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朝ごはんは、食べたほうがいいのかどうかを議論する前に |『内臓とこころ』三木成夫(著)

『体の声を聴く』とは、つまりは何の声を聴くことを指すのだろう。

当たり前だけれど、体から「今血液量が減っています!」とか「今日は肺の動きが鈍くて‥」などの発言があるわけではない。私たちが「いつもよりクラクラするな」とか「息が吸いにくいな」などと自覚をするからこそ初めて、体の状態を知ることができるのだ。

忙しい毎日の中で、意識的に体の動きや感覚を味わうことができた時、『体の声を聴く』ということが叶うのだろう。

それが体の中の”何か”との対話の始まりだと言える。

朝ごはんは、食べた方がいいのか


唐突だけれど、「朝ごはんを食べるか食べないか」という問題がある。このテーマは、日常会話からダイエット、教育現場など、あらゆるところで話題になる。

私自身、小さい頃から朝ごはんを食べる派だった。けれど、様々飛び交う情報から"食べない生活"に興味が湧いて、一時期食べない派に。結局今は、食べる日のほうが多くなった。

食べない派の人達が口を揃えて言うには、「前日の食事から16時間は空けた方がいい」「デトックスになる」というもの。
そのような情報を聞いていると、朝ごはんを食べないほうが、『体の声を聴く』という行為に近いような気がした。

ルーチン的なこと、つまりは『朝が来たらご飯を食べなきゃ』は、しなくていいんだ。自分の中に許可が降りて、それを初めて実行した時、新しい世界が始まったような気分だった。


両方の生活を実験してみて感じたことは、食べると調子が良い悪いは、白黒付け難いということだった。「どっちのパターンもある」というのが、正直な感想だった。

朝ごはんを食べなくて体がスッキリした期間もあるし、低血糖症状(手先が冷たくなったり、震えてきたり)が起きた期間もある。一方で、朝ごはんを毎日食べて体が(胃腸が)元気になった期間もあれば、体が重たくて食べたことを後悔した期間もある。

だから、食べる派でも食べない派でもない。それが私の結論にはなった。

でも本当はどっちが正解なのだろうかと疑問は拭えなかった。やっぱり正解を探す癖があって、そこから逃れられなかった。そんな時に、『内臓とこころ』(三木成夫 著)という著書に出会ったのだ。

【著書のあらすじ】
『内臓とこころ』は、解剖学者・三木成夫さんの講演会を記録したもの。「こころ」とはなに?という問いかけから始まり、人間の「こころ」が形成されるまでを解剖学的視点、さらにそこを飛び越えた視点から語っている。著書の中で、「『こころ』とは、内臓された宇宙のリズムである」と記されている。

著書で着目されていたのは、
「内臓感覚のめざめ」だった。

要するに、ひとつの「実感」として、いま申しましたように肚の底から感じとることができるのです。人間の心が"目ざめている"というのはまさしくこのことです。

『内臓とこころ』三木成夫 著(河出文庫)

「肚の底から感じることができる」。
その実感こそが、めざめ。

ハッとしたのは、「食べる、食べない」という外側の行為ではなくて、まず意識を向けるべきところは内側の感覚なのではないか。つまり肚の底から感じられるような内臓の感覚を、『体の声』として耳を傾けてみるべきだったのではないか、ということだった。

私はめざめているのか、眠っているのか


私の体は、いつ目ざめているのだろう。
いつ眠っているのだろう。

単純に、頭が起きているときに体も起きていて、頭が眠っている時に、体も眠っているのではないかと思っていた。すると、著書の中にこんな一節が。

胃袋というものは、中身が空っぽになったら、すぐに食物を催促するー そんな自動機械ではありません。ちゃんと朝・昼・夜とか、あるいは春・夏・秋・冬などといった、大きな宇宙的な要素、つまり、われわれの所属する「太陽系」の、天体相互の運行法則に、きちんとしたがって動いているのです。あとで申し上げますように、胃袋そのものが太陽系の一員なのです。太陽系の運行に、いわば「共鳴」している‥‥これが本日の話の、じつは出発点です。

『内臓とこころ』三木成夫 著(河出文庫)

