は自分の気質からきていたこと。 
だから自分を責めなくていいんだってこと。

それからは、罪悪感を覚えることなく、割り切って休みに専念できるようになりました。好きなだけぼーっとしたり、気が向いたら本を読んだり、お菓子を作ったり。

また、心療内科で気分の安定と睡眠のための薬を処方してもらうようになりました。
眠れないというのが結構な恐怖だった私にとって、スムーズに眠れるようになったのは、本当に大きな進歩でした。

そして、今、こんな文章が書けるまでに回復しました。


ここまで読んで、少しでも私が抱いていた感覚に共感してくださった方に、伝えたいことがあります。


まず、他の人と比べて劣等感を感じてしまって、どうも意欲が湧かない、主体的になれないと悩んでいる人へ。

マズローの欲求段階説って知っていますか?
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現の欲求と、下からひとつずつ欲求を満たしていくことでより高次の欲求が生じる、というやつです。
なんだか努力するのがしんどい、そんなひとは自己実現の欲求以前に、満たされていないものがあるのではないでしょうか。
きちんと食べて、眠れていますか?
安心できる居場所はありますか?
自分のことを、認めてあげられていますか?
私の場合は、低次の欲求から穴だらけだったのに、どうして自分は自己実現のための努力ができないのだろうと、長い間悩んでいました。
同じように無気力感に悩まされている人も、下の四つの欲求が満たされているか、見直してみることをおすすめします。
努力できないのはきっと、あなたが怠け者だからではなく、条件が整っていないだけのはずです。

もし、こういう人が周りにいる人は、その人の至らないところを指摘したり、頑張れと声をかけたりするのではなく、今の状態で十分に頑張れていると、認めてあげてほしいと思います。

次に、つらいことが重なって、心身に不調が出ている人へ。
たとえば、眠れない、睡眠の途中や、早すぎる時間に起きてしまうなど、睡眠に異常がある人、原因のあいまいな、慢性的な頭痛や腹痛、倦怠感に悩まされている人、どうでもいいことで頻繁に泣いてしまう人へ。

ためらわず、病院に行きましょう。
親御さんに相談しにくい場合は、保健室の先生や、厚労省の電話相談室などに、心の不調で病院に行きたいけれど自分一人では行けない、という旨を伝えましょう。
よくネットには、○○の症状が二週間続く場合、とか一か月続く場合は病院へ、と書いてありますが、そんなの厳密に考える必要はありません。
日常生活に支障が出るほどでなかったとしても、自分が苦痛だと感じたら、ためらわずに心療内科を受診すべきだと思います。
精神科や心療内科は口コミが割れるので、選ぶのが難しいかもしれません。でも、症状に合った薬をもらえるだけで、だいぶ楽になることもあります。そのためだと割り切って、あまり悩まず、まずは行ってみてください。

最後に、死にたいと思っている人へ。
頻繁に死にたいと思ったり、具体的にどうやって死のうか考えていたり、実際に行動に移していたりする人へ。

これから先、楽しいと思えることも、きっと起こるだろうと思います。
かつて死にたいと思っていた友人と話してみると、死にたい時ってすごく視野が狭くなっていて、生きる価値が分からなくなってしまうんですよね。
私も、こんな性格で、この程度の能力で、生きていても仕方ないと思っていました。
とにかく死ぬことしか考えられなかったり、ぼんやりと病んで何もできない自分を消しちゃいたいと感じたり。
この先、幸せになる可能性なんてちっとも信じられないだろうと思います。
それでもやっぱり、何かあるはずって、希望を持ってほしいです。
後になって、あの時はどうかしちゃってたって、さらりと言える日がきっときます。
あと一歩踏み出せば死ねる、という段階まで来たとき、少しでも怖くなったなら、将来経験するはずの嬉しいこと、楽しいことの可能性を、信じてみてほしいです。

自殺を考える人って、とてもまじめで、責任感が強くて、頭のいい人が多いそうです。
本来、社会から必要とされる有能さを持っていて、今はそれを活かすことなんて考えられないかもしれないけれど、十分に休めば、かならず気力を取り戻せます。
今無気力なのはあなたの性格ではなくて、休みたいという心身からのサインです。
それに素直に従って、病院や薬なども頼りながら、思い切って長めに休むべきだと思います。

自分より苦しい人もいるのに、自分はこんなに恵まれているのに、なんて思って、人よりサボることに罪悪感を覚えることもあるかもしれません。
でも、死にたいと思うだけで、生物としては異常な状態です。
逆説的ではありますが、ある意味堂々と、誰よりも自分は苦しいんだと、胸を張ってください。


長くなるだろうと思っていましたが、案の定、長くなってしまいました。
ここまで私の拙い文章にお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。
最後に、辛い病みの中で苦しむ人が少しでも減ることを、心から祈っています。

みんな絶対に、大丈夫です。

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