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【第10輪】 新潟から上京してきた青年が、経営者の素質ありすぎて、多くの人に愛される銭湯“稲荷湯”を作っちゃった件(実話)


少し前『ルワンダ中央銀行総裁日記』という実話本が「ラノベみたい!」と話題になりました。

そのあらすじは「突如アフリカのルワンダに飛ばされた日本人銀行マンが、異国の中央銀行総裁になって、経済を立て直しちゃう」というムチャクチャなものです。

このように、歴史には「ラノベ的」と評されるスーパー偉人が時たま現れます。

そして、本メディア「湯の輪らぼ」が拠点としている神田・稲荷湯の初代も、そうしたラノベ的スーパーマンだったのです。

本日の記事では、編集長ユウト・ザ ・フロントと稲荷湯三代目(仮)のまもるが、稲荷湯初代がどのようにして、多くの人に愛される稲荷湯を創り上げていったのかを見ていくことにします。

それでは本編をどうぞ!


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編集長ユウト:さて、タイムマシンに乗って、初代の原点に来ましたけど、こりゃ結構な田舎だね。
稲荷湯三代目(仮)まもる:そうだね。僕のおじいちゃん(稲荷湯初代)は、元々新潟の農家の生まれだったんだよ。
ユウト:そうなの?! 新潟の農家から銭湯経営って、道筋が想像できないな...
まもる:ホントだよね笑 ただ、前提として、初代は長男じゃなかったから、農家を継ぐっていう流れにはならなかった、というのはあるね。
ユウト:だとしても、そこから「東京で銭湯をやろう!」ってなるか...?
まもる:どうやら、初代が住んでいた地域には、東京で銭湯を開いているっていう人が結構多かったらしいんだよね。

実際、東京の銭湯で「新潟・石川・富山」の北陸三県にルーツを持っているところも少なくないんだよ。
ユウト:それは意外な事実...! なるほど、じゃあその流れで、稲荷湯初代も東京へ進出していったというわけか。
まもる:そうだね。初代が東京に出てくることで、新潟の親族たちの拠点を作れる、みたいな意味合いもあっただろうね。

しかも、東京に出ていった時は、初代はまだ25歳だからね。
ユウト:25歳?! すげえなあ。今の僕たちに置き換えると、単身でニューヨークに行って、事業を興すみたいな感じだもんな。
まもる:超人的よね。
ユウト:うんうん。 それで、初代は東京に出て、まず何をしたの?
まもる:初代は、まず東京足立区へ向かったんだ。
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ユウト:足立区か。初代は、ここで何をしていたんだろう。
まもる:どうやら、足立区の銭湯で ”丁稚奉公” していたらしいんだよ。
ユウト: ”丁稚奉公” ?
まもる:現代でいうインターンのようなものだね。
ユウト:なるほど。働かせてもらいながら、銭湯経営のノウハウを学んでいったわけか。
まもる:そういうことだね。そして、一定の経験を積んだのち、初代は、池袋にあるとある銭湯の経営を任されるんだ。
ユウト:わお! 急展開! しかも、ラーメン屋さんののれんわけみたいなスタイルなんだ。
まもる:そうそう。それで、初代はインターン的立場から経営の立場にこの時変わったんだよね。奥さんと出会ったのも、この時期らしいよ。
ユウト:初代の人生、目まぐるしすぎでは?!
まもる:それな。 そして...次章ではついに「稲荷湯」が誕生します!
ユウト:(おお...)


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ユウト:さて、僕たちはタイムマシンに乗って、また移動してきました。

池袋銭湯の経営をしている状態から、初代はどうやって現在の神田・稲荷湯の設立に向かっていくのかな。
まもる:どうやら、稲荷湯設立のきっかけとなる運命の出会いが1955年にあったらしいんだよね。
ユウト:ほほう…
まもる:それが「光泉浴場」

今の神田・稲荷湯の場所に建っていた銭湯なんだ。そして、初代が池袋の銭湯を経営している期間に、偶然この光泉浴場が売りに出されたらしいんだよ。
ユウト:なるほどね。 初代は、そのタイミングで光泉浴場だった場所を買って、新たな銭湯を始めたってわけか。
まもる:そうそう。
ユウト:でも、初代はどうして池袋で継続するのではなく、神田の銭湯を新たに購入したんだろう?
まもる:シンプルに「立地」という要素の影響は強かったと思うよ。皇居の近くということで箔が付くっていうのもあるだろうし。
ユウト:そういうことか! でも、立地が良いということは、つまり、価格も高いということだよね?
まもる:うん。池袋よりも高かったらしい。 

