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『魔法少女とチョコレゐト』は可愛くある女の子のための音楽

ピノキオピーの『魔法少女とチョコレゐト』という楽曲をなんとなく聞いてる人はこの曲はただのカワイイ曲で終わらせてはいけない。

この楽曲は今の女の子が「可愛くあるため」の生き方が載っている。なぜ女の子は「可愛く」なければならないのだろうか。自分なりの考えをまとめたいと思う。


『魔法少女とチョコレゐト』の歌詞をしっかり紐解いていく。

Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
純粋が仇になる世界で
Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
また来週も戦えるかな

非常にリズム感が良く、思わず口ずさんでしまう「らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ」
しかし、ここの歌詞に意味なんてあるのだろうか?
「純粋が仇になる世界で」「また来週も戦えるかな」
一見、ここだけではよくありがちな「ただの魔法少女」の心境や状況に見える。


可愛い衣装まとって 決めポーズで光って
ピュアな想い 魔法に変えて
みんなの平和願って 邪悪に立ち向かって
それを匿名はディスった

勿論、よくある魔法少女の状況・状態、心境を並べているように感じる。
しかし異質な言葉があることに気づいただろうか。


匿名


仮にこの楽曲が子供向けの魔法少女アニメの楽曲だとして匿名というイマドキな言葉を使用するのはあまりにも歌詞の言葉として「浮いている」ことに気づいた。
そして匿名という言葉を聞くと私は「SNS」を連想してしまう。昨今、SNSの利用で「匿名」「誹謗中傷」がより露出してきた。この時、この楽曲は「ただの魔法少女」曲ではなく、「何かしらのSNS、あるいはイマドキ女の子」曲であると考えたのだ。

可愛い衣装を纏い、決めポーズをする。

これは「自撮り」ではないかと感じた。画像動画は問わない。
SNSが普及し、加工アプリが沢山ある今「カワイイ」は男女問わず作ることができる。流行りのポーズを決めて、沢山の視聴者(=フォロワー)を増やし自身のファンを増やす。しかし、、

匿名(=アンチ、第三者)はディスる

Aメロでは【女の子がファンに向けてSNSで自撮りを上げるがアンチや自身を知らない人にディスられる】のがわかる。


「本当は〇〇なんでしょ?」
「ぶっちゃけ〇〇なんでしょ?」
自分がそう思うから
みんな〇〇であって欲しいんでしょ
そんな手垢のついた よくある風評で
錆びつく魔法のステッキ

匿名の言葉というのは、チクチク刺さる。知らない誰かに自身の「カワイイ」を否定される女の子の気持ちは「匿名」は気づかない。

「どーせメイクだけ」「加工アプリで可愛く見せてるだけ」

匿名がそう思うから、SNSに上げてる女の子みんなが○○(=否定的な言葉)であってほしい。
匿名が女の子であれば「自分よりもカワイイ」といった理由だろうか。
匿名が男の子であれば「加工してるのが気持ち悪い」「チヤホヤされてるのが気持ち悪い」といった理由だろうか。

手垢のついたよくある風評

例文のようなディスを並べて女の子を攻撃する。匿名の威力が強く、魔法のステッキは錆びつく。

ここで病んでしまう人もいれば、それをはねのけて努力する人も、無視する人も、色々な人がいる。では、『魔法少女とチョコレゐト』の主人公はどう思ったのだろうか。


知らん 知らん

そう、匿名の言葉をはねのけているのだ。「本当は〇〇なんでしょ?」
「ぶっちゃけ〇〇なんでしょ?」と言われても「知らん知らん」とプイプイとはねのけている。しかし、主人公の本当の想いは、、

はぁ 正直もうやめたい(はぁ)
魔法少女をやめたい(はぁ)
誰が敵か味方かわかんないし
「陰険」で 「強欲」で 「滑稽」で 「外道」で
魔法がとけるチョコみたいに

正直やめたい、魔法少女やめたいと思っているのだ。
結局、匿名も実はファンかもしれない。Aがファンだと思っていたら、アンチ垢を作ってディスってるかもしれない。誰が敵で味方で分からなくなっている主人公は、

表面上では良い・特に悪い印象がない人でも心の内は悪意があるでしょ(=陰険)
でも欲望を満たしたいのは事実でしょ(=強欲)
笑っちゃうよね、自分も匿名も表向きは良い顔して本当は承認欲求を満たしたいだけで動いてて(=滑稽)
ひねくれてるよね(=外道)

主人公は自身を分析する。そんな自己分析をした主人公はその状況をこう言葉にする

魔法がとける、チョコみたいに

「カワイイ女の子」の魔法が解けていく、時間が経つと溶けていくチョコみたいにと。

Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
純粋が仇になる世界で
はぁ 正直もうやめたい(はぁ)
魔法少女をやめたい(はぁ)
もう 好きな人だけ守っていたい

ここまで聞くと「らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ」という意味不明な歌詞も少しはこう考えることができる。

「カワイイ自分」を表現したのに、ディスられ、味方と敵がわからなくなって、「カワイイ自分」がどんどん崩れていって、発狂しているのではないかと。

そして「はぁ」とため息。魔法少女やめたい。と

好きな人だけ守っていたいよ。と


Я だんだんでぃだんだんだんでぃだん
Я だんだんでぃだんだんだんでぃ
だんだんと身勝手になる 魔力が煮え立つ
不満で調合したポーションがパリン

ここの歌詞は主人公が怒り狂い発狂して、疲れてしまった様子がうかがえる。怒りで煮え立って、身勝手になって、不満ができて、口ずさんでいないとやってらんないと言わんばかりに自分自身がだんだん身勝手になってる様子を「だんだんでぃだんだんだんでぃだん」と歌い始めている様子ではないだろうか。

