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キルケゴール


なんて目が深いかただろう。

人に対して、目が深いなんていう感想を持ったのは、ソメヤ先生が初めてだ。

深い深い目をされていた。

ソメヤ先生の
哲学の授業が大好きだった。

真っ白な頭髪をきれいに後ろへ梳かし、品のいい黒縁の眼鏡をかけてらした。

ゆっくりとしたバリトンボイスで、
淡々と講義をする先生。

一般教養課程で受講していたから、たぶん大学一年生の時だったかと思う。

いつも私は一番前の席に座った。

深い深い眼差しに吸い込まれるように。

ゆっくりとしたそのバリトンボイスが子守唄のように心地よく、そのまま私は夢の中……。

はっ!
なんてこと!一番前で!

毎講義、私はそれを繰り返す。

ソメヤ先生ごめんなさい。

先生はかなりのご高齢で、講義中、時々咳き込まれたりしていた。

休講になることも多く、そんな時はとても残念で、先生が健康であるよう願ったりした。

講義の途中、窓の向こうの景色を眺められ、教室がしばし静寂に包まれることもあった。
音楽でいうところのブレイクだ。

思わず先生の見ている方へ、学生たちも目を向ける。

そしてまた淡々と講義が始まる。

このブレイクが、教室をキュッと引き締めるのだ。

哲学の授業が本当に好きだった。

が、覚えているのはただ一つ。

先生がバリトンボイスで言った

「キルケゴール」

それだけだ。

デンマークの哲学者。

その名前をササっとノートに記録した。

ノートの隅に一行だけ。
今も写真のように覚えてる。

その他のことは恐ろしいほど覚えていない。

もう三十年ほども前のこと。

ソメヤ先生ごめんなさい。

ただ1番心に刻まれたのは、
思考の深さ、人間の深さは目に表れると言うことだ。

それは今でも忘れない。

今の自分はどうだろう。

深さなんて全然ない。

ソメヤ先生の足元にも及ばない。

当時の先生の年齢に達する頃には、
もう少し深みのある人間になっていたい。

なれるかな。

これからの生き方次第なんだろう。

なれる気はしないけど。


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