SMSでのピリオドは失礼にあたる⁈
最近、若い年代の女の子とWhatsAppで連絡を取ることが多くなった。
ヨーロッパでは主流なアプリで、日本のLINEのような位置づけだ。
以前、多言語における若者のテキストメッセージで、言語学者のJohn McWhorterの動画を紹介した。
SMSでの言語は、「書き言葉」ではなく「話し言葉」だという話であった。彼女とのやり取りは、さらにこのSMSが「話し言葉」であるということを認識するきっかけとなった。
私たち世代にとって、文字を使って人に伝える手段といえば、「手紙」であった。
手紙を書くことは、まず相手、そしてその状況にあった便箋を選ぶことから始まる。ひと昔前は、海外に送る際、重量を軽くするためにエアメール用の薄い便箋と封筒があった。
今となっては、用途に合わせて、便箋を選ぶことも、手紙を書くときの楽しみだったように思う。
ペンやボールペンで手紙を書くには、最初に文章の構成を考え、下書きをする。直接書く人もいるだろうが、間違った際などの処理にも困るので、下書きをしたほうが、仕上がりも良く、紙の無駄も省ける。
私たちの文字を使ってのコミュニケーションは、「手紙」を使用していたという歴史が存在する。
その後、私たちに新しいタイプのコミュニケーション手段が現れた。
電子メール、いわゆる「Eメール」である。
このEメールの登場により、私たちは書いては消すという作業が容易にできるようになった。一旦書いたものを見直し、簡単に書き直せることを可能にしてくれたのだ。
しかしながら、「Eメール」は、私たちにとって「手紙」から発展したものであり、メールの書きだしは、手紙同様、相手の名前を書き、挨拶、そして用件へと続く。
終わりにはきちんと結びがあり、一番最後には自分の名前を書くのが通常とされていた。
いよいよ、SMSの出番である。
私たち世代にとって、「手紙」「Eメール」という経験を持っているため、「SMS」も同じく、その延長上にあるのではないだろうか。
同世代の人たちとのテキストメッセージは、メールと同じように、相手の名前、挨拶、用件、最後に結び、自分の名前という一連の流れに沿っている場合が多い。
そして、ひとつのメッセージも長く、メールの代用といった感じに取れる。
SMSとは、Short Message Serviceという意味である。
そう考えると、私たち世代はSMSの意図とする使い方を上手く利用できていないのかもしれない。
メールで書く文章に比べたら、若干ショート(短い)かもしれないが…
若い世代のテキストメッセージ。
とにかく、私たちとは打つスピードが異なる。驚異の速さである。
息子がメッセージを打つ姿を見ていて、本当に感心してしまう。
これほど速く打つには、頭の中で文章を構成している時間はない。
私たち世代の手紙を書く延長上のSMSと、彼ら若者世代のSMSのあり方はまったく違うのだ。
彼らにとって、SMSはまさに話しているのと同じ状態であると感じる。
若い女の子とテキストメッセージをするようになり、そのスピードについていけない私。
もたもた入力していると、どんどん会話が進んでいってしまう。
3つ前のメッセージへの返信も、次から次へと送られてくるメッセージに埋もれて、どのメッセージへの返信かわからなくなってしまっていた。
What's Appには、相手のメッセージを引用して返信する機能がある。
これを利用することによって、どのメッセージに対しての返信なのかがはっきりわかる。
しかし、私はこの機能の使い方を知らなかった。
なぜなら、同年代間でのテキストメッセージは、メールの小型版(書き言葉)なので、その機能そのものが必要なかったからである。
息子からのメッセージでよく使用されていたが、必要性がないため、どうやって使うのかすら気にもなっていなかった。
だが、今回はこの機能をマスターしなければ、その女の子とのコミュニケーションが上手く取れないと思い、息子に教えてもらうことにした。
方法は、その返信したい相手のメッセージをスワイプするのみ。
妙になっとくできた。
この1秒のアクションだと、彼らの入力速度を弱めることもない。
メッセージを長押しして、返信を押しても同じように使用できるが、彼らの会話スピードのメッセージ送信には、そんな無駄な時間を使う余裕はないのであろう。
彼らのメッセージには我々世代がやりがちな絵文字の乱用もない。
どの絵文字を選ぶか、そんな時間さえ許さないのではないだろうか。
スタンプとしての絵文字使用は見られるが、その使い方は少々私たち世代とは異なっている。
そして彼らの文にはピリオドがない。
一文書いて、そのまま送信。なので、気がついたら何十件というメッセージが入っていることもある。
ピリオドをタイプする時間さえ惜しいのだろうか…
会話のスピードアップには、ピリオドを付けている暇すらないのか…
若い世代のテキストメッセージでは、ドイツ語でも、英語でもピリオドが消えている。
学校で、あれほどピリオドの重要性を教えられているにも関わらず。
こんな記事を見つけた。
心理学者Danielle Gunrajが、一文テキストにおける文末ピリオドが人々にどのような感情をもたらしているのかをテストした。
その結果、一文テキストのピリオドは受け取る相手に良い印象を与えていないことがわかった。
私が送っていた一文のテキストメッセージに、あたり前のように付けたピリオド。もしかしたら、若い相手に違和感を与えていたかもしれないのか…
私たちは、文末にピリオドがないことで、なんて教養がない子だろうと思うかもしれない。それと同時に、相手は文末にピリオドが付いていることで、なんてよそよそしい態度と感じているかもしれない。
同じSMSというシステムを使っている私たちだが、いまだ私たち世代にとっては「書き言葉」の延長であり、若い世代にとっては、書き言葉とは異なる「話し言葉」として利用している。
テキストメッセージは、若者たちにとって会話なのだと、改めて実感した。