ただ、初代も池袋銭湯の経営である程度稼いでいたし、本家からの支援もあって、お金はなんとか工面できたと聞くよ。
ユウト:本家からの支援! 確かに、新潟の実家にとっても、初代の試みは拠点作りという意味で重要なのだものね。
まもる:まさにだね。 そして、この本家から資金的援助をもらったという話には、衝撃的なエピソードがあるんだ。
ユウト:衝撃的?
まもる:うん。この時代だと、現金は直接運ぶしかなかったんだ。そこで、初代のお母さんが新潟から東京へ資金を運ぶことになったんだけど…

その方法が「ドラマの爆弾魔みたいにお金を体に巻き付ける」という破天荒スタイルだったんだ。
ユウト:なんじゃそりゃ!? 
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まもる:体に巻き付ければ、置き忘れることもないし、盗られる心配もないからね。
ユウト:そりゃそうだけど...

初代の行動力は、親世代からの遺伝みたいだな...
まもる:事実かどうかは分からない神話ではあるけど、親族の見解だと、あの人ならやりかねないという認識らしい笑
ユウト:それだけ一世一代の挑戦だったわけか。
まもる:うんうん。でも、初代はまた違った悩みのタネを抱えることになるんだ。
ユウト:資金の次は、何に悩んでいたんだろう?
まもる:それは新しく立ち上げる銭湯の「名前」なんだ。
ユウト:なるほど! 確かに、ネーミングは大事だからね。
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まもる:そう! そのために初代は、偶然に光泉浴場の近くにあった「御宿稲荷神社」に向かったんだ。

そこは、徳川家康が江戸に来た時、泊まったという逸話があるくらい由緒正しい場所なんだよね。
ユウト:地域の歴史にあやかって銭湯の名前をつけよう、ということか!
まもる:きっとそうだと思う。 そして、この御宿稲荷神社でも運命の出会いがあったようなんだ。
ユウト:なんだろう…気になる…
まもる:それはね…

まさかの御宿稲荷神社の責任者が、初代と同じ「新潟県」出身だったんだよ…!
ユウト:同郷同士は惹かれ合う…ってことか。
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まもる:その偶然の出会いのおかげで、初代は御宿稲荷神社にあやかった名前を使う許可を、二つ返事でもらえたんだって。
ユウト:すげえなあ。 
まもる:そして、ここでついに御宿稲荷神社をもとに、銭湯を「稲荷湯」に決めたんだ!
ユウト:おお!歴史的瞬間!
まもる:「① 偶然売りに出された光泉浴場」と「② 偶然同郷だった御宿稲荷神社の責任者」

この ”二つの運命の出会い” があって、神田に稲荷湯は生まれたんだね。
ユウト:お、サブタイトル回収(笑) 

話を聞いていて思ったのはさ、初代ってブランディング的な思考が強めだよね。
まもる:確かにね(笑) その場所である理由もしっかり考えられているもんね。
ユウト:うん。 それに、判断力と運。経営者に求められる資質を、初代はしっかりと持っていたんだね。
まもる:初代は、東京で人脈を広げて、人材斡旋みたいなこともやっていたらしいから、経営の手腕はホンモノなんだと思う。

新潟から上京してきて、料理人になりたいって人に洋食屋を紹介する、みたいな。
ユウト:マジか… 「東京に出て、拠点を作る」という目的も、初代は達成していたのか…
まもる:そして、初代の敏腕経営者ぶりは、この後も進化しつづけたのだ!


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ユウト:さっきの章は、だいぶ言い切って終わったね。
まもる:そうだね(笑) 

でも、本当に初代の経営には目を見張るものがあったんだよ。それが顕著に現れたのが、稲荷湯の「2階」なんだ。
ユウト:2階?
まもる:うん。 稲荷湯の2階スペースには、書道に詩吟、剣道に至るまで、数多くの“顔”があったみたいなんだ。
ユウト:文化の幅が広い!
まもる:特にトレンドに乗ったのが1973年。