おおお。私の視界の小ささ。
「やられた」。

胃袋のリズムは、もっともっと大きなリズムだった。

胃袋が宇宙と呼応しているとは、そこまで思考は及んでいなかった。けれど、天体とのバイオリズムとリンクさせながら体の調子を眺めてみると、体の重さや軽さ、食欲が増す・なくなるといった流れが訪れることに納得がいく。

私自身の実感としては、春〜夏は胃腸が弱りやすいし、秋〜冬はどっちかといえば胃腸の動きが強くなる。体全体として調子が良い時期と何となく気だるい時期とは、確かに年リズムと呼応する。痩せたり太ったりと波があるのは、内臓のめざめのリズムを掴み切れていなかったからだったのかもしれない。何か体のリズムに、無理が働いている時なのだろう。



『体がめざめているのか、眠っているのか。』

それは、今食べたいのか食べたくないか、よりももっと感覚的。思考を飛び越えた深い感覚に集中しているような問いかけではないだろうか。顕在的よりも、もっと潜在的な意識に問いかけられているように感じる。そしてその二択ならば、とてもシンプルだ。

思考に邪魔されないから、自分の体と対話しやすい。「体の何と対話しているのか」と問われたら、それは内臓。そこに映るこころ、そして宇宙なのだ。

対話の循環が起こると



結局、朝ごはんは、
食べた方がいいのか食べない方がいいのか。

その問いかけに対して「善し悪し」で議論する前に、もっと体の感覚・声に耳を澄ませていたい。

先日ある女性と話をしていた時のこと。その女性は毎朝お白湯を飲む習慣があるのだという。「毎朝お白湯を飲む習慣があったことで、体のちょっとした違和感に気づくようになった」と。

なるほど。毎日ルーチンは一見機械的で、何も考えない感じない行動になりがちかもしれない。昔の私が何も考えずに、「毎朝ご飯を食べないと」と思い込んでいたように。けれど、こんなふうに体の声を聴くツールとして活かすこともできるようだ。

胃がきゅうっと縮み、「ぐぅ」とお腹が鳴るくらい食べる準備ができているなら、その声に応えられるような量のご飯を摂るといい。

朝起きてまだ眠っているなら、少しずつ体を起こしていくようなお白湯や、消化しやすそうなお粥などから始めてみたらいい。(「朝お腹が空かなくて、昼にお腹が空いてくるような夜型の人は、日リズムがズレている状態なのだそう)

本当に朝食べられないくらい重たい状態なら、体が疲れているのだから、食べることを考えるよりも、日のリズムに乗れるまでぐっすり眠ることを考えたほうがいい。

「今こういうバイオリズムだから」と、宇宙のリズムに耳を傾けてみることができたとしたら、デリケートな時期は体がリラックスして心地よく過ごせるように、ケアを試してみたらいい。

だから、単純に朝ご飯を抜くから体が怠い。起きられない。というわけではないのかもしれない。

そもそも内臓がめざめていない。

それは昨日、今日の話ではなくて、もっと長い間‥‥年単位のリズムであるものなのかも。
頑張り過ぎていることの皺寄せなのかも。
或いはちょっと今は季節的に"弱い"時期なのかも。

そんなふうに考えていくと、
「目ざめているのかいないのか」という問いは、「もっと私のこころを大事にして!」という体(内臓)からの叫びを拾える問いにもなりうるだろう。ごめん、ごめん。教えてくれてありがとう。と、その時は優しく自分のこころを受け止めてあげたい。



私という体を、様々な角度からとらえることができたら、狭くなっていた視野が一機に拡大していく。

内臓の実感を、声として意識に挙げていく。
そして、その意識をもとに行動を決めていく。すると、自然と毎日対話が生まれ、循環する。

循環するのは、私の中に眠っていた『声』。
気づいてほしかったのに、体の中でウネウネと滞っていた『声』なのだ。

その対話の循環が日常的にできるようになると、もっともっと、人間らしく生きられるようになるのではないだろうか。こころ柔らかく、伸びやかに生きられるのではないだろうか。


植物のようにいつでも真っ直ぐに太陽に向かっているわけでもなく、動物のように本能だけで生きているわけでもなく、

意識をとらえることができる人間だからこそ、内臓の声、体の声を聞けるようになれる力がある。

そのバックグラウンドには、想像を遥かに越えた、大きな宇宙空間が広がっているのだ。


▷▷著者
「ひとりごとからはじまること〜言いたいことが言えない20代へ語れることがあるとしたら〜」

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