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冷たい空気に触れないように

冷めきった身体で風呂に浸かると、足の先からじわじわと熱さが這い上がってくる。と思った矢先に、ぬるくなった水が体全体にまとわりついてくる。

風呂は、冷めるためにあるのか???

と問いたくなる。私が最後に風呂に入るので、追い焚きをするのも憚られて、結局ぬるま湯に浸かり続ける。
あとは、熱を奪われた身体が、ぬるま湯と共に冷めていくだけ。

頭を洗い始めても、まだ身体は温まらない。腕には鳥肌が立ち、風呂の意義をもう一度問い直す。体温より冷たい残り湯を使うこともできずに、結局熱いシャワーで頭を洗う。追い焚きをした方が安上がりだったかもとここで気づく。

でも、手いっぱいに泡立てた、真っ白な泡で体を洗っていると、不思議と身体が温かくなっていく。
あつあつの一番風呂に入った時のように、身体の奥から温まる感覚とはちょっと違う。
表面が包まれて、なにげなく温かさが保たれている感じ。

そうか、こういう傷の癒し方もあるんだ

ふと思った。
傷は、根幹から癒すべきものと信じて疑わなかった私は、相変わらず表面的な会話は苦手だし「何も知らずに優しくするな」「安易な共感をするな」と思う。自分にも他人にも。

でも、あつあつの風呂に入らなくても、温かい泡で、全体を包む。身体が冷たい空気に触れないように。

傷は抱えたままで、身体が少しだけ温まるような。そんな癒し方や、触れあい方もあるのかもしれない。

風呂の水を抜きながら、そんなことを思った。


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