姿カタチを変えても、一生看護の道を進んでいく。
看護の道に進もう。
そう決めたのは、19歳のときだった。
第一志望の大学が不合格になり、目標と自信を失った私は、どこに向かって進めばいいのかわからなくなっていた。
はじめての挫折
中学生の私は、勉強も部活もきちんとする頑張り屋さんだった。部活が終われば塾へ直行し、夜23時の営業終了時間まで残って勉強していた。授業があるないに関わらず、来る日も来る日も。
地元のみんなと同じような進路に進むことに面白みを感じれず、人と違うことがしたいと思っていた。そのモチベーション?を基に、無事第一志望の高校に進学した。時間と努力が結果に結びついたと確信した。そう信じてやまなかった。
その3年後に迎えた大学受験でも、同じように時間をかけてコツコツ頑張っていた。
目指すところは、正直私の学力では厳しい。でも何とかなる。時間をかけて努力すれば何とかなるよ。そう思っていた。
でも、現実は甘くなかった。
志望校に合格するという目標に到達できなかった。
何が足りなかったのか?
時間?モチベーション?
そもそも目標設定が原因?
答えが出せず、滑り止めの大学に進学する気持ちにもなれなかった。考えた末に1年浪人をして、もう一度、「私は何になりたいのか」を考えることにした。
内なる私の声を聞く
私は何になりたいか。
そのとき頭を巡ったのは「将来の安定性」と「周囲からの評価」であった。
”浪人までしたのだから、周りをびっくりさせるようないい大学に行って、いい仕事に就きたい。”
当時の私は、自分が何をしたいかよりも、両親をはじめとした周りの大人、友人の評価が気になって仕方がなかった。
自分に自信のない人間だったから、周りから「すごいね」「頑張ってるね」といった言葉をかけてもらいたいと、無意識に求めてたのだと思う。自分ではなく、他者から認めてもらいたいと。
浪人生活は全然面白くないし、先行きの不安を抱えて過ごす日々だったけれど、その中でふと冷静になれるときもあった。
本当は、私は何をしたいんだろう?
ふわっと心を掠めていく内なる言葉に耳を傾けたとき、ある言葉が浮かんだのだ。
看護師に、なろう。
目指すのは、看護の道
身内に看護師がいる私にとって、ほんとうは看護師になることは避けたいことだった。その人の真似をするようだし、オリジナリティが全くない。ただ勧められたように看護師になったと、他人に思われることが嫌だった。でも、医学、子ども、心理学‥‥看護師になるために大学で学ぶ内容に、とても魅かれていた。
もともと私は自分に自信がなく、周りの人達になかなか心を開くことができずにいた。幼少期から「大人っぽい」と言われ、「しっかりしてるね」と言われることが多かった。その度に、”本当はもっと甘えたいのに甘えられない。「しっかりしている」という評価にこたえなければならない。”
そのような違和感やプレッシャーを感じていた。
それが次第に
「周りの人たちは、誰も私のことをわかってくれない」
と、思う思考へと変化していった。
友だちが話しているTVや芸能の話に興味がない。それよりも部活や勉強、自分の興味のあることをしている時間が好きだった。けれど周りの友達の話についていけず、取り残される感覚も苦痛。ほんとうは自分のペースを大事にしたい。でも…
ごちゃごちゃした気持ち。
吐き出しどころが見つからず、日記に感情を殴り書きする日々。
このまま大人になるのは嫌。
私はもっと、自分らしく、のびのびと生きていきたいんだ。
いままでの揺れ動く気持ちは、どこから来てるんだろう?
そう思うにつれ、発達心理学に興味が湧いた。
子どものときに受けた影響がどのように人格形成しているのか。
私を知りたい。体の仕組みも勉強したい。
これは、看護学で勉強できる。
別に他の人と同じような道だと思われてもいい。
素直に興味があること、知りたいことを学びにいこう。
そう気づいた私は、確かに自分の意志で看護の道を選んだ。
同時に、私の得意なことや興味があることに寄り添い、伸ばしていうこと決めた。ただ時間をかけるだけの努力を、手放した。
生と死の現場で
新卒で小児病院に就職した。小児がん病棟に配属されたことをきっかけに、生と死に向き合うことが日常になった。
自分よりはるかに小さな子どもたちが、生きることと闘っている。中には亡くなる子もいた。
生と死に向き合う中で、「私はどう生きたいか」を幾度となく問われる。どのように生き、どのような死を迎えたいか。今まで考えたこともなかった問が、頭の片隅に住み着くようになった。
わたしは…
誰かに評価されることを期待するのではなく、私が私らしく「生きてよかった」と思える人生にしたい。自分をたくさん愛し、周りもたくさん愛したい。
愛と言えば、小児医療の現場にいると、家族の愛を垣間見る機会が多い。
おおきな愛情を注ぐ家族もいれば、子どもとうまく絆を結ばない家族もいる。でもその大きさに関わらず、親から子どもへの愛情は確かにある。その様子を見ていると、「私も小さい頃はこうやって愛されてたんだな」と、傷が癒される感覚があった。
物心ついたころには「あれはダメ」「こうしなさい」としつけられ、親への不信感を募らせるときもあった。産んでくれたことに感謝はするものの、頭のどこかでは、自分がこういう性格になったのは全て親のせいだと恨んでしまうときもあった。それくらい周りに理解されないことが苦しかったし、誰かのせいにしたかった。自分は悪くないと思いたかった。
でも、今思えば、必ずしもそうではなかったなって思う。
自分に迷いがあったから、他のアイデアがなかったから、誰かのせいにしたかっただけ。
心から進みたいと思う道で、生き生きと生きること。
自分を生きること。
そうすれば、モノの見かたが一機に変わり、ちゃんと周りに愛されていたことにも気づける。その愛に、自然と感謝ができるようになる。その愛が大きくても小さくても、もはやどっちでもいい。長く時間はかかったけれど、私は私自身のことを愛せるようになったのだから。
看護師は天職
医療の現場は苦しい。
訳がわからない出来事だって、しょっちゅうある。
でも、私はこの現場が好きだ。
この現場にいることで、自分の写し鏡のような人たちと対峙し、自分を見つめ、癒される。相手に力を与えているようで、私がたくさん力をもらい、勇気づけられている。
看護師は天職だと思う。私にとって。
何者かになりたかったけど、今思うと、何者になるかより、何者という手段を使って、何をするか。どう生きるかのほうが、大事。
看護師という手段を使って、生きることを見つめていきたい。よりよく生きるためのサポートをしたい。
だから、私は一生、姿カタチを変えても看護の道を進む。
大切なことに気づかせてくれた子どもたちをはじめ、出会ってくれた全ての人たち、ほんとうにありがとう。
これからも私は自分らしく、のびのびと生きていく。
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