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鬱になって5年、提訴から1年、今思うこと

昨年(2023年)夏、元職場である環境省(裁判での被告としては「国」という単位になります)に対して、
激務等により鬱になったために被った損害の賠償請求の訴訟を起こしました。

提訴時に様々な報道機関に取り上げていただいただけでなく、その後も特集記事等の取材を受けて記事になったりもしています。

このたび、6/11(火)放送予定のクローズアップ現代に一部出演することになりました。

裁判中なので何をどこまで書いていいものかわからなかったため、あまりしっかりと文章にまとめて発信することは避けていたのですが、
クローズアップ現代という、影響の大きい番組に出るにあたって、
自分の気持ちを自分の言葉で書いておきたいと思い、この記事を書くことにしました。
何があったかという事実関係は裁判で明らかになっていくと思うので、事実関係というよりも、私の気持ちについて書きました。

取材のために過去の自分の文章などを読み返した際に、そのときの感情はそのときだけのもので、そのときしか書けない文章がある、と強く思ったため、いくつか記事を分けて、過去書いた文章を引用しながらまとめてみます。

1. 今までの経緯を簡単に

  • 2017年4月
    大学卒業後、新卒で総合職として環境省に入省。本省に配属される。

  • 2018年6月
    福島地方環境事務所に異動。福島駅近くの職場から徒歩10分くらいの官舎に住む。
    ここから激務(残業時間が平均で月90時間ほど。多い月は130時間超)が続くようになる。

  • 2018年晩秋から冬ごろ
    胃腸の調子を崩すなど、体調に不調が出始める。

  • 2019年2月
    朝起きてもどうしても家から出られず仕事に行けなくなり、心療内科を受診。うつ状態と診断される。

  • 2019年3月〜6月 休職ののち職場復帰(福島地方環境事務所内で部署異動)

  • 2019年10月 再び会社に行けなくなり休職。
    うつ状態は激務が原因であったと公務災害を申請。

  • 2020年2月末 「環境省」という言葉が目に触れただけで涙が止まらなくなるような体調が変わらず、退職。

  • 2021年6月 公務災害認定通知受領。
    公務災害に認定されたため医療費の請求をするも、支払いまで半年以上かかる。

  • 2022年6月 環境省(国)に対して、損害賠償に係る調停を申し立て。

  • 2023年1月 国による話し合いの拒否によって調停が不調となる。

  • 2023年7月 東京地裁に提訴。

2. 退職前後の心境

当時の心境を最もよく表していると思うのは退職時に書いたFacebookのポストだと思います。
私は環境省に本当に入りたくて入って、何十年かは勤めるつもりでいたけれど叶わなかったこと、
お世話になった方々に、本当に感謝しているという気持ち、
それでも辞めざるを得ない体調になってしまったことが本当に悔しく、悲しかったことを覚えています。
当該ポストを別記事に引用します。


3. 訴訟にまで至ったときの心境

環境省には心の底から感謝していたにも関わらず、訴訟にまで至ってしまったのは、主に人事院の、公務災害申請に関連する数々の不誠実な対応のせいです。

全く良いことではないですが、仕事で無理をして精神疾患を発症すること自体は、結構な割合の社会人が経験していることだと思いますし、それだけなら、悔しくて悲しいけど折り合いをつけて皆さん次に進んでいると思います。
私もそのつもりでいましたが、体調が悪く満足に働けない中、せめて医療費だけでも補償がないものかと思い申請した公務災害の審査に1年半(主治医の意見を聞くこともなく、ほとんどの期間寝かせてあったとしか思えません)、
認定されてからも支払いまで半年以上待たされ、
その後も請求書を1年以上放置されるなど、杜撰すぎるとしか思えない対応が今もなお続いています。

提訴したときの気持ちは、提訴時の記者会見で出したコメントが1番詳しいと思うので、別記事にしました。


4. いま私が思うこと

「これは本来の自分ではない、本来の自分ならもっと頑張れた」と思いながらうつと約5年付き合ってきて、
ようやく最近、「たしかに本来の自分ではないけど、もうこれからの自分はこの状態なんだ」という事実を受け入れられるようになってきました。

受け入れ始めるまでは、
思いっきりバリキャリの気力と体力のあった自分が、フルタイムで働き続けることができないこと、
淡々と目の前の仕事をこなすという意識ではなく、地元の人とどうしたら仲良くなれるか、信頼してもらえるかに心を砕き飲み会も大好きな性格の自分が、人のいる空間でとても疲労してしまうようになったことなど、
日々「本来の自分(だったはずのもの)」とのギャップを感じ、たくさんの悔しさを抱えてきました。

でも今は、すでに5年もキャリアを棒に振り、今後少なくとも数年は元に戻ることは難しそうな中、もうこれを自分の所与の能力として受け入れ、
「うつと肩組んで生きていく」(NHKスペシャルでサカナクションの山口一郎さんが言っていた言葉)という覚悟がようやくできてきたところです。

そう思うと不思議と、今まで日々感じていた怒りや悔しさも静かなものになってきて、
たとえ収入が低くても、働ける日数が少なくても、自分ができることをやっていく日々を穏やかに送れるようになってきました。

一方で、頑張れないで、ただ日々を穏やかに送ることしかできないのなら、何のために生きなきゃいけないんだろうという感情に潰されそうになることもあります。
(本当に病状がひどい時期にあった希死念慮ほどの強い感情ではないです。)

そして、夫に対して、本当に申し訳ないです。
体調を崩し始めていたとはいえ結婚当時はまだ環境省の職員で、出世できるかは別として、少なくとも安定した正社員でそれなりのお給料をもらえる妻と楽しく暮らせるはずだったのに、
結果として、大黒柱を夫1人に任せ、妻は自分のことで手一杯で子供についてなんてとても考えられないような数年を送らせてしまいました。
夫は優しい人だからそんなこと思ってないと思うけど、客観的に見たらとんだハズレくじを引かせてしまったと思います。

提訴時にあった強い怒りは、時間を経ることでだいぶ落ち着いてきましたが、それでもこの精神的、経済的な損害を、ただ黙って受け入れることはできません。
もとから鬱になりやすい性質を持っていた可能性はあったにせよ、発症のきっかけとなったのは仕事で無理を強いられたことだと断言できます。

どれだけの範囲の損害賠償が認められるかは裁判で決まることですが、少なくとも、このまま保障もなく、この闇の中を生きさせられるような社会は絶対におかしいし、そんな社会を未来に残したくないと思うので、莫大な手間をかけ、戦っています。
温かい言葉をかけていただくこともたくさんありますが、やはり裁判までするとなると、色々な考えの人にいろいろ言われます。
でも、これからも生きるのなら、社会を少しでも良くしていく努力をしていかないとずっと辛い社会のままなので、痛みに向き合いながらでも、きちんとぶつかることにしています。

裁判にもお金と時間がかかります。それだけでなく様々な事情で声を上げることができなかった仲間たちがたくさんいると思います。
その中で、たまたま声を上げることのできる条件を整えられた私が行動することで、しっかりと振り返り、今後は同じようなことが起こらないように対策を講じるきっかけになってくれれば良いと心から思います。


様々な感情が入り乱れ、まとまりのない文章になってしまいましたが、こうやってとりとめのない気持ちを持っているのがいまの私です。
最後になってしまいましたが、こんな状態の私と辛抱強く付き合ってくれる夫、友人、周りの方々には日々感謝しています。
引き続き、社会を少しでも生きやすくするために、できる範囲で頑張っていこうと思います。

参考記事


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