ボクが胃がんで「寿命」を感じるとき
※全文公開。投げ銭スタイルです。
こんにちは。ブロガーのMです。
今日も体調が優れないため、サクッとエッセイを書きますね。
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先週放送分のTBS「世界遺産」を観て思ったこと。人類は50万年の歴史の中でさまざまな進化を遂げてるはずだ。AI(人工知能)が将棋でプロの名人を負かすまでになったり、ロボットで手術をするようになったり。
しかし、結局のところ、人間の根本は何も変わっていない。生まれたら、「①生きること」や「②死ぬこと」に悩みながら、毎日「③食べること」を考えて生きていく。ただそれだけだ。
さまざまなことが進化しても、人間がずっと悩んできた①②③について、どれだけ貢献しているのか?と考えると今も昔もそれほど変わってないような気がします。ほんの少しだけ寿命が伸びたことくらいでしょうか。
そう考えると、社会に存在する事象がどれだけ進化を遂げたとしても、上の①②③に悩みながら最終的に死んでいく人間にとってしてみれば、それはたまたまその時代に生きていた時に①②③を考えるために与えられた、単なる資料に過ぎないのかも知れませんね。
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ボクの場合は、胃がんになったことや胃が無くなったことで、①②③の悩みが同時に襲って来ました。
①と③が悩んでもどうしようもなくなると②は自然に訪れる。すなわち、①と③で万策が尽きるとそれが人間にとっての「寿命」なのだな、と思います。
ボクはたまたま、この時代に生きていたおかげで、与えられた「資料」の恩恵を受けられた。発覚当時は手遅れと言われた、胃がんの手術が出来たんです。
しかし、①の悩みを解決したと思ったら、今度はその後遺症や③の悩みで苦しむようになった。ということは、これがそろそろ自分にとっての「寿命」なのかな?と…。
日々衰えていく体を目前にすると、世の中がいかに進化したとしても結局は「単なる一資料」以外の何ものでもなく、「おまけ」に過ぎないのかも知れません。
結局のところ、人間が生きて食べて死ぬ、という根本的な時の流れは、50万年の長い歴史の中で誰も変えることが出来ないまま、今後も延々と歴史を積み重ねていくのでしょうね。
そう考えると、犯罪などの悪事をはたらくようなことは、その時代の社会に流されてしまった人間が起こす、まったく無意味なことに思えてきます。ボクの周りにも、他人の戸籍を偽造して死んだことに書きかえて逮捕された人間や、人に害悪を告知して高額な仏具を売りつけるマルチ商法みたいな悪事をはたらく者がいましたが、本当にバカバカしいことです。
それにしても、「世界遺産」を観ていると毎回、昔の人達はとてもスケールが大きく壮大なことをやって来たんだなぁ、と驚かされます。
時代こそ全然違うけど、「人間の根本」という面を考えると、人類は何も進化してないんだなぁ、と思う。果たして、今の人達がタイムマシンで同じ時代に立ってみたら、同じことが出来るのでしょうか?
本日も素敵な1日を。
(執筆日:2018年3月10日)
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