見出し画像

フリーアドレスはちょうどいい自由がある。ただ他人の正義に要注意

フリーアドレスは人々の自由と正義で成り立っている。

約9か月前、固定席からフリーアドレスになると聞いたときはとても不安だった。収納が足りないんじゃないか、席がなくなるのではないか、上司に質問しにくくなるのではないか……。新しい世界へのチャレンジは不安だらけだった。でも実際にフリーアドレスが導入されると、不安はないどころか、わたしにとっては快適でたまらなかった。フリーアドレスはとにかく「自由」だ。

フリーアドレスは存在感を消せる

チームで仕事をしている人は、四六時中同じメンバーとばかり顔を合わせる。チームメンバーが大好きなら全く問題はないが、そう気の合うメンバーばかりではない。メールの相手もチーム員、話すのもチーム員、周りの席にいるのもチーム員だと、群れるのが嫌いなわたしにとっては苦痛でしかない。

そんなときフリーアドレスなら、座席はチーム員と顔を合わせない場所まで遠征ができる。他部署の人と混じって座ってもいいし、毎日席を変えて居場所を特定しにくくしてもいい。実際私もチーム員とは顔を合わせない、近くても背中合わせになる場所を選んでいる。チーム員は癖が強い人が多いため、余計な言葉を交わさないと余計なストレスを感じずに済んでいる。

週の大半は1人でランチに行くような孤独好きなら、フリーアドレスの自由が向いている。ただ従業員それぞれの自由度が高くなる分、戦わなければいけないときがある。

勝手に固定席派 VS ルール遵守派との終わらぬ戦い

フリーアドレスとは、オフィス内のアドレス(居場所)が定められていないからその名前がついている。そのため基本的にはみな毎朝自席を探す作業をしないといけない。これがフリーアドレスの正しいルールだ。

しかしルールを守るものがいれば、破るものもいる。それが「勝手に固定席派」だ。彼らは自分の気に入った席を取られないため、もしくは荷物をしまうのが面倒なため、勝手にスペースを自席化しだす人々だ。

いくらフリーアドレスとはいえ、デスクに私物が置かれた状態の場所に座る人はまずいない。そして彼らは大抵中堅で、あまり注意してくる人がいない立場の人々だ。周囲が何も言わないのをわかっているから、彼らは自分自身のために席を確保するのだ。

しかも彼らは、共通財産である備品も占有する場合が多い。わたしのオフィスではノートPCにつなぐディスプレイが需要のわりに品薄だ。本当にディスプレイを使用したい人は朝早く出勤して獲得しているけれど、「勝手に固定席派」の人々は退勤時に私物でディスプレイを囲んで前日予約している。

前日から確保しておきたい気持ちはものすごくわかるけど、ルールを守ってる側からしたら不公平でしかない。でも勝手に固定席派と同じことをすれば秩序がさらに乱れる。ずるがしこい人は得をして、正直者は損をするようにできているのは、真のフリーアドレスの姿ではない。ただ自由ではあるけれど。。。

フリーアドレスの自由と正義

フリーアドレスは自由だ。フリーアドレスは存在感を消し、自分ひとりで過ごす時間を増やせる。しかし他人の正義感が自分の自由に影響を及ぼすので、完全に1人の自由を味わえない。もっと高い自由度を求めるなら、在宅勤務かフリーランスしかないのだろうか…。オフィスで働くって難しい。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?