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いま1番推したい季刊誌「tattva(タットヴァ)」

2021年に入り、頭を抱えていたことがある。雑誌選びだ。

昨年からニュースを見るのが嫌になり、思い切って報道番組とワイドショーを見るのを一切辞めた。日々の出来事はネットで軽く拝見しつつ、大きく関心があるテーマについては雑誌や書籍を買う、というスタイルに切り替えた。

なんだけど、ビジネス誌ってなんであんなに面白くないデザインなんだろう。普段紙の本が大好きなので、ビジネス誌に関しても色々と取り寄せて読んでみたけれど、どれも、なんというか、家に置いておくと運気が下がってしまいそうな、表紙に怒鳴られているような感じがあって、嫌だなぁと思っていた。

とにかく色々試した結果、これは紙で置くもんじゃないなと、FODプレミアムの雑誌み放題を活用するということで落ち着いた。

それにしてもビジネス誌、読み放題に切り替えたとて、どうも読みにくい。端から端まで読みきれない。なんであんなに眠たくなるんだろうか。硬いしいつもちょっと怒ってる感じだし。私の頭がゆるいだけ?

そんなモヤモヤ感にさいなまれていた時、ある季刊誌が今年4月に創刊されたことを知った。ポストコロナのビジネス&カルチャーブック「tattva(タットヴァ)」だ。

誌名は、サンスクリット語で「それがそれとしてあること」を意味する「tattva」と、日本語の尊ぶ(たっとぶ)が由来らしい。人と社会の関係に向き合うことを目的とした雑誌(ムック誌?)だそうだ。

へー、人と社会の関係に向き合うことか。そういえば、私がビジネス誌を読みたい(読まなければいけない)と思う理由って、そこかもしれない。切り離せない社会に対して無関心に生きるのってどうなの?みたいなモチベーションだったかも。それも、きっとコロナを機に思ったことだったかも。

となると「人と社会の関係に向き合う」「ビジネスとカルチャー」というテーマと、「ポストコロナ」という土台。それこそが私が求めていた雑誌なんじゃないか。

創刊号の特集「なやむのをなやむのはきっといいこと。」というキャッチにも惹かれる。最近はコロナ禍だからなのか「ストレス解消法」特集をよく見る中で、なやむことを肯定する切り口を提案できる編集部、かなりレベルが高いのでは。

しかもVol.1ではオードリー・タンさんが情報パンデミックとの付き合い方を教えてくれるらしい。興味深。以前からファンだった精神科医の名越康文さんの寄稿文もある。地域ジャーナリストの甲斐かおりさんも寄稿してる。これはもしや、豪華では。

ということでひとりでテンションもモチベーションも爆上がりし、買ってみた。そして思っていた以上に、凄くよかった。

アートBOOKのように、隅々までうつくしい

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これ、インテリア商品でもいけるよね?

というのが最初の感想だった。表紙のデザインやロゴしかり、ページをめくるたびにワクワクする写真、イラスト(というより絵画)が目白押しだったのだ。NEUTRAL COLORSを思わせる美しさ。

フォントや見出しの置き方もいちいち好みで、読むのが楽しく楽しくて、楽しかった。なんだこれは。気になったところから読もうと思ったけど、読む前にまずは本を観賞することにした。

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観賞中にふと思った。コロナやパンデミックについて書かれた文章の見出しには「〇〇の脅威!」「〇〇の真実!」みたいな言葉が一切つかわれていない。それだけでも嬉しいし、どの方の文章も説得力や納得感がある文章しかり、政治批判ではなくて自分を顧みる機会になるような文章がほとんどなのも好みだった。

ビジネス誌にありがちな圧迫感のある言語表現はほとんど使われていないにもかかわらず、内容は濃厚だった。内容が濃すぎてまだすべて読み切れていないのだけど、名越康文さんの文章がやっぱりとても良かったので、一部を引用する。

