いつも考え事をしている【3分】
私は、YouTubeチャンネル『ゆる言語学ラジオ』が好きで、よく見ている。
2023年3月14日更新の雑談回で、水野さんが
「考え事をあまりしない」
と話したところ、
「人である意味がなくない?」
と言われた、というエピソードが、けっこう話題になっていたし、私も衝撃のあまりとても印象に残っている。
水野さんが考え事をあまりしないからとて、人である意味がないとは思わないのだけれど、それとは別の話として、考え事をしなければ人である意味がないのか、という問いに対してはおおいに興味がある。
とりあえず、この論理でいけば、私ユミヨシは、人である意味がずいぶんとありそうだ。
大あり。
そんなこんなで、今日は、私が、いつも考え事をしている、という話を書こうと思う。
考え事をしたいわけじゃない
まず、前提として、考え事がしたくて、考え事をしようと思って、考え事をしているわけじゃない。
脳が、制御を失って、というか、制御の概念なしに、勝手にいつも考え事をしている。
私は、そんな脳にお付き合いしている、と言ったらずいぶんとお行儀がよくて、まあ早いところ、振り回されている。
日常的に繰り返している作業の時間、すなわち、シャワー、洗濯物干し・畳み、皿洗い、こういったタイミングで脳の運動はきわめて活発になる傾向にあり、考え事がとまらなくなる。
考え事がとまらないからこそ、私の場合は、短歌やエッセイの種が生まれて、それはそれでありがたいことなのだけれど、たまには無心になって、ぼうっとしたいときもある。
「ねえ、ぼうっとしてる?」
と言われるとき、十中八九は考え事をしている。
引っ込み思案な子どもは考え事をしている説
前回の記事とも関わってくる話なのだけれども、もしかしたら、引っ込み思案な子どもは、たくさん考え事をしているのではないか、という私の仮説がある。
言いたいことがありすぎて(=考えていることがありすぎて)、うまく伝えられないのではないか。
かくいう私も、かなりそのタイプの子どもで、成長するにしたがって、自分の気持ちを言葉にするストラテジーを、段々と身につけていった。
まだ、そのストラテジーを体得できていない、考え事をしている子どもは、一見引っ込み思案で、ひかえめで、ときにぼうっとしているように見えるかもしれない。
こんな特徴のあるお子さんをお持ちの方、関わる職業の方、もしかしたら、その子は考え事をしているだけなのかも。
考え事を形にする
日々、あまりにも多くの考え事をしていると、それが積もり積もって、もやもやとした思いを抱えることになる。
そこで、私がはじめたのが、このエッセイ。
私のエッセイのひとつひとつは、そのときどきの私の脳内そのものである。
だからといって、何もエッセイを書いて広く公開することをすすめているのではなくて、自分だけの日記(1行だけ、ひとことだけとか)でもよいと思うし、信頼する家族や友人に話すのでもよいと思う。
もやもやとした思いを整理するのには、何らかの方法でアウトプットすることがいちばん望ましく、建設的な効果を生むものである、と私は考えている。
自分ひとりでできること、誰かと一緒にできること、ふたつのアウトプットの手段を持っていると、理想的かもしれない。
おわりに
そう、ぜんぶ明日の僕への道標想いの99%/弓吉えり
口に出して言葉にするのは、思っていること考えていることのうち、ほんの1%にすぎないのかもしれない。
でも、だからこそ、残りの99%が、今日の、明日の、明後日の自分自身を形づくってくれる、ほんとうに大事な存在なのだ。
考え事をする人、しない人、というのはたぶん本質的にいて、その両者が助けあい、共存する、しあわせな社会であれば嬉しいし、そうなるように私も私にできる努力をしていたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?