当時、世の中では麻雀がすごく流行っていたから、初代は、2階のスペースを急遽「雀荘」にすることに決めたんだ。
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ユウト:判断が早い! 「乗るしかない、このビッグウェーブに」とは、まさにこのことか…
まもる:初代の「やってみる精神」は、本当に尊敬してるよ。
ユウト:そうだね。 だって、いくら麻雀が流行っているとはいえ、一定の設備投資はしなきゃだもんな。
まもる:うんうん。 

その後も、1981年には稲荷湯をビルごとリニューアルしたり、時代に先駆けて番台をフロントに変更したり、と初代の経営手腕が衰えることは無かったんだ。
ユウト:初代が止まらねえ…
まもる:まだまだあるよ。初代が関わったとんでもない発明。それがこの「敬老入浴券」なんだ。
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ユウト:見たことないな。
まもる:これは千代田区が、65歳以上の住民が銭湯で入浴できるように配っているものなんだ。自治体によって形式は少しずつ違ってるよ。
ユウト:銭湯版シルバーパスがあったなんて…
まもる:そして、神田が属す千代田区の敬老入浴券は、初代率いる稲荷湯ともう一つの銭湯が、自ら行政に働きかけて、その協力を得ながら作っていったものなんだ!
ユウト:初代、行動力ずば抜けてるな。いわゆるロビー活動ってことだよね。
まもる:そうだね。
ユウト:テックジャイアントみたいなことやってる…
まもる:実際、お客さんの半分くらいは敬老入浴券を利用されているからね。
ユウト:マジか。初代が集客のプロすぎる... 

しかも、1970年代っていう高齢者人口の割合が低い時から、その福祉の視点を持てていることがまずすごい。社会起業家やん。
まもる:まさに敏腕経営者だよ… 

この後も、稲荷湯は、薪と重油からガスになったり、煙突の利用をやめたり、と変化していくけど、その話は第3輪の煙突記事に書いてあるから、ぜひ読んでみてください!


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ユウト:さて、これまで初代の敏腕経営ぶりを見てきたわけだけど、それ以降の稲荷湯の大きな転換点はどこになるのかな?
まもる:おそらく、東日本大震災の日。3.11になると思う。
ユウト:あの大災害は、稲荷湯にも影響を与えていたんだね。
まもる:うん。 地震の影響で、浴槽の上の壁が揺れで剥がれ落ちちゃったんだ。

それで、そのままだと見栄えが悪いからどうにかしようとなった。これが稲荷湯の「銭湯絵」の始まりなんだ。
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ユウト:なるほど。 傷を隠すタトゥーのような文脈で銭湯絵が始まったんだ。
まもる:そして、その絵を描いてくださったのが、田中みずきさん。この湯の輪らぼでも、インタビューをさせていただいた銭湯絵師さんだね。
ユウト:ぜひとも、その記事も読んでいただきたいね。それに僕たちは、なんともありがたいことに、銭湯絵の描き換え案の企画にも関わらせてもらったからね。
まもる:そうだね。 話を戻すと、みずきさんは、震災前にご自身の絵を稲荷湯に持ってきてくれたことがあったんだ。

そこから縁で銭湯絵をお願いしたという流れだね。
ユウト:みずきさんとの出会いも、初代から受け継がれている偶然を引き寄せる力によるものかもしれないね。
まもる:本当にそうかもね。
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ユウト:さて、現代に戻ってまいりました。 いや〜稲荷湯初代は、やっぱりチート級人物だったね。
まもる:本当にすごい人だと思う。
ユウト:人との出会いに恵まれ、しかし慢心せず挑戦しつづける。学ぶべきことが多すぎる…
まもる:人との出会いっていう部分は、本当にその通りだと思う。そこをたぐり寄せていく力は、すさまじいね。
ユウト:やっぱりさ、夢を叶えようとしている人には引力があるよね。 
まもる:間違いない。いわゆる「セレンディピティ」ってやつだね。
ユウト:稲荷湯を拠点とする僕たち湯の輪らぼも「人との関わり」「挑戦する心」という初代の精神は引き継いでいきたいよね。

そして、それには稲荷湯三代目(仮)のまもるの力が欠かせないね!
まもる:いや〜やばいな(笑) 

稲荷湯三代目(仮)の挑戦を描いていくのも、この湯の輪らぼなのかな?(笑)
ユウト:そうだね。 初代、二代目と受け継がれてきた黄金の精神を、三代目がどのように昇華していくのか。

まさに稲荷湯新章の始まりですから。読者の方々には、そういった視点でも、今後この湯の輪らぼを楽しんでいただければと思います!


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