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eスポーツの教育効果②

前回からえらく日が経ちました。
気が付けば1月も終わろうとしています…

今回はLemcke and Weh(2018)を読んでいきます。

まずは「要旨」について全訳しますと・・・

・相互接続された自由でグローバルな世界において、eスポーツは着実に勢いを増している
・しかし、スウェーデン、米国、アジアと異なり、ドイツではこれまでeスポーツの社会的利益を認識しながらも、公式なスポーツとして宣言することに躊躇してきた
・eSchool-projectは、平和なデジタル社会における将来の競争力は教育とスポーツマンシップに依存しているため、ゲームの可能性と教育システムの付加価値を認知してもらうことを目的としている
・ハンブルグのDGS(Deutsche Games Schulmeisterschaft UG)は、商業的な意図を超えたeスポーツの理解を深めるためのイニシエーターとしての役割を担っている
・今回は「eスクール」の一般的な考え方をより深く理解するためにJ. Peter LemckeがIna Weh博士と対談し、その運営面、研究背景、展望などについて発表する

という感じでした。

なるほど、2つ目の点は前回の望月論文の指摘とも関連しています。


Lemcke氏からの切り出し

・eスポーツを観察していると、ゲームには特有の真剣さがあり、何世代もの若者が、難なく、高度な技術的・コミュニケーション的複雑さをもって、それに専念していることに気づかされる(だから、このスポーツは学校でもやるべきなのだ)
・ゲームやスポーツにおける相互作用が、日常の現実の中で私たち全員に恩恵をもたらすことは揺るぎない事実である。なぜなら、ゲームという現実が、実際の紛争地域への「逆説的介入」(paradoxical interventions)の扉を開くからである。つまり、新しい、予想外の視点から行動にアプローチすることを可能にしてくれる。この拮抗の対話は、人間を平衡させ、日々のゲームを公正なプレイで通過することを可能にする(アーサー・シュニッツラーの言葉より「私たちはいつも遊んでいる-これを知ることは賢明である")

Lemcke氏によるとゲームが持つ教育効果は「特有の真剣さ」であり、それが新しい予想外の視点から行動にアプローチすることを可能にする「逆説的介入」につながるものとなるでしょうか。

一方、Lemcke氏は学校においてeスポーツを避けるべきとする主張が未だに根強く存在することを指摘しています。

主に以下の3点の主張が存在するようです。

・特に戦争ゲームや格闘技の分野で見られるような消費行動を助長する
・付随する教育的措置が不足している
・広告の影響、特に商業ゲームによる影響

そのうえでLemcke氏は「ほとんどの場合"少なくとも学校では学生は何か合理的なことを学ぶべきである "という格言につながる」ことがeスポーツの導入を多くの教育現場が敬遠している理由にあることを指摘しています。

上記の点はビデオゲームが教育に与える悪影響としてもしばしば挙げられるものです。

スポーツ、というよりかは「ゲーム(ビデオゲーム)」に対する抵抗が存在する可能性があります。


Weh博士からの回答

・教育者として、私たちは行動で評価できる理性と知識の基礎を作るべきである。ゲームはその目的に特に適しているわけではない。このことは、研究によって何度も明らかにされている。

・しかし、顕著なASS(自閉症)を持つティーンエイジャー(仮にトムと呼ぶ)の例は、ゲームが何を達成できるかを示している。最適な個別支援にもかかわらず、彼は外の世界から切り離されたままで、非言語的なコミュニケーションにさえ支障をきたしていた。そして、ティーンエイジャーは学校ではあまりゲームへの情熱を語らないので、オンライントーナメントの司会をしていたのが彼であったことは偶然の産物であった。学校では誰も考えつかないような能力を、トムは持っていた。ゲームと普通の生活は、確かに異なる現実である。

ゲームという方法の核心は、不条理な二極化です。しかし、それは差異を強く経験させるものである(Bette 2011)。そして、それが神経系を活性化させるのである。規範の歪み、役割の変化、謎解き、人工的な抵抗など、方法はさまざまだ。

・さらに私の研究の結果、ゲーム経験の多い人は自分自身と環境をよりよく評価できることがわかった(Weh 2010)。現在、eSchoolプロジェクトでは、感情的な能力に関してまさにそれを評価しようとしており、ゲームをする人の許容範囲が広がるという明らかな傾向が見られます。マックス・プランク研究所による研究結果もそれを裏付けています。特にビデオゲームは、空間的な方向性、記憶形成、戦略的な計画をつかさどる脳領域の増加を引き起こす(Kühn et al.2013)

上記の記述は、ゲーム(ビデオゲームも含む)をプレイすることで教育効果を得られる人が存在する可能性がある、ことを示唆します。

Weh博士の回答は続きます。

・トムのようなティーンエイジャーは、異なる現実を利用して、自分の隠れた強みを体験する。そこは、自分たちの力を発揮できる場所である。そして、自己効力感を経験し、建設的な学習プロセスを開始する。今、私たちはグローバルなデジタル・ネットワークの中で、重要な対立軸を見出すことが多くなっている。ティーンエイジャーは、本能的に適切な課題を探している。
・しかし、多くのオンラインゲームは長期的かつ高い頻度で課題が発生するという問題を引き起こす可能性がある。特に青春時代の多感な時期にはプレイヤーはモチベーションの虜になり、リセットボタンが見つからなくなることがある。このような場合、ティーンエイジャーが理解され、自分の可能性を認めてもらえるような環境が重要であるもうひとつの現実での成功の見込みと、その現実へ移行するための繊細なガイダンス、つまり責任ある教育が必要である。

・ティーンエイジャーの生活環境にデジタルゲームを取り入れることが求められているにもかかわらず、学校がデジタルゲームに消極的なのは「シューティングゲーム」についての議論による不安、すでに家庭で多くの時間をコンピューターの前で過ごしていることによる保護者の心配、そして我々のノウハウ不足などの理由があることは確かである

やはりそうなのですね。シューティングゲームに対する不安が大きく、教育現場がeスポーツの導入にあまり乗り気でない要因につながっている可能性があります。

Lemcke氏とWeh博士のラリーはもう1回続きますが、それは次回にします。今回はこのあたりで。

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