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「楽しいことって何?」

定年退職すれば考える時間に不自由はしない。
こんなことを言ったら笑われそうだが、最近「楽しいことって何だろう?」と考えている。
いい年こいたお爺の言う台詞でないことは承知の上だ。

だが、最近よく考えるワードのひとつが「楽しいこと」だ。
本音を言えば、このNoteもまだ3記事目なのにいつまで継続できるのだろうと思って書いている。


楽しければ継続できるのか?

文章を書くのは、このNoteが初めてではない。
定年退職前からブログをやっていたからだ。

そのブログも中途半端に中断している。
それなのになぜまたNoteを始めてしまったのか。
何に心が動いたのか。

継続できないことは、これまでの経験で学んだはずではなかったのか。

優柔不断、八方美人、三日坊主、これが自分の悪癖だと自覚しているはずだ。
「他の方の記事を読んで楽しそうだったから」という理由だけで、浅はかに始めてしまった自分を納得させられるだろうか。

継続できなかった理由

多趣味の私は、定年退職後に手当たり次第と言ってもいいほど多くのことを始めてしまった。
やってみようと思う基準は「楽しそう」か「楽しくなさそう」で判断した。

挫折した理由は途中で楽しくなくなったからだ。

楽しそうと思って始めたことも、途中で楽しくなくなったり辛いことがあると、何かと理由を付けて継続しなくなった。
継続できない理由は他にもある。
生きていくための仕事ではないからだ。

仕事なら少々辛いことがあろうと途中でやめることなどできるはずもない。
つまりどうでも継続しなければならない理由もないという訳だ。

楽しいままでいられないのは?

それでは、なぜ始めた頃は楽しかったはずなのに途中で楽しくなくなったのかということだ。
人生の大半を営業職で生きてきたからなのだろうか、どうしても数字を意識してしまう。
始めようとした時から深く考えずにノルマを設定してしまったのだ。

毎日投稿で1記事3000字といった数字を、自身の脳に設定してしまうのは癖としか言いようがない。
営業職で常識化していた目標設定は、サラリーマン卒業後もゾンビのように付きまとったのだ。

始める前のリサーチで検索エンジンがどうだの、SEOがどうだのと目にした情報が、既にその時点で脳を蝕んでいたのだ。

これでは楽しめるはずもない。
そのうち自分のルールに苦しめられることは分かっていた。

途中で楽しくなくなるもうひとつの理由はネタ切れだ。
ネタ切れ自体が問題なのではなく、どんなコンテンツにしろ苦し紛れに作って楽しいはずもない。

このNoteを始める時に頭に浮かんだ言葉が「そんなルールはくそくらえ」だ。
思わず品の良くない言葉を使ってしまったが、田舎おやじのたわごとだと思って勘弁してほしい。

何文字でも毎日投稿しなくても構わない。

今は、第一優先するのは書くことを楽しむことだと言い聞かせている。
ネタがない時は日記でもいいじゃないか。
配信する以上は誰かに読んでほしいが、もし読んでもらえなくても仕方ない。

とにかく楽しく書ければそれでいい。

楽しめるルールづくり

何かと理屈っぽく考えてしまうのも悪癖だという以外ないが、楽しめるルールとはルールを作らないことなのだろう。

それでもルールをひとつ考えろと脳に指令されたなら、書いていて楽しいと思えない時は手を止めることだと自答することにした。
自分ですら読み返したくない苦し紛れに書いた文章を、読みたいと思う人がいるはずもない。

ルールより大切にしたいこと

今更言うのもおかしいが文章を書くことは嫌いではない。
嫌いではないが、そうかといって文章が上手な訳でもない。

しかし書くからにはもう少し上手になりたいという欲求がある。
文章で伝えるというスキルをもう少し上げればより楽しくなるはずだ。

毎日2時間以上も練習しているドラムが少しずつ楽しくなってきたように、毎日伝えることを意識しながら書いていたら文章スキルも上がって楽しくなると信じたい。

今日書いた文章も没にしたいところではあるが、戒めのために投稿することにした。
楽しみながら書けたからだ。

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