「お前ら〇〇なんでしょ?」
「性根が〇〇なんでしょ?」
怒りにまかせ 脳内で〇〇しちゃうでしょう
やり返しはナンセンス 気に病んでもスルーです
光失ったブローチ

1番では「」内のセリフは匿名だったが、2番では主人公のセリフに変わっている。
怒りで勝手に脳内で悪い方向に変換している主人公、でも怒りに任せてやり返しはばかげている(=ナンセンス)、病んでもスルーと思っているようです。
しかし、ブローチは光を失っている。

さて、ブローチはどんな意味があるのだろうか。ただの飾りではない。

ブローチは宝飾品で、古いモノは「フィビュラ」と呼ばれる。そんなフィビュラは古代衣装において重要な部分で「着用する人の民族性や身分(=アイデンティティ)を示す」モノである。

つまり、主人公のブローチが光を失っているということは、アイデンティティを失っているということなのだ。

自分自身を自覚できなくなっている、自分自身の価値を他人に認めてもらえていない。自分は何者で他の人と何が違うのか、今、主人公は欠けているのだ。そして主人公は思う、、

腐る 腐る

自分自身が腐っていくことに


はぁ 正直もうやめたい(はぁ)
魔法少女をやめたい(はぁ)
視聴者の期待に応えるたびに
「完璧」で 「超人」で 「清廉」で 「潔白」で
嘘で固めたチョコみたいに

主人公は更に自分を責めていく

完璧でなんでもできて心が清らかなで自身の欲なんてない

そんな嘘で出来た自分自身を責める、「カワイイ自分」を作る(=メイクする)ことへの自分を。


Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
甘い味が病みつきでしょう
はぁ 正直もうやめたい(はぁ)
魔法少女をやめたい(はぁ)
「やめないで」って言われんの 期待してない?

でも、やめられない。

「カワイイ」という言葉(=甘い味)が欲しい。否定的な言葉をいう事で「肯定してほしい」って期待してない?

主人公の気持ちがよく表れているサビである。

ファンの善意の〇〇も
心配してる〇〇も
〇〇〇〇〇!!
すべて耳を塞いでしまったの

結局、私を見てくれていたファンの言葉を聞かなかった。それは味方と敵の区別がつかなくなった主人公の表れ。

はぁ 正直もうやめたい
魔法少女をやめたい
誰が敵か味方かわかんないし
「陰険」で 「強欲」で 「滑稽」で 「外道」で
魔法がとけるチョコみたいに

だからやめたい。嘘で出来た自分とカワイイ自分をやめたい。

Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
魔法で最低な人を消そう
はぁ 正直もうやめたい(はぁ)
魔法少女をやめたい(はぁ)
自分ごと消えちゃって さようなら

じゃあ自分の思う敵は消せばいいんだ、でも誰が味方か敵かわからない。匿名の消し方もわからない。どうすればいいのかな、そうだ。自分ごと消せばいいんだ(=垢消し)

Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
純粋が仇になる世界で
Я らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
らりぱっぱらぱっぱっぱらっぱ
また来週も観てくれるかな

―――また来週も「カワイイわたし」を観てくれるかな

そう言って、主人公は新しくアカウントを作った。


この楽曲は、今を生きる女の子が

カワイイ自分を観てくれるように
メイクをして
加工して
肯定してくれる人を求めて
自分の居場所を探している

「好きな人だけを守っていたい」のだから













余談

女の子が可愛くあるための理由は人それぞれだ。

『魔法少女とチョコレゐト』では、承認欲求を満たすために「カワイイわたし」と作り上げていた。

主人公は自身が見えなくなっていて、自分の価値は他人に決めてもらうことに執着している。

他人に依存している主人公は自分の価値を自分で決めることができない。

そういった今の子は沢山いるだろう。他人の意見が全て、自分の意見よりも他人の言葉が大事だと。

そんな主人公にはどうアドバイスすべきだろうか

「自分を好きになってみな」なんて言えない。もし、自分が好きならここまで他人に依存しない。

メイクしていない、化粧をしていない、つまりは顔のメイクではなく嘘で固めた自分をメイクするな、化粧するな、本当の自分を一回さらけ出せ。とアドバイスするべきなのか?

「陰険」で 「強欲」で 「滑稽」で 「外道」な私を観てくれる人なんているの?と思うだろう。

SNSに依存している主人公の居場所をリアルの居場所で作れたら、また違うのかもしれない。

新しいことに挑戦するのもいいかもしれない、趣味を増やすとか…

小手先の言葉になっているかもしれない。

では、どんな言葉を伝えるべきか。私はこう伝える。


「未来に目を向けてみて、将来どんな仕事したい?どんな趣味をしていたい?どんな人と付きあいたい?その人と結婚したらどんな家族でありたい?どんなおばあちゃんになっていたい?」

「自分を大切にできる人は、他人にも大切にできるよ。」

「まずは自分の人生を生きてみて」

「自分の人生を生きていて、他人が共感してきたら守っていきなさい。自分から他人に入り込むんじゃなくて、他人から自分に入り込んでくるような人になりなさい」


『魔法少女とチョコレゐト』の主人公が少しでも、他人依存から離れて自分の人生を他人に捧げるのではなく、自分に捧げるようになれば、本当に自分を観てくれる人に出逢えるからね。


「カワイイわたし」は他人のためではなく、自分ために。


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