人はよく「相手の悩みに共感した」と言いますよね。でも、そのほとんどは”共感”ではなく”投影”です。
投影は説教にもつながります。「そんなに弱くてどうする!」と相手を否定してしまう。「オレにも同じ経験があったけど、そこを乗り越えて頑張ってきたんだ」と言ってしまうんです。でも、それを言っている人も、実はその苦しかった記憶を本当の意味では乗り越えられていないのだと思います。無理やり力でねじ伏せてきた。それはすごいことではあるけれど、他人にまで「こうあるべきだ」と自分と同じことを求めるのはやりすぎです。
共感が生じるときには、必ず自分自身の感覚が更新されるような経験がともないます。「わかるわかる」は投影で「なるほど、そういう考えもあるのか」が共感です。

これは名越さんが寄稿した5ページの中のごく一部だ。この文章に刺激され、私はブログに『「共感した」と人は言うけど』という記事を書いた。

これくらい濃ゆい文章が何人も、何ページにもわたり、続くのだ。豪華どころじゃない。身がぎっしり詰まった蟹を食べているような満足感。

あと私がもうひとつ、とても感動したことがある。それは、各人ごとのコラムとコラムの間に、絵だったり写真だったり、なにかしらのアートが箸休め的に配置されていることだ。

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私は、余韻がほしい人間だ。

映画を見た後にたくさん話しかけてくる人が苦手だし、最近のドラマやテレビ番組は(時代なのか)番組から番組へ移る瞬間がとても早くて困っている。私はオープニング曲が長々とある時代のテレビが好きだった。

だからこの文章から文章に行く間に、アートが施されていることがめっちゃくちゃに嬉しかった。余韻に浸れるし、頭が切り替わるし、文章を休めるし、文章が脳内で膨らむ。

たとえば食事をするときって、身がぎっしり詰まった蟹を食べながらも、合間にお味噌汁を口にすることで、より蟹の味わいが全方位的に広がっていくみたいな側面があると思うんだけど、本を読む時も、テキストに書き起こされた事象や感覚を一回受け取って、それを味わう時間があることで、より理解や解釈を広げてくれるんじゃないかと私は思う。散りばめられたアートたちは、意図的にその場所を用意してくれているんじゃないかとホッとした。

そして、ふと思った。もしかしたら、それってこれまではCaféや公園で読書をすることで補われていたことかもしれないんだけど、今はやっぱり読書をするにも家でひとりってことが多いから、ポストコロナ誌として、そういう場所としての役割も果たしてくれているのかもしれない。

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ちなみにコラムや評論のほか、市場調査や連載小説もある。本当に豪華。これだけ洗練されたものが2200円はマジで安いと思う。

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ということで、雑誌の隅々にいきわたる美意識しかり、文章と書かれている内容のハイレベルさしかり、各特集の目線しかり、コンテンツの幅広さと厚みしかり、もうどの角度から見ても最高すぎて、これは継続して買い続けようと決めたのでした。(ちなみに定期購読は現時点で見つけられなかった)

ちなみにライター、編集者としてのメリットもかなり多くて、そういった目線についても書こうと思ったけど、残り僅かな日曜日、tattvaの続きを読みたくて仕方がないので、活用については箇条書きにして終わろうと思う。

・書き手のレベルが高いので、好きな書き手が増える
・分野や業界が多岐にわたるので、興味の幅と語彙が広がる
・様々な切り口から企画力を学ぶ(真似ぶ)
・なにに疑問を持つか、を考える機会に
・文章とデザインのバランス、色使いが勉強になる
・物事を見る視点が増える
・見出しのつけ方を学ぶ(例:「社会は優しくないけれど、私たちには生きている資格がある ~コロナ時代の曖昧な喪失~」←他ビジネス誌だったら「パンデミックの大罪」って書きそう)

書き出してみて思ったけれど、これだけ観賞できて、語彙を楽しめて、直接的にも間接的にも学びが多くて、世界に起こる事象やそれを見る専門家の視点を楽しめる雑誌って、本当に真剣に味わい尽くそうと思ったら、ひと季節この1冊だけで読書は十分かもしれない。(本は結局買ってしまうのだけれど)それくらい重厚な本だった。

ちなみに10月発売のVol.3の特集は「はたらきがい」らしい。楽しみ。

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